『教室と学校の未来へ』刊行記念特別企画|ポストコロナ時代の学校のイノベーション【東京大学名誉教授・佐藤学】

東京大学名誉教授・佐藤学氏の最新著作「教室と学校の未来へ」が小社より発売となりました。テーマは「未来の学校」と「未来の教室」を創る学びのイノベーション。発売を記念し、第一部冒頭の「ポストコロナ時代の学校のイノベーション」を全文公開します。10月7日には佐藤氏のオンライン講演会の開催も決定しました。ぜひ、ご参加ください。

ポストコロナ時代の学校のイノベーション

時代の中の教育

日本の教育、学校、授業、学びにとって喫緊の課題はイノベーションである。日本の教育はイノベーションにおいて、世界各国と比べて25年の後れをとることになった。1989年の冷戦構造の崩壊後、グローバリゼーションが一挙に進行し、どの国においても政治、経済、産業、教育のイノベーションが急速に進展した。しかし、33年前の日本は世界一経済が成功していた国であり、バブル経済の真っただ中で、危機認識がまったくなく、あらゆる分野のイノベーションが実施されないまま放置されてきた。その結果30年以上にわたって、日本の経済、産業、社会、教育は凋落の一途をたどり、経済成長率では世界最低レベル(コロナ直前で世界170位)、教育改革も最も遅れた国の一つになっている。ベルリンの壁の崩壊以降、世界の学校と教室は歴史的転換を遂げ、ほとんどの国において150年前に成立した教師中心の一斉授業の教室は姿を消し、学習者を中心とする探究と協同の学びの教室へと変化した。

しかし、日本の学校と教室のイノベーションは、諸外国と比べて25年ほど後れをとってきた。授業と学びのイノベーションが後れをとっただけではない。33年前には世界トップ30社のうち21社が日本企業であったが、現在、日本企業はトップ50社のうちトヨタ1社が49位にあるのみである。この30余年、世界各国のGDPは平均4.0倍に成長したが、日本のGDPはわずか1.6倍しかならず、各国の実質賃金は1.5倍から10倍に上昇したが、日本の労働者の実質賃金は年々低下し続けている。歯止めがかからない円安は日本経済の凋落の証しである。すべて政治、経済、産業、教育のイノベーションを怠った結果である。そこに新型コロナ・パンデミックが襲った。しかも、各国はすでにパンデミックから脱しているのに、日本では感染は収束しておらず、今なおパンデミックから脱することができない見通しである。

教育においてもイノベーションの怠りによる凋落は著しい。日本の公教育費は対GDP比で世界138位に転落している(2020年)。日本の大学進学率は、短大を含めても世界44位(2020年)まで落ち、大学院進学率はOECD38か国中29位である。最も深刻なのは教師の教育水準である。世界の教師の約3分の1が修士号を取得するか、大学院レベルの教育を受けているが、日本の教師の修士取得率は小学校で5%、中学校で9%、高校でも20%以下で、世界最低である。

学校教育におけるイノベーションの遅れは、教室の机配置を見れば一目瞭然である。机が黒板に向かって一列に前向きに並んだ19世紀型の教室が、今も残存しているのは日本とアフリカ南部と北朝鮮と中国と東南アジアの農村部ぐらいだろう。世界の教室は、20年以上前から、21世紀型の教室配置(小1、2はコの字、それ以外は4人グループ)で、学習者中心の探究と協同の学びを実現している。

新型コロナの最大の犠牲者は子どもたち

新型コロナによる学びの損失(learning loss)は深刻である。パンデミックによって、本来達成すべき学びの質量と比べて、途上国と中位国において30%、先進国でも17%から20%の学びの損失が生じた(ユネスコ、ユニセフ、世界銀行)。日本の場合、学校閉鎖の期間は先進国の平均レベルであったが、学校の閉鎖期間にオンライン授業が行われなかったこと(小中学校の5%のみ実施)、開校後の学びの規制がどの国より厳しかったことにより、学びの損失は大きかったと想定される。さらに日本では、感染対策で一斉授業に戻したことによる損失も大きい。

それらに加えてICT教育による学びの損失も考慮しなければならない。どの国でも学校閉鎖期間にICT教育が積極的に活用されたが、開校するとコンピュータやタブレットは学校から姿を消した。しかし日本では、学校閉鎖の間はICT教育が使われず、開校されてから過剰に使われるという奇妙な現象が起こった。通常の授業におけるコンピュータの活用には注意しなければならない。PISA調査委員会が2015年の調査報告書で示したように、学校でのコンピュータ使用時間が長ければ長いほど、学力は低下する。さらにマッキンゼーが2020年に行った調査報告では、コンピュータは一人一台端末で使用したとき、最もダメージが大きく、教師と生徒が共に使った場合もダメージがあり、教師が一人で使用したときにのみ効果が認められるという。コンピュータは深い思考や探究には適しておらず、学びを個人化するため、学力の低下を招くのである。日本の場合、学びの規制に加え、コンピュータの過剰な活用による学びの損失も大きいことが推定される。

他方、新型コロナ下において、第4次産業革命は加速度的に進行した。世界経済フォーラムの報告によれば、2025年までに世界の労働の52%が人工知能とロボットに置き換わるという。現在12歳の子どもが将来就く仕事の65%は、今存在しない仕事、すなわち現在の労働よりも知的に高度な仕事になる。すべての子どもに知的に高度な探究と協同の学びを実現し、生涯にわたって学び続ける基礎を提供しなければならない。

