特別インタビュー|日野田直彦 海外の大学への進学と格差社会の関係は?

特別インタビュー
格差社会を解消できるのは学校の先生だけ
負の連鎖を断ち切るために先生たちはチャレンジを

厚生労働省が2023年7月に公表した国民生活基礎調査によれば、18歳未満の相対的貧困率は2021年の時点で11.5%でした。3年前の調査結果(14%)に比べると改善してはいるものの、いまだに9人に1人の子供が貧困状態にあります。特に、ひとり親世帯においては44.5%の子供が貧困状態にあります。
学校の先生なら誰でも「家庭の経済格差が、子どもの学力格差・教育格差を生む」ことをご存じでしょう。格差問題はずっと前から問題視されてきたにもかかわらず、解消されるどころかむしろ固定化し、将来に夢や希望を描けない子供たちを増やし続けています。この問題を放置せず、学校にできることはないのかを改めて考えてみるために、格差解消のための学校経営に精力的に取り組んできた日野田直彦氏にお話を聴きました。

日野田直彦氏

日野田直彦(ひのだ・なおひこ)
1977年大阪府生まれ、幼少期をタイで過ごし、帰国後は同志社国際高等学校で帰国子女として欧米の最先端の教育を受ける。大学卒業後は、進学塾、私立中高の新規立ち上げ、公立・私立の校長などを経験。36歳で校長になった大阪府立箕面高等学校では、地域で4番手の普通の高校の生徒が海外の大学に多数進学し、注目を集めた。また、武蔵野大学中学校・高等学校を定員割れで倒産寸前の状態から、学校説明会に毎年のべ1万人以上の親子が参加する学校へと改革した。2022年には、募集を停止していた千代田高等学院の中学校を、千代田国際中学校として再開し、学校再建のロールモデルの構築に取り組んできた。

海外の大学へ生徒を進学させてきた理由

おそらくみなさんは私のことを、「東京大学よりも難しい海外の大学へ生徒を進学させることができる校長」として、認識しているのではないかと思いますが、私がなぜそのようなことをしていると思われますか。

別に優秀な生徒を集めてエリート教育をしたいわけではありません。そうではなく、日本社会にある貧富による格差をなんとかしたいと思っています。

今の日本では、経済的に恵まれた階層に生まれた子供だけが特定の知識をつけることができ、豊かになれます。その一方で、恵まれていない階層に生まれた子供は体験もチャンスも圧倒的に不足し、そこから抜け出せなくなっています。人々がチャレンジする機会を奪うような社会は、停滞しか生みません。もっと社会的流動性が高いほうが、クリエイティビティが高まって、社会全体が良くなるはずです。だからこそ、格差を放置しては絶対にいけない、と私は考えています。

格差について考えるようになった原点は、タイにあります。私は父親の仕事の関係で、小学校時代の後半をタイで過ごしました。約40年前のバンコクは貧しく、目の前で人が亡くなるのを何回も見ました。あまりにも大きな貧富の差を目の当たりにして、子供ながらに「世界はどうしてこんなことになっているのだろう」と疑問を感じたのです。その後、帰国し、関西で暮らす中で、この国にも同じような状況があると知り、格差をなんとかしたいとの思いから教育の道を選んだのです。

ただし、私が志す教育は、うまい授業をすることを目指すものではありません。ジャイアントキリングです。これはスポーツの試合で下位の者が上位の者に勝つことを意味する言葉ですが、要は「番狂わせ」です。弱者がひっくり返すことをテーマに、ずっと教育に関わってきました。

ですから、私はあえて、危機的な状況になっている学校に積極的に関わりを持つようにしてきました。経営がうまくいかず潰れかけた学校、偏差値が「ない」と言われた学校などです。偏差値が「ない」とは、つまり、判定不能ということであり、入試のときに解答用紙に名前を書けば合格できるような学校です。

海外の一流大学に進学できる高校といえば、多くの方の頭には、いくつかの有名な私立高校の名前が浮かぶと思います。しかし、私は偏差値が「ない」学校の、裕福でない家庭で育った生徒を海外に進学させることに価値があると思うのです。

