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低学年で必ず付けたい道徳の力とは? 木村泰子×佐藤幸司対談

連載
木村泰子の「学びは楽しい」【毎月22日更新】

大阪市立大空小学校初代校長

木村泰子

大学教員

佐藤幸司

どんな特性の子も一緒に学ぶ学校をつくってきた木村泰子先生と、数々のオリジナル道徳教材を開発してきた佐藤幸司先生の対談です。道徳の授業の話を皮切りに、不透明な社会を生きていくことになる低学年の子供たちが付けるべき力について語り合っていただきました。

【特別対談】佐藤幸司×木村泰子 低学年で必ず付けたい力とは?

左)木村泰子(大阪市立大空小学校初代校長)
右)佐藤幸司(山形県公立小学校校長)

教科書に捉われすぎない自由な発想の道徳の授業を

佐藤 今日は、木村先生と道徳の話ができるのを楽しみにしていました。

木村 私もです。実は新任のときから私の根幹にあったのが道徳でした。でも、佐藤先生のように道徳の勉強をしてきたわけではないので、特別な知識があるわけではありません。

佐藤 私も同じようなものです。初任の学校は教育委員会指定の道徳の研究校でしたが、型にはまった授業がおもしろくなくて、自分で教材をつくるようになって30年になります。

道徳が教科化されたことで、先生たちは「教科書を使わなければいけない」という縛りを自分に課しているように感じます。例えば、全校道徳(全校児童で行う道徳。佐藤先生、木村先生ともに実践)とか、教科書に捉われない形の授業がもっとあってもいいですよね。

木村 大空小は、月曜の1時間目、みんなが講堂に集まって全校道徳を行います。学校は子供や教職員、保護者や地域の人がつくっているけれど、教員とか地域の人とか肩書を取ったら、「人」が残ります。それなら、人と人とが対等に学び合う、こんな全校道徳をつくろうということからスタートしたんです。

最初に、MCの私がその日のテーマ(例えば、「わかる」と「できる」はどう違う?)をホワイトボードに書きます。このときまで、子供も教員も誰もテーマを知りません。つまり、子供も教員も対等な関係で学ぶのです。一年生から六年生までが入る無作為なグループをつくったら、自分の考えを伝え合い、みんなの考えをシェアして、何のまとめもなく教室に帰ります。そして、各教室で学習シートに自分の考えと周りの考えを書いて終わります。

佐藤 大空小の全校道徳は、子供がどう変わったかという一番大切な視点が押さえられていると思います。教科化になってから、標準授業時数を守ったかとか、内容項目をすべて扱ったかとか、評価がどうとか、そんなことばかりが注目されています。ところが、肝心の子供がどう変わって、それによって学校がどう変わったかということがおざなりになっています。子供がどう変わったかという視点を大事にしながら、道徳の授業そのものを思い切って変える必要があると思います。

私の場合は、45分の授業を凝縮したような形で、15分の全校集会を使って、全校道徳を月1回行っています。先日は、NBAに行った八村塁選手を取り上げました。印象的なエピソードを紹介した後、縦割り班で話合いをします。そのときに、「先生の言葉や自分を信じてがんばること。チームのみんなと一緒に練習に励むこと。夢をめざして努力して勉強すること。この三つの中で、自分ができそうなのはどれかな?」のように、三つくらいの選択肢を与えて、自分ならできそうなものは何かと考えさせることも有効だと思います。

子供同士の話合いを大人が邪魔していないか

木村 大空小の全校道徳は、大人(教職員や地域住民)も参加しますが、大人は大人だけでグループをつくります。最初は、子供のグループに大人も入っていましたが、あるとき、子供たちが「大人は大人でグループをつくったらどうですか」と提案してきたんです。理由を聞いたら、「大人は邪魔です」と言いました。

佐藤 子供は正直ですね(笑)。

木村 なぜ邪魔かというと、「大人は仕切りたがる」と言いました。いつもグループの中で話をしないある子を見て、大人が「この子にもしゃべらせてあげなさい」と言ったそうです。すると、そのグループのリーダー(六年生)は、こう反論したのです。「大人はみんながしゃべらないといけないと思っている。でも、あの子は黙っていても、にこにこしながら聞いている。しゃべりたくなったら自分からしゃべるだろう。もし、『あなたもしゃべり』と強制したら、あの子は来週から月曜は遅刻して全校道徳を休むだろう。この場の空気を吸ってるだけでいいんだ」と。最高でしょう?

木村泰子先生

きむら・やすこ●大阪市立大空小学校初代校長として、すべての子供の学習権を保障する学校を具現化した。『「みんなの学校」から社会を変える』(高山恵子との共著/小学館)ほか、著書多数。

佐藤 大空小の子供たちは自主性が素晴らしいですね。子供の自主性は大事だけれど、低学年には指導も必要というのが私の考えです。袖崎小は何年か前に子供の生活態度が落ち着かない時期がありました。そのときに、まず生活の規律を保つことを目的に、「袖崎スタンダード」という名前を付けて、規律を視覚的に分かりやすく定めました。例えば、下足箱への靴の入れ方や、引き出しの中の整理整頓などです。それが定着して学校の伝統となっています。「袖崎スタンダード」が基になって、子供たちの自主的な活動があるのだと思います。

もちろん、規律をやみくもに教え込むのではありません。規律の先にある道徳的なこともつなげて教えなければ、形だけになってしまいますから。なぜ友達の発表は静かに聞かなければならないかを考えるときに、「友達の話を聞かないのは、友達を大事にしないことなんだ」と教えれば、子供はちゃんと聞きます。

若い先生がやりがちな失敗は、スタンダードを成功させなければならないと思うあまり、細かいことをあれこれ注意してしまうことです。あっちも注意するからこっちも注意しなければならない。子供は無視されることを嫌うので、自分に注目してほしくて悪さをする。悪さをすれば先生がかまってくれるという悪い学習をして、やがて学級崩壊を招くことになります。学級づくりの基本は、「これだけは守ってもらう」という太い柱がまずあって、そこに細かいルールがつながっているんですよね。

低学年に大切なのは「自己決定」と「安心」

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