さらに新型コロナのインパクトとして、子どもたちの経済格差の拡大についても認識しておく必要がある。新型コロナ以前から日本の子どもたちの経済格差はOECD加盟41か国中ワースト8位であった。経済格差は、パンデミックによって、いっそう拡大した。特にシングルマザーの半数以上は貧困層であり、新型コロナ下で3分の1以上が失業を経験し、3分の1が一日に一食もとれない日々を経験している。

学校と教室のイノベーションへ

日本の政治、経済、産業、教育の凋落が深刻化する時代において、子どもたちの現在から将来にわたる幸福をどう実現すればいいのだろうか。すべてが閉塞した時代状況において、教育の希望を見出すのは容易なことではない。ユニセフの研究所の報告(2022年)によれば、日本の子どもの精神的幸福度は調査対象国38か国でワースト2位である。どんなに困難であろうとも、子どもたちの幸福を実現する教育のイノベーションは急務である。

教室と学校の未来を拓く指標として、以下の諸点を喫緊の課題として提示したい。

学びのイノベーションを追求する教師たち。

第一に学びの損失を回復し学びのイノベーションを遂行するために、19世紀型の教室からいち早く脱し、21世紀型の教室への転換をただちに実施しなければならない。黒板に向かって一列に机が配置された教室で、21世紀型の探究と協同の学びを実現することは不可能である。新型コロナの学びの規制によって、もともと諸外国と比べて25年後れだった日本の授業と学びのイノベーションは、さらなる後れを生み出している。このまま放置すれば、子どもたちの多くが将来仕事に就けない状況が生み出されるだろう。

第二に、教師の仕事の再定義を行う必要がある。19世紀、20世紀の教師は「教える専門家」だったが、21世紀の教師は「学びの専門家」である。30年前までの教師は、教材研究を行い、発問と板書を計画し、指導案を作成して授業を行っていたが、現代の教師は、学びの課題をデザインし、探究と協同をコーディネートし、学びを観察して判断するリフレクションを仕事の中心としている。学びのデザインとコーディネーションとリフレクションが現在の教師の仕事である。この「教える専門家」から「学びの専門家」への転換を行わない限り、教師たちが学びのイノベーションを遂行することは不可能である。

第三に、学校の組織と経営のイノベーションを達成する必要がある。かつての学校は官僚機構の末端であり、工場システムの経営(分業による運営)が行われていた。しかし、21世紀の学校は専門家共同体として自律性を確立し、専門家の学習共同体(professional learning community)を標榜している。日本の学校はこの要請に逆行していると言えるだろう。50年前と比べて、教師の個人研修の時間は3分の1、校内研修の時間は5分の1に激減し、教師たちは雑多な会議と雑務の集積によって長時間の労働に追い込まれている。学校の組織と経営のイノベーションによって会議と雑務を廃止もしくは減少し、学校経営の中心に校内研修をおいて、学びのイノベーションと教師の学びを推進する専門家共同体としての学校へと転換する必要がある。

第四は、市町村教育委員会の自律性の構築と改革ヴィジョンの作成である。21世紀の学校は、地域共同体の教育と文化のセンターとして再生されなければならない。地方分権の時代である。市町村教育委員会は、それぞれの地域共同体の教育と文化の未来を構想する自律的なヴィジョンと政策を創発すべきである。

市町村教育委員会が都道府県や文部科学省の末端組織として業務を行う限り、日本社会や経済の凋落に呑み込まれ、学校の未来も地域社会の未来も拓かれることはないだろう。市町村教育委員会と学校と市民とが協同で、子どもたちの幸福を実現する学びのイノベーションを実現し、地域社会の未来を拓く創意的なヴィジョンを掲げて、市町村独自の教育改革を推進しなければならない。

この創意的な挑戦がない限り、学校の未来も地域社会の未来も子どもたちの未来の幸福も実現することはないだろう。すべてはイノベーションの実現にかかっているのである。


佐藤学(さとう・まなぶ)
1951年広島県生まれ。東京大学名誉教授。北京師範大学客員教授、教育学博士(東京大学)。東京大学大学院教育学研究科元科長(2004年―2006年)。エル・コレヒオ・デ・メヒコ招聘教授(2001年)、ハーバード大学客員教授(2002年)、ニューヨーク大学客員教授(2002年)、ベルリン自由大学招聘教授(2006年)を歴任。全米教育アカデミー(NAE)会員。日本学術会議第一部(人文社会科学)元部長。日本教育学会元会長。アメリカ教育学会(AERA)名誉会員。世界教育学会(WERA)創設理事、アジア出版大賞(APA)大賞次賞(2012年)。明遠教育賞(2019年中国)。主要な著書が、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)、韓国語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、インドネシア語、ベトナム語、タイ語に翻訳されて出版されている。


新刊『教室と学校の未来へ~学びのイノベーション』

第一部 新型コロナパンデミック下の学びのイノベーション
第二部 学びのイノベーションの理論と提言
第三部 学びのイノベーションのグローバル展開
新型コロナ下での著者の学校支援、国内外の学校訪問を通して見えてきた「未来の学校」「未来の教室」の姿を描き、学びの共同体の改革を支える基本理論を提示します。

著/佐藤 学 小学館/刊
定価1540円(税込)


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