もちろん、生徒が海外で成功したら、それで終わりではありません。私の願いは、生徒が今の環境から飛び出し、再び戻ってくることです。海外で得たお金と人脈を持って帰ってきて、その地域に還元してほしいのです。そして、私がその生徒に対してしたことを、次の世代の子供たちにしてやる、そういう循環のことを、海外ではペイフォワード(Pay it forward)と言います。日本語にすると「恩送り」なのかもしれません。そのような循環を繰り返し、社会の流動性が上がることで、楽しくチャレンジができる社会になってくれることが、21世紀におけるWell-Beingを叶えていくと信じております。これから教え子たちが何をやってくれるのかと楽しみにしています。

だからこそ、私はあえて危機的な状況の学校へ飛び込んでいくのです。

①「自分には無理」というマインドセットを変える

そうやって飛び込んでいった先の学校で、生徒たちに対して、私がどんな教育を行ってきたのか、その一端をご紹介します。校長として重視していることは三つあります。

一つ目は生徒たちが「自分には無理」とあきらめている、そのマインドセットを変えることです。

この国で格差が拡大し続けているのはなぜだと思われますか。その要因の一つは、おそらくみんなが「こうあるべき」のような考え方になっているからです。元々日本は松下幸之助さん、本田宗一郎さんなどが出てきた国ですから、あえて言葉を選ばずにいうと、昔は変態的な人がたくさんいたと思うのです。ところが、バブル期の成功体験が1つのモデルになって「こうあるべき」とみんなが決めつけるようになり、そこから外れる人は攻撃を受けるようになりました。子供に対しても「この子たちにはこの程度のことしかできない」と、大人たちがレッテルを貼るようになりました。その結果、裕福でない家庭の子供たちは「どうせ無理」だと最初からあきらめてしまうため、社会階層の固定化が進んでいきます。そのマインドセットを外すのです。

私が決定的にみなさんと違うのは、タイで育った経験を踏まえて人を見ていることです。

そもそも「偏差値」とは何なのでしょうか? いわゆるペーパーテストを作業としてこなす力(認知能力)を測るものとしては一定程度機能していますが、内面的な動機付けや目的意識など、潜在的な力(非認知能力)を測ることはできていません。そのため、内面がどうあれ、訓練をし、作業をきっちりできれば偏差値は上がります。あえて厳しい言葉を使えば、日本人は「学力偏差値55でも、内面は不明(ないしはロボット)」、タイ人は「学力偏差値は28でも、パッションは偏差値65」が多く見られる現状かもしれません。

日本で偏差値28の生徒は単に好き嫌いの問題で、勉強をしなくなっているだけです。そもそも日本人は基本的なスペックが高いと感じます。しかも根が真面目なので、タイミングと教員の声かけ次第で、大きく変われる可能性を秘めています。

私が中高学園長をしていた武蔵野大学中学校・高等学校は偏差値が「ない」ところからスタートしました。学園長になって一年目に、私は少し緊張しながら生徒たちにこんな話をしたことがあります。

「今の君たちには偏差値がない。周りの人からバカにされて、自分でも『このぐらいの力しかない』と思っているかもしれないけれど、本当は違う。来年の夏、ボストンキャンプをして、ハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)へ連れて行く。君たちの人生を変えてみせるからついてきなさい」

偏差値が「ない」学校の生徒たちは、同時に、経済的に厳しい家庭で育っている生徒たちでもあります。キャンプの参加費を捻出するのは大変だったろうと思います。なんとか保護者がお金を工面してくれてボストンキャンプに参加し、2週間徹底的に鍛え上げられた結果、生徒たちは大きく変わりました。ハーバード大学の優秀な人たちからほめてもらったり、「一緒にビジネスをしよう」などと言ってもらったりしたことで、生徒たちのテンションは一気に上がり、偏差値が「ない」学校の生徒には見えなくなりました。そして、生徒たちは「英語さえできたらもっと話ができたのに」と思い、日本に帰ってきてから勉強を始めたのです。英語は言語ですから、頭の良し悪しよりも勉強の量が大事です。勉強した分だけ点数が伸びますので、適切なステップを刻んで集中して勉強した結果、TOEFL(トーフル)で100点を超える生徒もでてきました。彼らは若いだけに変化が速いのです。マインドセットを外し、1度心に火がつくと、とことんまで走っていきます。

