「自己肯定感」は偉人への憧れから ー「叱らず」に「ほめる」教育批判ー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第30回】

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野口芳宏「本音・実感の教育不易論」
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植草学園大学名誉教授

野口芳宏
「自己肯定感」は偉人への憧れから ー「叱らず」に「ほめる」教育批判ー【本音・実感の教育不易論 第30回】

教育界の重鎮である野口芳宏先生が60年以上の実践から不変の教育論を多種のテーマで綴ります。連載の第30回は、【「自己肯定感」は偉人への憧れから ー「叱らず」に「ほめる」教育批判ー】です。


執筆
野口芳宏(のぐちよしひろ)

植草学園大学名誉教授。
1936年、千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒。小学校教員・校長としての経歴を含め、60年余りにわたり、教育実践に携わる。96年から5年間、北海道教育大学教授(国語教育)。現在、日本教育技術学会理事・名誉会長。授業道場野口塾主宰。2009年より7年間千葉県教育委員。日本教育再生機構代表委員。2つの著作集をはじめ著書、授業・講演ビデオ、DVDなど多数。


1 敗戦によって消された軍人と武将

全くの私見であるが、敗戦後の教科書や教育、あるいは教室から消えた話題、または人物に三つ、三種がある、と考えている。

軍人、武将、皇室がそれである。敗戦によって平和国家、民主国家になる大きなうねりの中では、旧来の日本人の誇りや良さまでも否定、破壊、抹殺する必要があったからであろう。

そのことによって、「よくなった」という点も少なからずあったに違いない。だが、同時に失ってはならぬものまで失った点も見逃してはなるまい。一例を引く。

私は海軍士官候補生のとき、私の前を通った偉大な提督東郷の姿を見て全身が震えるほど興奮をおぼえた。そして、いつの日かあのような偉大な提督になりたいと思った。
東郷は私の師である。あのマリアナ海戦(大東亜戦争)の時、私は対馬で待ちうけていた東郷のことを思いながら、小沢(治三郎、後の連合艦隊司令長官)の艦隊を待ちうけていた。そして、私は勝ったのだ。東郷が編み出した戦法で日本の艦隊を破ったのである。

上は、『東郷平八郎』(岡田幹彦著、展転社刊)12ページからの引用であり、語っているのはアメリカ海軍の司令官だったニミッツである。

「以来、ニミッツは東郷の人物に深く感動して東郷を終生の師と仰ぎ、彼のごとき海将にならんと固く心に誓った。ニミッツはこう言っている。」(前掲書P.12)

として先の言葉が紹介されている。

「かつて世界の三大海軍国と言えば、英、米、日であり、その三大国を代表する海将がネルソン、ニミッツ、東郷であった」

とも同書に紹介されている。ネルソンについては、

「1805年のトラファルガー海戦でフランス・スペイン両国連合艦隊を破り、これよりイギリスが世界の海と最大の植民地を支配するに至る基礎を築いた人物である。」

とあり、続いて

「ネルソンはイギリスの誇る世界的英雄であり、ネルソンの名を知らぬ人は世界にない。(中略)だが、ネルソンとともに東郷が、世界の海軍提督中最も偉大なる海将であることは、世界の公論であり、この二人より一人だけ選ぶとするなら、それは東郷にほかならぬことを果たして日本人はどれだけ知っているであろうか。つまり東郷は、古今東西を通じて世界第一の海軍提督として全世界の認める人物なのである。」

と岡田幹彦氏は述べている。

言うまでもなく東郷平八郎元帥は、日露戦争の日本海海戦においてバルチック艦隊を破った英雄である。もし、あの海戦に日本が敗れていたら、日本はどうなっていただろうか。今もって北方領土返還は何らの前進、好転もないままであることを引くまでもなく、日本の国土の大半はロシア領になっていたに違いない、と私は考えざるを得ない。東郷元帥の大恩は語るに余る。

自分の命をかけて国家を守るのが軍人の本務であり、そのような職業は軍人の他にはない。軍人は、国家の大恩人なのだが、今の時代かかることを言うには、随分勇気が必要な不思議な世相である。

一流の軍人は、国家の命運を担う逸材であり、心身、学業ともにずばぬけたレベルの人でなければ務まるものではない。当面の戦争の勝敗のみでなく、識見、判断、勇気、綿密かつ冷静な思慮など全ての総合力がその人を形づくる。時代の新旧、古今を問わず勝れた軍人、武将の功績は、教育の中で特筆すべき人物として子供たちに伝えていかねばならないと私は考えている。

2 「自己肯定感」の低下対策批判

今回述べようとする中心テーマは、「日本人としての誇り」「日本人としての自覚のあり方」といったことである。ここのところ、巷間とりわけ学校でよく耳にする言葉に、「自己肯定感の低下」という問題がある。

内閣府のホームページには「日本は諸先進国に比べて自己肯定感が低い」とあり、その調査データ(平成26年版)が載っている。「自分自身に満足している」という感情が80%台という国は米、英、仏、独であり、70%台が韓国、スウェーデン、日本は46%と低い。成程と思う。

自己肯定感の高い子供の特徴は、

ア 他者を尊重する。相互交流力が高い。
イ 自分の感情の調節ができる。
ウ ポジティブでプラス思考。
エ 万事に意欲的で肯定的に取り組む。
オ 失敗を恐れず挑戦できる。
カ 落ちこまず、比べず、幸福度が高い。

