【木村泰子の「学びは楽しい」#40】子どもの主体性を育てていますか?

子どもたちが自分らしく生き生きと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載の40回目。今回は、子どもの「主体性」とは何かについて考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
「主体的に行動する」子どもの姿って?
子どもが主体的に行動する姿はどんな姿なのかについて、大人が見る力をつけなければ子どもが育つ事実にはつながりません。
「子どもを主語に授業したらどんな子どもの姿が見えますか」
「子どもが主体的に行動する姿とはどんな姿なのでしょうか」
などの対話を職員室でしていますか。
「子どもが主語」「主体性をつける」などの言葉は浸透してきましたが、それらの言葉と子どもの行動する姿とはつながっているでしょうか。
教員の指示通り整然と行動する子どもの姿をどのように見ますか?
ある中学校で授業をさせていただきました。500人に近い全校生徒が教員の引率のもと、無言で整列をして講堂に入場し、指示された場所に座る。姿勢を正して前を向いている。授業者である私の話をしっかり聞きますといった空気が伝わってくる。全員が無言です。
授業が始まり、最初の問いを出しました。ところが、誰も何も言わない。問いに対しても「無言」です。そこで、「今日の授業に正解はありません。自分から自分らしく『自分の言葉』で語ってください」と伝えるが、誰も発言しない。
この生徒たちの姿をみなさんはどのように評価しますか。授業者の私が一方的に教え、話を伝えるスタイルであれば、これほどやりやすい生徒たちの姿はないでしょう。おそらく、すばらしい生徒たちが育っていると評価されるのではないでしょうか。
従前の学校の当たり前は「先生の話をしっかり聞く」ことに重点が置かれていました。ところが、それでは「多様性社会・共生社会・想定外の社会」で生きて働く力にはつながらないことが明白で、「学力観」の転換が求められたのです。教員の指示のもと、整然と並んで無言で講堂に移動する生徒たちの姿こそ「主体性」を奪われていないでしょうか。
「自主性」と「主体性」は大違い
教員の指示に対し、自ら進んで行動する。この姿は自主性が育っていると見ます。では、自主性と主体性の違いは何なのでしょうか。
「自主性」は教員の指示を自ら率先して行う態度を言い、「主体性」は自分の意志や判断に基づいて、自分の責任のもとで行動することを言います。
例えば、生徒が講堂に集合する。ただ、これだけのことですが、無言を強いられ、教員の引率のもとで2列に並び、講堂に移動する。一言でも声を出せばおそらく指導されるでしょう。廊下にも「無言」と書かれたポスターが張られていました。すべての生徒が無言で行動して学力を向上できるのならまだしも、みんなとちょっと違った特性をもっている生徒などは、無言が守れないから特別のワクで学ぶことを余儀なくされるのでしょうか。決められたことを決められた通りに行動することは、生徒の主体性を奪ってしまっていることになりませんか。
一方、自らの意志で講堂に集合する。リラックスして行動に集合するでしょう。その中では遅れてきたりトラブルが起きたりすることは当たり前でしょう。子ども同士の関係性の中で起きるトラブルや失敗をやり直すことが成功体験につながる学びなのです。
この両者の違いは歴然ですね。では、どうして生徒を教員のワクの中で管理するのでしょうか。
トラブルが起こらないようにするためですか?
無言で整然と移動する姿は美しいからですか?
生徒を信じていないからですか?
従前のあたりまえを問い直すことをしないからですか?
教員の指示を守る生徒を育てなければ学級が崩壊すると思っているからですか?
教員の指導力が試されるからですか?
声の通る教員を支持するからですか?
「不登校」のレッテルを張られている多くの子どもたちの声
主体性・決定権を奪われること
比較され認められないことは
人権侵害ではないか
子どもに委ねてほしい
自分のことは自分で決めさせてほしい
全国の「不登校」と言われる子どもの声です。
この中学校でも多くの子どもが登校していません。無言で教員の指示通り行動することができない子どもは、注意をされ、叱られるでしょう。そんなふうに指導されている友達の姿を目にする子どもたちは、叱られたくないから指示を守ることになっていかないでしょうか。
人のせいにしない学びを
主体性を身につけた子どもは、自分で考え自分で判断し行動します。誰一人として同じ行動はありません。次の時間の授業ができるように、自分の意志で講堂に集合し、自分の学ぶ場所は自分が決める。目的はみんなで授業をつくることにあるのですから。
生徒がバラバラで行動することに不安を感じるのは教員たちです。これまではこんな生徒たちの姿がすばらしいと評価されてきたからです。
今は「主体的な子どもが育つ」学校づくりをしています。たとえ主体的に行動して授業に遅れたら、次はどうすれば遅れなくなるかのやり直しを子ども自身がすればいいのです。これが、失敗を成功体験に変える学びです。
主体性を身につけた子どもの姿はどんな姿なのかを見る教員の力をアップデートしませんか。
〇子どもが「主体的に行動する」姿とはどんな姿なのかを見る力をつけよう。
〇これからの時代に必要とされるのは、指示を率先して行う「自主性」ではなく、自分の意志や判断に基づいて行動する「主体性」。「自主性」ではなく、子どもの「主体性」を育てていこう。
【関連記事はコチラ】
【木村泰子の「学びは楽しい」#39】子どもの「ほんとの声」を聴ける大人になるには
【木村泰子の「学びは楽しい」#38】「無理しないで行くのが学校」です!
【木村泰子の「学びは楽しい」#37】「未来の学校」をつくるために
※木村泰子先生へのメッセージを募集しております。 エッセイへのご感想、教職に関して感じている悩み、木村先生に聞いてみたいこと、テーマとして取り上げてほしいこと等ありましたら、下記よりお寄せください(アンケートフォームに移ります)。

きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、すべての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。
【オンライン講座】子どもと大人の響き合い讃歌〜インクルーシブ(共生)な育ちの場づくり《全3回講座》(木村泰子先生✕堀智晴先生)参加申し込み受付中! 大空小学校時代の「同志」お二人によるスペシャルな対談企画です。詳しくは下記バナーをクリックしてご覧ください。