多様性の世の中を生きていく子どもたちへ、私たち教員ができること ~たてわり活動に取り組んでみませんか?~
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- 大切なあなたへ花束を
人々の多様性が一層尊重されるようになってきた現代社会。さまざまな価値観が交錯し、他者との関わり合い方は、より高度で複雑になってきていると言えます。そんな世界へと巣立っていく子どもたちに、何かできることはないだろうか。そう考えておられる先生方も多いのではないかと思います。そんなとき、宮岡愛子先生の言葉に耳を傾けてみませんか? 木村泰子先生に師事し、現在は「みんなの学校マイスター」として講演活動や各校の支援で大活躍中です。
【連載】大切なあなたへ花束を #03
執筆/みんなの学校マイスター 宮岡愛子
子どもと子どもをつなぐ、新たな取組をめざして
広く一般の社会では、いろいろな年齢の人が一つのチームとなって、仕事やさまざまな活動に取り組んでいますね。けれども学校だけは、同じ年齢の子どもたちだけを一つの教室に集め、そのまとまりで学んでいます。
これからの子どもたちに社会につながる学びを、と考えたとき、もっと異年齢の子ども同士が出会う必要があると思いませんか?
多様性を認めることの大切さ。それを、私たち大人は分かっているはずです。
でも、子どもたちが多様性の大切さを学べる機会を、どれだけ作っているでしょう?
最近では、近隣の保育園や幼稚園、子ども園の園児と小学生がつながったり、小学生が中学校に行って、部活動や授業の体験をするなどの取り組みが行われるようになってきました。
もちろん、これらは素晴らしい取り組みですが、いっときだけの体験になってしまうことも否めません。
そこで、ご自分の学校の中でできる、たてわり活動に取り組んで、子どもたちのつながりを深めていきませんか?
私が勤務していた学校は、1年間を通してのたてわり活動がありました。6年生がリーダー、5年生がサブリーダーとなって、1年生から6年生までの子どもたち1人~2人ずつが集まって、1つの班になります。このたてわり班をあらゆる場面で活用するのです。
実は以前、このたてわり活動を取り入れようと会議で提案したら、反対意見が出されました。
その主な理由は以下のようなものでした。
① 自分の学年だけでも手いっぱいなのに、ほかの学年まで見ることはできない。
② 違う学年の子どもとトラブルになったら、誰が責任をとるのか。
③ 荒れている学年があって、せっかくそこだけでおさまっているのに、ほかの学年にも影響するのでは。
要するに、自分の受け持つ学年だけを見るだけで十分だし精一杯で、他の学年まで見ることになったら負担が増える、ということです。
これは、新しいことを始めようとするときに、周りの反応として結構言われることです。
しかし、よくよく考えてみたら、この①から③の理由はすべて、教員が主語なのです。
教員が主語になるからこそ、新しい取り組みは、負担感につながるだけなのではないでしょうか。
それでは、たてわり活動の実際を見ていきましょう。
週に1回開かれる児童集会は、毎回たてわり班の単位で集まりました。
集合の合図に校内放送で音楽を鳴らすと、講堂へ子どもたちが自然と集まります。
リーダーが前に立ち、プラカードを持ったり、ビブスをつけたりして、誰もがどこに集まったらよいか、分かりやすく工夫されています。
子どもたちは、さっと自分の班の場所へ行きます。そこに号令や指示はありません。
配慮を要する子どもには、リーダーが迎えに行っていました。
会の進行も子どもたちがやりました。そこでも、「前にならえ」や「気をつけ」などの号令はありません。
はじめは、こうした「形」があったほうがいいのでは、とこだわる先生もいました。
しかし、「自分が自分の意志で何をしたらよいかを考えて行動する」こと。きちんと整列することを求めるのではなく、自分で並ぼうとする気持ちを持って行動できるようになることこそ、この取り組みの目的です。
子どもを主語にして、ここでの目的は何かということさえ、ぶれずに捉えていられたら、大丈夫です。
教員と進行役の子どもたちの間で、大まかな流れや会のめあてについての打ち合わせは行いますが、後は全て子どもたちに任せます。言うべき言葉に詰まっても、流れさえ分かっていれば、子どもたちは自分の言葉で話せるようになり、進行できるようになるものです。
言わされ感、やらされ感がない児童集会は楽しかったです。
ただ、取り組みを始めた当初は、すぐにたてわり班のグループに入れない子どももいますし、立ち歩く子どももいます。
それを大人がどう見るか。
これは、とても大切なことです。
「入れない子がいるからやめよう」ではなく、「この集会場所まで来てるやん」「入ろうとしているやん」と捉えて、見守っていましょう。周りの子どもたちが呼びに行くものです。
「おいでや」「いやや」
それでもいいんじゃないですか?
