学級活動の歴史を学ぼう! その1【やき先生のとっておき学級活動の基礎・基本】①
宮川八岐・元文部科学省視学官による「やき先生のとっておき学級活動の基礎・基本」の連載が始まります。第1回は、世界に誇る日本の教育である「特別活動」がどのような経緯で誕生したのかという興味深い歴史を学びましょう。
執筆/元文部科学省視学官・宮川八岐
目次
特別活動の意義を考えよう
学習指導要領改訂への検討会の組織が立ち上がる時期になってきました。 このようなときに、学級活動をはじめとする特別活動が教科と肩を並べて教育課程(学習指導要領)に位置付いている世界的にも珍しい我が国の学校教育(日本型学校文化)の意義などについて、ぜひいっしょに考えてみましょう。
学級会の誕生から教育課程化されるまで
学級会の誕生から教育課程化されるまでをたどっていきましょう。
戦前 学級会の萌芽
学級会は、明治末年から大正、昭和初期にかけて熱心な多くの教師によって試みられるようになりました。外国から児童中心主義の教育思潮やアメリカの自治活動などが入ってきたことによる影響もありました。知識偏重の一方で、児童自らが社会性を身に付ける必要性があるという教育観をもつ教師たちによって、学級の問題を協議する学級会が試みられるようになりました。課外活動の前進の過程で、学級会の萌芽期と言えるでしょう。学級会は学校における明確な教育課程ではなかったものの、「課外活動」として徐々に広がりを見せていったようです。
終戦 全人的成長発達の教育
昭和22年「教育基本法」が制定され、教育の目的を「人格の完成を目指すー」としました。当時の文部省は、これからは世界に信頼される人材の育成(よき公民の資質、社会的人格、実践的な人格)、つまり、全人的成長発達の教育をと考え、「教科以外の教育」も重視しようと考えました。
終戦直後の学校教育は、政策的には「空白時代」と言われます。次に、昭和22年、26年、33年の学習指導要領における、児童の自発的・自治的活動としての学級会が教育課程化する過程を見てみましょう。
① 昭和22年の学習指導要領(試案):「自由研究」の時間の創設
文部省は、学習指導要領一般編において「自由研究」の時間(4年生以上)を設け、教科以外の児童の活動が教育課程として取り上げられるよう、(1)個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習、(2)同校の者が集まって自由な学習を進める組織としてのクラブの活動、(3)当番の仕事や学級委員としての仕事、を内容として示しました。
しかし、終戦直後の混乱期でもあることから「教科に関係しない児童の活動を」という趣旨が全国の先生方に周知されませんでした。内容の例示も教科の発展的なものや学級会や学校行事などが混在し、時数も幅をもたせた弾力的な扱いだったことなどから、正式な制度としての成立とはなりませんでした。しかし、「試案」だったとはいえ、従前の「課外活動」から、学習指導要領に示されることになったことの意義は大きかったと言えます。
② 昭和26年の学習指導要領(試案):「教科以外の活動」に改訂
「自由研究」への反省から、昭和26年の学習指導要領一般編には「自由研究」に代わって「教科以外の活動」が登場します。ここにおいて我が国の学校教育が「教科」と「教科以外の活動」の両者で行われることになったものの、新しい教育観が熟せず、各学校に徹底していなかったようです。活動内容として、児童会、児童の様々な委員会、奉仕活動、学級会、いろいろな委員会、クラブ活動などが示されました。教科以外の活動の範囲があまりにも広く漠然としていて、これを実践に移すには技術的、実際的に困難があったようです。
そうしたことから、学校によっては教育的に価値の高い実践がなされてはいたものの、その取組が教科以外の活動としてふさわしくないことだったり、まったく実施していない学校があったり、各活動の名称も種々雑多で、様々な混乱が生じることになり、次期改訂への動きとなりました。
③ 昭和33年の学習指導要領:「特別教育活動および学校行事等」の必修化
占領下での教育政策により「試案」であった学習指導要領が、ここで我が国自前のものとなりました。そこで文部省は、それまでの教科以外の活動で10項目も例示していた内容を「児童会活動」「学級会活動」「クラブ活動」の3つに整理統合して「特別教育活動」とし、「児童の自発的、自治的な活動」を特質とする教育課程上独自の領域が明確に位置付けられました。また、「特別教育活動」としたのは、「道徳」と「学校行事等」も加えたことにより、「教科以外の活動」の名称が不適当になったことによるものです。
そのことにより、教育課程が「教科」「道徳」「特別教育活動及び学校行事等」の4領域となりました。個性の伸長、社会性の育成を目標とする指導領域としての特別教育活動(3つの内容)については、全国すべての学校で実施しなければならないこととされました。
終戦から10余年経って、世界から注目される教育課程がここに誕生し、今日まで6回の学習指導要領の改訂が行われました。自主的、積極的に社会に貢献しようとする実践的な人格を育成する教育の重要性や各教科、道徳、学校行事等の学習との相互的な影響関係の意義などについて真剣に考えられ、教育課程上の枠組みは変化しつつも、その本質は確実に引き継がれてきました。
そうした意味において、昭和33年改訂は、我が国の学校教育の歴史上、画期的な改訂だったと言われています。
まとめ
今回は、「学級活動の歴史を学ぼう!その1」として、“学級会の誕生から教育課程化されるまで”を、みなさんといっしょに確認しました。いかがだったでしょうか。
ここで改めて我が国の学校教育が特別活動、特に「児童の自発的、自治的な活動」を生命とする全人的な成長発達を高める教育領域をもって行われることになった経緯やその意義を再確認できましたか?(学級会が必修になったのは、東京タワーが完成した年でしたが、ご存じでしたか?)
次回、今回の課題の(その2)として、昭和42年改訂以降の学習指導要領の改訂と指導の実際等について、またごいっしょに考えてみたいと思います。
宮川八岐(ミヤカワ・ヤキ)
埼玉県公立学校教員、教頭、草加市教育委員会、草加市立氷川小学校長を経て、平成6年から文部省初等中等教育局小学校課教科調査官(主に特別活動、生徒指導、学校図書館等)に。平成12年から同局視学官。平成16年度国立妙高少年自然の家所長、平成17~20年度まで日本体育大学教授、平成21~27年度まで國學院大學人間開発学部教授を務める。
構成/浅原孝子 イラスト/畠山きょうこ