②パーパスに気付かせる

私が重視していることの二つ目は、生徒たちに内発的な動機付けをすることです。具体的には、自分のパーパス(purpose)に気付くことが重要だと考えています。

パーパスとは、「目的」、「目標」などと訳される英語ですが、「何かが存在する理由」「何かがなされる理由」などの意味もあります。「存在意義」「天命」「使命」のほうがぴったりくる言葉です。つまり、毎日嫌だなと思いながら、先生や保護者から言われたことをやるだけでぼんやり過ごすのではなく、何をするときでも「なぜそれをやっているのか」、「なんのためにやっているのか」という問題意識を持って行動することが重要なのです。そうすることで自分は何者なのか、何をしたいのかが明確になり、情熱を傾ける対象を得てモチベーションが上がります。

パーパスは、幼稚園でも、小学校でも中学校でも、高校でも関係ありません。私は塾で教えていたことがありますし、過去に幼稚園から小中高大、すべての階層の面倒を見たことがありますが、何も変わりません。何歳であっても、その年齢なりのパーパスに気付くことができます。例えば、最初は小さなことでいいのです。みなさんも子供のころ、おばあちゃんから「隣の人が困っていたら助けてあげなさい」と言われたのではないでしょうか。それと同じで、隣の人が困っていたときにどうしたらいいのか、自分がクラスにどうやって貢献できるかなどを考えることから始めます。そして、誰かの役に立つためには、勉強しないと問題を解決できない、というストーリーに常に乗せ続けることが重要です。

世の中には困っている人がたくさんいますから、学ぶテーマはたくさんあります。その部分に目を向ける教育をしていくことで、身近な問題だけでなく、社会問題を解決するために勉強するようになっていきます。このような貢献の連鎖が世界を変えるのです。

また、パーパスは、世界に通用する考え方でもあります。例えば、海外の大学の入試で重要なのはエッセイです。ハーバード大学の入試問題では毎年同じことを聞いています。

「ハーバード大学の使命は、学生を市民に、そして社会のリーダーに育てることです。この使命に取り組むクラスメイトのためにあなたはどんな貢献をすることができますか」

みなさんもおわかりのように、これは日本の大学の推薦入試の小論文で求められる内容とは大きく異なります。海外の大学では、「なぜその大学で勉強したいのか、自分は何者で、何をしたのか、何ができるのか」、つまり、パーパスが問われます。面接で「この大学で○○を勉強したい」と答えてもおそらく不合格です。「あなたはこの大学でどんな貢献ができるのか」という問いに自分の言葉で答える必要があります。

私が武蔵野大学中学校・高等学校の中高学園長になった2018年4月時点では偏差値が「ない」学校であり、9年で5人も校長が変わり、倒産寸前の状態でしたが、そこからV字回復し、2021年度はアメリカの大学へ進学した生徒が3人おり、他の国々にも多くの生徒が飛び立っていきました 。彼らは社会に貢献したい、自分がこれまでお世話になった人たちに還元したい、という想いを強く持っています。何のために生きるのか、つまり、パーパスを考えることは、偏差値が「ない」学校の生徒でも、2、3か月間自らの使命に気付くようなトレーニングすれば、ちゃんとできるようになります。

③チャレンジできる学校をつくる

重視していることの三つ目は、生徒が安心してチャレンジできる学校をつくることです。私は生徒がチャレンジしても誰も否定しないで、失敗した生徒がいたら、みんなで応援しまくる学校をつくろうとしてきました。「失敗した人間を叩く奴は人間じゃない」、「人を叩いたら全部自分に返ってくる。因果応報だから、叩くのではなくハグしてあげなさい」といつも生徒に話していました。

そのせいか、私が学園長をしていた学校へ行っていただくとわかりますが、一般的な日本の学校よりも生徒たちが柔らかい、と感じてもらえると思います。そして、周りをちゃんと見ています。誰か困っている友達がいないかを常に探していて、見つけたら声をかけるのがうまいですし、困っている友達の話を聞いてあげるのもうまいです。逆に、困っているときに、「困っている」と言えるようになってきました。

