教師として成長するためには、人から学ぶことも大切【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第43回】
前回(ここをクリック)は、青森県の浅田鶴予先生が若手時代の失敗を通して学んだことなどを紹介しましたが、今回は、算数の専門性を高めていったきっかけや、研修主任(研究主任)として苦労して学んだことなどを紹介していきます。
目次
県教育センターでの研究を通して学ぶ
前回(ここをクリック)、2校目で子供や保護者との関わり方に悩み、そこから学んだ話をしましたが、その学校には結局8年間在籍しました。その頃、私はいくつかの研修などに当たり、多様な場で学ぶ機会を得たのですが(画像参照)、算数教育の質を高める上で大きかったのは、県の教育センターで算数の研究をしたことです。私には教師人生の師匠と勝手に思っている方が3人いるのですが、その中の1人の師匠である指導主事の先生と出会ったのはこの頃でした。
地元では、全教員が何らかの教科研究会に入ることになっているので、私は初任時から小学校教育研究会の算数部会に入っていました。ただし、その研修に行くまでは主体的に学んだり研究したりするという感じではなく、先輩方の研究に沿って研修しているという感じだったのです。ですから、県教育センターでの研究を通して初めて、研究と研修の違いや、具体的に研究を進めるための方法などをしっかり教えていただきました。その研究の過程で指導主事の先生から、現在にも通じるような、子供に表現させ、子供たちの理解状況を見とりながら軌道修正して授業をつくっていくような方法や、授業中の子供の表情や言動を見とりながら形成的に評価していく方法なども学んでいったのです。
私が、そんな研究をしていたことを校長先生が知っておられたからだと思いますが、3校目の異動先は地域の拠点校で先生の人数が多いにも関わらず、若手の私が研修主任を任せられることになりました。当時、市内の周辺の学校を見回しても研修主任は40~50代のベテランの先生ばかりで、私のような若手はいませんでした。しかも当時の授業は一方通行の教え込みが大半を占めているような状況です。その中で、県教育センターで学んだような授業づくりや評価の仕方を取り入れようと取り組んでいったのですが、なかなか先輩方には受け入れてもらえず、苦労しました。
当時は意欲の評価が入った後ではありましたが、子供の好きそうなぬいぐるみやキャラクターを使ってやる気を出させるとか、手を挙げた回数で意欲を評価するというような、今では笑い話になるようなことが実際に行われていたのです。しかも、先にも言ったように教え込みなど、子供に表現させるとしても分かっている子の意見だけを取り上げて授業を進めるようなものばかりで、シナリオさえあれば、誰でも真似できるような授業が多かったのです。現在のような全国学力調査はまだありませんでしたが、県実施の調査は実施されていました。その結果を通して授業を見直すのではなく、「繰り返し練習させておけばできるようになる」という感じで試験対応のトレーニングを行い、「テストができたんだから、いいじゃない」という感じだったのです。
ですから私が、「子供たち自身に考えや理解状況を表現させ、考えのズレや間違いを取り上げながら対話し、修正して…」とお話をしても、そういう授業観がなくて、「よく分からない」と言われてしまいます。授業の中で子供に委ねる場面がない時代だったので、本当にイメージできなかったのかもしれませんが、私が若いこともあったのかもしれません。そのような授業づくりが求められる意味まで説明しても、「あなたは勉強をしたから、それが分かっているかもしれないけど…」というような抵抗もあり、なかなか簡単には私が思い描いているような授業改善が進められる雰囲気にはなりませんでした。
本質的な学びの体質改善には時間がかかる
ただ救いだったのは、職員室内で同じ島にいた同年代の先生や少し年上の先生方に話を聞いてもらったり、いろんなアドバイスをもらったりできたことです。当時はまだ、同僚と一緒に飲みに出かけ、話をする機会もあり、それはストレス発散の機会でもあると同時に学びの場でもありました。当時の同輩の女性の先生はとてもアクティブな方で、例えば筑波大学附属小学校の研究会などにまめに足を運んで、新しい情報をもって帰ってきてくれるのです。それは出不精の私にとって、とても貴重な情報でした。
たまたま皆、算数好きだったので、例えば教育雑誌に書かれていたことを基に、授業づくりについて議論をするようなこともありました。今の若手の先生方には「飲みニケーションなんて…」と敬遠されそうですが、忌憚なく話し、新たな情報を得ることは精神衛生的にも、授業づくりを学ぶ上でもとても力になりました。
そのときに強く思ったのは、教師として成長するためには独力で勉強することも大事だけれど、人から学ぶこともとても大切だということです。それは県教育センターの指導主事のような方だけに限らず、同輩の先生の情報や先輩のアドバイスも含めてのことで、「ああ、この人はここがすてき」と思える人を見付けたら、いろいろ聞いたり、教えてもらったりして、学ぶことも大事だなと思います。
加えて、この当時のことをふり返って思うのは、体質改善には時間がかかるということです。例えば、全国学力調査の結果を改善するために、目先のドリルのようなものでもある程度は対応できるでしょう。しかし、そんな付け焼き刃で付けられる力はわずかなもので、他の場面では活用できません。そうではなく、子供たちに本質的な理解をさせていくには、本質的な学びの体質改善をしていくことが必要で、それを行って結果につなげていくには時間がかかるものです。それを教師がしっかりと知っておくことが必要でしょう。
この当時、私の話をなかなか理解してくださらなかった先生方も、子供たちに力を付けたいという思いは私と変わらなかったと思います。しかし、その方法で付けられる力は本質的な理解ではなく、剥落しやすいものだということが見えていなかったのではないでしょうか。逆に言えば、本質的な学びの体質改善には時間がかかるということが理解できていれば、今、自分の取組が目に見える結果につながっていなくても、簡単に「ああ、ダメだ」とか「自分にはできない」などと諦めず、じっくり取り組むことができるのだと思います。特に若い先生方には、目先の結果を追わず、長い目で教育に取り組んでほしいと思うのです。
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今回は、浅田先生が研修(研究)主任に抜擢され、苦労しながら学んだことを紹介しました。次回は研究校に異動になり、さらに算数の授業づくりについて学んでいったことを中心に紹介していきます。
【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、2月9日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之