人材を「消費」していませんか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #56】
多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第56回は、<人材を「消費」していませんか?>です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
新採用2か月で…
故郷を遠く離れた地で採用されたある初任の教師から連絡が来ました。「少し、先生と話したい」とのことでした。私はてっきり多くの新人が、やや照れくさそうにしながらも少し自慢気に話す奮闘記を聞かされるものだと思っていました。再会した彼女の口から出た言葉は、意外なものでした。「私、先生辞めました……」。
彼女は自分に自信のないところがありましたが、一方で大変な努力家でした。倍率が下がり、世間一般では受験生は楽になったと言われます。しかし、受験生個人は、目の前の試験に全力投球をしていますから、そうした「言い草」は失礼というものではないでしょうか。彼らは試験の1年くらい前から、筆記試験対策を始め、半年くらい前から何度も何度も面接試験や模擬授業の対策をして準備をします。
試験の数か月前から、知り合いの現職の院生さんを捕まえては、面接試験の練習を何度も繰り返しました。うまく答えられない質問がある度に、研究室を訪れ「面接練習で~と聞かれたのですけど、どう答えればいいかわかりませんでした。先生ならどう答えますか?」と質問します。私は、思ったことをつらつらと言うだけでしたが、彼女はスマートフォンでそれを録音しながら、真剣な表情でメモしていました。驚くことに、次に訪れた時に、同じことを質問すると、ほぼ完璧に答えることができていました。「何をしたの?」と尋ねてもはにかみながら笑うばかりではっきりとは言いませんでしたが、面接練習の相手を務めてくれた現職の院生さんによると、録音された回答を全部文字に起こして、一度頭に叩き込み、それを自分の言葉になるまで言い直していたそうです。それをほぼ一晩のうちにやってのけていたのでした。
さて、数か月後、合格発表の日が来ました。彼女は研究室に入ってきて、「先生、今日発表なんです。怖いので一緒に結果を見てください」と言うと、委員会のホームページにアクセスし、サイトをしばらく眺め、「ありました!」と笑顔を浮かべました。それが予定された行動であることはありありとわかりました。前もって「合格」を確認してあったのです。その手続きも含めて、彼女のお礼の気持ちの示し方だったのでしょう。「奇跡が起きた!」と言っていましたが、試験に向かう努力の量や姿勢から言って「当然」の結果だと思いました。
そんな彼女でしたが、採用から2か月の実務の後、1か月の病休を取り、1学期をもって憧れだった教職を辞しました。
教えてください
なぜ、彼女は仕事を辞めたのでしょうか。新採用としての滑り出しが順調だったとは言えなかったかもしれません。うまくいかないことはたくさんありました。しかし、子どもたちはとてもかわいかったと言います。教室に入れなかった子が入れるようになったり、まともに席についていられなかった子が一日着席していられるようになったり、子どもたちのできていないことも含めて全部愛しかったと言います。彼女を最も苦しめたのは、初任者指導教員による授業の途中介入でした。授業中にもかかわらず、まるで危険行為を注意するように割って入ってきたそうです。最初は、彼女も初任者はそういうものかと受け入れようとしました。しかし、それが度重なるうちに、心身のバランスを崩し始めます。最初は、夜眠れなくなりました。半ば朦朧とした状態で出勤し、うまくいかないと容赦なく途中介入が行われました。やがて、自宅に帰ると涙が止まらず一晩中泣いていたり、部屋で物を投げつけたり、書類をぶちまけたりするようになりました。心配した家族が一緒に過ごしてくれるようになりましたが、それでも不安は収まらず、自分を欺し欺し勤務を続けました。
やがて、そんな彼女の心をへし折る出来事が起こります。最初の授業参観でした。新採用の最初の授業参観といえば、多くの保護者の関心を集めます。授業が中盤にさしかかったところで、「ちょっと待って!……」と件の初任者指導教員が授業にストップをかけたそうです。「ああ、保護者の前でもやるんだ……」と彼女の中で何かがプツッと切れたと言います。それから数日後、彼女は病休に入ることにしました。
こうして一人の新人教師の短か過ぎる教職の時間は終わりました。これは彼女の側から見た話ですから、全てが客観的事実とは限らないでしょう。初任者指導教員の方も、保護者の前で誤った指導を看過できないという責任感から及んだ行為かもしれません。ただ、客観的事実ではなくとも、心理的事実ではあります。人は何かを決めるときには、客観的事実ではなく、心理的事実で物事を判断するのではないでしょうか。彼女の考え方や受け取り方にもいくらか問題があったのかもしれません。
ただ、私が管理職や教育委員会の皆様、同様のお立場にある先生方(初任者指導教員)にお聞きしたいのは、こうした指導に合理性があるのか、もっと他の指導法はないのか、それを改善できないのかということです。因みに、彼女は管理職や同僚の皆さんに対して不満めいたことは一切言っていませんし、それどころか件の指導教員に対しても非難らしい非難をしていません。「私がダメだった」と言うばかりです。お立場のある皆様、どうか教えてください。こういう場合、新人教師は休んだり、職を辞したりするしかないのでしょうか。
話を聞き終えて「がんばったね」と言う私に、彼女は「先生に、怒られるかと思いました」とほっとした表情を浮かべました。学校は子どもだけでなく教師も育つ場であってほしいと思うのです。
『総合教育技術』2022年秋号より
赤坂真二(あかさか・しんじ)
上越教育大学教職大学院教授
新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現職。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』(明治図書出版)など著書多数。