日本では、Yes Butがよく使われます。「いいね。だけど……」と相手の意見を肯定した後に、必ず否定する意見を述べます。私は先生たちが生徒に対して「だけど」という言葉を使うことを禁止していました。それを言われた生徒は、モチベーションが下がるからです。先生たちは問題点を指摘する癖がありますが、他者を否定することは人権侵害になるから禁止だと言い続けました。基本的にYes Andという「いいね。どんどんやろうよ」と、そういう会話を徹底してください、とお願いしたのです。そう言われると生徒たちは気持ちよくなってきます。若いときぐらい、調子に乗ったほうがいいと思うのです。

先生たちはもっと遊んでいい

また、生徒が変わったのは、先生たちの内面が変わったからでもあります。

武蔵野大学中学校・高等学校へ着任する前に、先生向けの講演会に呼ばれて行ったときに見た光景を、今でも覚えています。先生たちが全員下を向いて座っていたのです。おそらく、これまでにいろいろな手法を試してみて、いろいろな改革を行ってもすべて失敗に終わってここまで来ているからでしょう。その姿はとてもつらそうでした。

学校の先生たちはみんなそれぞれ、アカデミックな得意技を持っています。それを、子供の成績を伸ばすためだけに使うから、みんなやる気を失っていくのです。私は目の前の先生たちに言いました。「もう受験のための授業はやめましょう」と。

なぜなら、これまでにあれこれ頑張ってみても、偏差値は上がらなかったからです。「これ以上落ちたらどうするんですか」と言ってくる方も当然いましたが、私は「多分、これ以上はもう落ちないですよ」と答えました。そして、「先生たちが本当にしたかった授業をフルパワーでやってください。ご自分の好きな話を授業の中の10分間でもいいからしてください。そうすれば、それに反応する子供たちが勝手に勉強します」と話しました。

教師とは、生徒に生き様を見せ、背中で語る仕事だと思うのです。自分の好きなことを楽しそうに話す先生たちを見たら、生徒は「あの先生みたいになりたい」と思い、自分から勉強するはずです。ですから、先生たちはもっと遊んだほうがいいのです。それを保護者のみなさんにも理解していただきたい、と心から願っています。

そのために、夏休みにたくさん行われていた講習会をやめました。最初は参加する生徒が多くても、だんだんやる気をなくし、来なくなっていたからです。これはどの学校でも見られる風景ではないでしょうか? そのかわり、2週間すべての先生たちに休んでもらうことにしました。特に若い先生には「海外旅行へ行って遊んできなさい」と言ったところ、女性3名がアフリカなどへ出かけました。帰ってきてから、授業の中でアフリカ旅行の思い出話をするわけです。それを聞いて生徒たちは喜んでいましたが、一部の保護者からクレームが来ました。そこで私は聞いてみました。

「先生方がブラック企業のようにつらそうに働いていたら、生徒たちは大人になってもおもしろくないと思うでしょう。先生たちがキラキラしていたほうがいいと思いませんか? つらそうな先生が面倒くさそうに授業をする学校と、ちょっと授業が下手なところもあるかもしれないけれど、キラキラしている先生がたくさんいる学校、どちらがいいですか?」

保護者が「後者の方がいい」と答えてくれたので、「それでしたら、あの先生はサボッているなどと、文句を言わないでくださいね」とお願いしておきました。

格差社会が続く要因の一つは学校にもある

この国で今も格差が拡大し続けている要因について、先ほど「こうあるべき」という考え方の存在をお伝えしましたが、その他にもあります。

まず、貧困家庭で育った子供が成長すると貧困家庭をつくる、という負の連鎖を断ち切れない現状に対して、今の保護者はあまり関心がないことです。

昭和の保護者たちは裕福ではなくても、子供のためによりよい教育を施したいと願ってお金をかけたのですが、今は子供にお金をかけなくなりました。自分の欲望を満たすことにお金をかけています。そんな親の姿を見て子供は育ちますので、その子が親になっても同じことをします、そういう循環ができています。

もう一つは、貧富による格差を解消するという機能を学校が失ってしまったからです。私はかつて、困難を抱える子供が通う学校や塾で教員として働いていましたので、夜中に子供を探し回ったこともあります。見つけた子供を家に送り届け、寝ていた母親を起こして叱りつけたこともあります。また、様々な教育支援のお手伝いをしているときには、悪さをして少年院に行った教え子もいますので、何度か身元引受人になったこともあります。