「あの子、まだ無理みたいやねー」
と大人が言ったら、子どもたちは、じゃぁ次にどうしたらいいかと考えてくれます。その子を受け止めようとしてくれます。
そうやって、周りの子どもたちが受け入れてくれるのだと知り、児童集会という場所ではどんなことをするかが分かるようになってきたら、子どもは安心して、きっと変わります。立ち歩いていても戻ってきます。
また、たてわり班で掃除活動もしていたのですが、これには驚きました。
各たてわり班ごとに、学校のいろいろな場所が割り当てられ、何週間かごとに当番の場所を交代していくのです。そうすることで、各班は1年を通して、学校のいろんな場所を掃除していきます。低学年であろうと、トイレ掃除の担当に入ることも、もちろんありました。
そこでは、リーダーが、掃除の仕方を丁寧に教え、1年生や2年生には、自分たちができることをやってもらうようにしていたのです。
「掃除」という活動は誰もがいろいろなやり方で自分らしくできるし、簡単で教えやすいものです。
こんな活動はとてもいいなと思いました。トイレだけではありません。
6年生の教室を掃除した1年生は
「6年生になったら、こんな大きな机で勉強をするんや」
とあこがれの気持ちをもっていましたし、その反対に、6年生が1年生の教室にあたったら、
「こんな小さな椅子に座ってたんやなぁ」
と懐かしんでいる姿がありました。
何より掃除場所を担当する先生を固定したことで、その場所へ来た子どもたちと先生とが自然とつながりをもつことができました。それは、子どもの違う一面を見ることにもつながりました。
そして、一番大きな行事として、たてわり遠足がありました。
人数の多い小学校のときは、たてわり班のつながりが深まってきた秋の時期に。
全学年1クラスの小規模校のときには、「これからよろしく」の気持ちも込めて春に遠足をしました。
オリエンテーリングをして、一緒にお弁当を食べ、そして遊ぶ。
ここでできた子ども同士のつながりは大きいものです。
特に配慮を要する子どもには、いつも6年のリーダや5年のサブリーダーが寄り添い、いろいろな声かけをして、安心できるようにしていました。
あるとき、卒業する6年生が、私に伝えに来てくれたことがあります。
「校長先生、来年のたてわり班ではな、〇〇くんは、●●さんがリーダーの班がいいと思うで。言うことをちゃんと聞くし、●●さんはやさしくわかるように話してくれるから」
と言うのです。本当によく見てくれているなと思いました。子どもは、子どもの中で育つのです。
いつも同じ担任の先生、いつも同じクラスの友達、というつながりから、たてわり活動に変わったら。
違う子どもたちや、違う先生ともつながりが持て、深まり、多様性を受け入れる力が身につくのではないでしょうか。何より、これから思春期を迎える高学年の子どもたちにとって、1年生や2年生から、「リーダー」「サブリーダー」と呼ばれたら、それだけで自己有用感が高まるのではないでしょうか?
時には、低学年の子どもたちから、リーダーの言い方が嫌だ! とクレームが出ることもあるかもしれません。そんなときは、そこで考えたらよいのです。たてわり活動をやめるのではなく、それをどう学びに変えていくか、それが学校のあるべき姿ではないでしょうか?
こんな多様な子どもたちのつながりを学校でつくることこそが、これからの社会で生きる力につながっていくのです。
イラスト/フジコ
宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。