カリキュラム運営に「癒し」の視点がありますか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #66】


学校に行きたくない子どもたちの声をご存じですか? 授業改善だけでは解決できない現代の教育課題に、赤坂真二先生が鋭く切り込みます。不登校経験者の生の声から見えてくる学校の現状、そして「癒し」の機能を取り入れた新しいカリキュラムの可能性まで。子どもたちが本当に学びたくなる環境づくりのヒントが詰まった今回の提言です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
子どもたちが学校に行きたくない理由
今日も自治体、団体の皆様から、研修や講演のご依頼をいただきます。大変光栄なことであり、その飽くなき改善への意欲に敬意を払う一方で、少し気になっていることもあります。例えば、校内研修のテーマで言えば、「主体的な学び」や「協働的な学び」などの授業改善を目指されているようです。しかし、それぞれの教室は、毎日のようにトラブルが多く、担任はその対応に追われ、疲弊し、授業改善どころではないというのです。
校内で荒れたクラスが複数あり、日常の授業がままならなくなっている状況においても、校内研修はひたすら授業改善を続け、学級の荒れ、生徒指導事案、いじめ、不登校などは、個人的、対症療法による対応、困ったら管理職、みたいな状況になっているわけです。こうしたカリキュラムの運営や学校生活のあり方は、子どもたちからどう見えているのでしょうか。
子どもたちの世界だっていろいろあるでしょう。日々の葛藤、悩み、人間関係上のトラブル、被侵害行為など、さまざまなことに遭遇し、それらに伴う心的疲労を抱えていることでしょう。「何かあったら先生に言ってくださいね」と言われても、先生はなんだか忙しそうで、相談しようにも相談しにくい状況です。これでは、医者もカウンセラーもいない、警察も裁判所もない状態で、ハードな仕事に追い立てられている状況に陥っている子どももいることでしょう。
昨年、ある市民グループの主催で、不登校経験をもつ児童生徒とその保護者が100名ほど集い、これからの街のあり方や自分の将来を語り合いました。主催者のお計らいで、ミーティングの様子を拝見させていただくことがありました。そこで子どもたちが、「学校に行かない理由」を語り合う場面がありました。
元小学校の教員としては実に耳の痛い内容もありましたが、学校が抱える学びづらさ、過ごしにくさを表現しているのではないかと思いました。学習や学校生活にかかわるものでは、「なんでもかんでも決められるのが嫌」「学校で勉強しているのに家でも宿題をやらなくてはならない」「何かと速く物事が進む」「給食の時間が短い」「頑張っているのにさらに頑張らされる」「学習進度が違うのにみんな一緒に学ばされる」「中学のテストの順位付けが嫌」「休み時間が短い」「統一感があって気持ち悪い」と言った声が上がっていました。
また、教員に対しては、「先生の当たり外れが激しい」「怒られてばっかりいる」「女子に対して優しいのに、男子には厳しい」「とにかく先生がうざい」「先生が偉そう」など、教員なら「やっているかも」と痛いところを突かれるような意見がありました。
それらの声に交じって「いじめられているから」「靴を隠されるから」「いじめられているのに、先生がわけの分からないことばかり言うから」などの声もあり、いじめ対策がうまく機能していない現状もうかがえました。これらは一人の子どもから発言されたのではなく、それぞれ異なる子どもが言っていたことです。侵害行為を受けていることはもちろんですが、学校生活のあり方や教師の振る舞いなど、学校生活の日常そのものが、子どもたちの学びづらさ、過ごしにくさを構成していることがうかがわれました。