それでも私の教え子の1人は少年院を出て更生し、大工になって厳しい棟梁の元で働きました。今では独り立ちをして年収1000万円以上を稼いでいます。

めちゃくちゃなことをしていた子供たちが社会的に自立するためのサポートをしてやることこそが、学校が持つ、貧富の格差を解消するための機能だと思うのです。しかし、残念ながら今はそれが機能しなくなっています。

そうなったのは、学校が法律で守られていないからです。何か問題が起これば全部学校のせいになります。それを避けるために、先生方が守りに入ってしまうのは仕方のないことです。その結果、格差によってつくられた生徒の序列から、パワフルな先生が生徒を引き上げることがやりにくくなりました。もしもそれをしたら、周りの先生から非難されますし、保護者からも「あの子にだけなぜ声をかけるのか」と言われるでしょう。

さらに、今は「みんなでこれからの社会を良くしよう」という雰囲気ではなくなっています。むしろ誰かの欠点を指摘して引きずり下ろす世の中になっていて、特に学校の先生は世間の非難を一手に引き受けています。

しかし、この国の未来のためには、このまま格差が広がるのを黙って見ているわけにはいきません。学校の機能を復活させることはできるはずです。

そのために、先生方に改めて考えてみてほしいことがあります。

何のために教師になったのですか?

みなさんは何のために教師になったのですか? 経済的に恵まれない環境で育っている子供たちを、なんとか救い上げられるかもしれないから教師になったのではないのでしょうか?

私の考えを支持してくれる先生方には、「貧富の格差を解消できるのは学校の先生しかいないのだから、地域で1番の生徒指導困難校に行かなかったら意味がないだろう」と言っています。しかし、多くの先生方は「成績のいい子供を教えたい」と言います。それならば、塾の先生になったほうがいいのではないでしょうか。

「よりよい教育をしよう」となったときに、どうしても日本の教育議論は、授業の手法論になりがちです。そのせいか、今の先生たちはとても丁寧に細かく教えていますが、私の経験からいって、うまい授業をすればするほど、子供はどんどんダメになります。授業は少々手を抜いてもいいのです。本人が学びたい、何かをやりたいと思ったときに、適切なマイルストーン、つまり、中間目標地点を示し、マラソンの伴走役のような形でついていくのが、学校の先生の役割でしょう。

「百ます計算」をみなさんもご存じだと思いますが、あれはそもそも、家庭環境が荒んでいて家では勉強できない子供のために、学校で学習を完結させようとして岸本裕史先生が考案したものです。今、先生方が考える必要があるのは、うまい授業のやり方ではなく、家庭環境に左右されないための教育をどうしたらいいのかです。

本来、先生は子供が貧困から脱する手助けをするために存在していると、私は信じています。そのために先生たちにできることはたくさんあります。あえて大変なこと、みんなが無理だと言っていることにチャレンジする先生方が増えてくれたらいいと願っています。

負の連鎖を断ち切るための校長の役割とは?

負の連鎖を断ち切るためには「自分には無理だ」と諦めてしまっている子供たちに手を差し伸べる必要があり、それができるのは学校しかありません。

子供たちはみんな、何か光るものを持っているはずです。保護者の所得が低くても、パーパスに気づき、生徒自身のスイッチが入れば、勝手に勉強をし始めます。その際に教員が定期的なマイルストーンを設定していくだけで、東大を超えるような海外の大学にも入れます。子供たちの無限の可能性を切り開いてやれる、素晴らしい、崇高な仕事に私たちは関わっています。

生徒のスイッチを入れるのがどれだけ難しいことかは重々承知していますが、そのきっかけをつくることができるのは、校長先生だけです。まずは教職員の心に火をつけ、みんなで一緒に生徒たちをサポートする体制をつくることから始めてみるといいと思います。そして、子供たちが変わっていく様子を見て喜びを感じてもらえたら、きっとやめられなくなります。「教員をやっていてよかったな」と思えるはずです。

ただし、保護者が先生たちを応援してくれないと、先生方は怖くて動けないでしょう。私はよく保護者会やPTAの役員会などで、先生たちを応援してほしい」と話しています。最初はいろいろ言われると思います。私自身、「あいつは調子に乗っている」などと言われますし、足を引っ張る人も出てきます。それでも校長先生が保護者に言い続けていくことが大切です。そうやって、頑張っている先生をみんなで応援する社会へと変えていきましょう。

取材・文/林 孝美

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