と、よいことずくめである。この反対を考えれば、「自己肯定感の低い」日本の子供の問題は、放ってはおけない。

そこでどうするかという対策として、「ほめることによって自信を持たせる」、つまり「叱らない」「責めない」のがよいと書かれている。──この考え方は広く肯定され、実践されている。「叱らない教育」「ぶつからない指導」の類の書籍が多く出版され、よく売れているようだ。

それでよいのか。このまま広まっていってよいのか。

私は、このような「目先の対応」には懐疑的である。「叱らない」ことによって、「ほめる」ことによって生まれる「自信」などは、本物ではない。「叱られても」「ほめられなくても」「自分自身に満足する」ような子供こそが本物なのだ。叱られること、叱ってくださることは有り難いことなのだ。「叱られる」ことを、暗く、否定的に受けとめること自体が、「自己肯定感の低さ」を証すものだ。「見込みがあるから叱ってくれるのだ」という受けとめ方の教育こそを実践、具現していかねばなるまいと私は思う。

3 「日本人としての誇り」の恢復

自己肯定感の低さは、本質的には「日本人としての自信」「日本に生まれ、日本人であることの幸せ、誇り」という根本的な教育の欠如、あるいは貧しさこそが問題なのだ。私はそう考えている。前掲書の著者、岡田幹彦氏は前書で次のように書いている。

「近代日本はこれほどの世界的人物を生み出した。にもかかわらず、この事実に目をつぶり、これを知ろうとしなかったのが戦後の日本であり、長らく東郷について教えることを拒否してきたのが戦後の学校教育であった。」(P.13)

続いて次のようにある。

「平成4年(1992)より小学校社会科の教科書にはじめて東郷がとり上げられることになったが、それは当然なされるべきことがそうなったまでであり、これまでのとり扱いこそ全く異常そのものの世界に笑われるべきわが国歴史教育の非常識であったのである。」(P.13)

私は、岡田幹彦氏の発言に全く同感だ。「平和国家」という美名の下に、偉大な軍人や武将を「戦争の担い手」であったという一面のみによって、教育の世界から追い出すというのは愚挙である。

日本人には世界に冠たる軍人がいた。自分もその血を引く一人の日本人なのだ──という自覚に目覚めさせ、それによって深い自覚、強い自信、高い誇りを孕(はら)み抱かせることこそが、本当の意味での「自己肯定感」を育むことになるのではないか。

叱るべきことも叱らず、ほめるべきほどのことでもないのに、ほめて育てるなどという甘策によって育つ「自己肯定感」は、単なる「自分勝手」「わがまま」「世間知らず」を育てることにしかなるまい。そういうことによって子供時代を過ごして大人になったらどんなことになるか。書く気にもならないが、今の日本の社会が何よりも雄弁にそれを語り、示しているのではないか。

4 人格者としての東郷元帥の生き方

誤解をされては困るので記しておきたいが、東郷元帥が日本海海戦でバルチック艦隊を破った戦績のみを私は讃えているのではない。東郷平八郎という軍人が、どんなに人格的にも高潔であったかを含めて、私は子供らにそれらを伝えていきたいと考えているのである。

イギリスのネルソン提督が乗艦した旗艦ビクトリー号は、今なお母国のポーツマス軍港に当時と少しも変わらぬ状態で永久保存されている由である。

東郷元帥の乗艦していた「三笠」は、敗戦によって一時米軍のダンスホールに使われていたし、見るも無惨な扱いを受けた。それはちょうど東郷元帥が軍国主義の悪しき象徴として、教育や教科書の世界から見捨てられたのと軌を一にする。残念極まる事態ではないか。

この敗戦後の三笠の惨状を嘆き悲しみ、アメリカ海軍に働きかけて3千万円の大金をつくり、戦艦三笠の復元費に寄贈した米海軍の将官がある。海将東郷を終生の師と仰いだニミッツ元帥、その人である。その折に、ニミッツ元帥は、次の言葉を贈ってきた。

貴国の最も偉大なる海軍軍人東郷元帥の旗艦たる有名な三笠を復元する為に協力された愛国的日本人の全ての方へ最善の好意をもってこれを贈る。
東郷元帥の大崇拝者たる弟子
米国海軍元帥 C・W・ニミッツ

ニミッツ元帥は敵軍の将である。そのニミッツが、敵将東郷の旗艦三笠の復元に米国海軍を動かして巨額の費用を寄贈したのである。戦時は敵同士であるが、戦いが終われば本来の人に返る。ニミッツ元帥は実に立派な将軍であり、敬服の極みである。

同時に、そこまでニミッツを心服、尊敬させしめた東郷平八郎元帥という人物の豊かさ、大きさにさらに深い敬意を私は抱く。かかる英雄が曾(かつ)ての日本には数多く存在した。我々は、その日本に生を受けた日本人の血を引く民族なのである。

ついでながら、ニミッツ元帥の東郷元帥への尊崇が、いかに深いものであったかを物語るエピソードを添えたい。ニミッツは『太平洋海戦史』を著し、日本訳が出版された折の印税の全てを「アメリカ海軍の名において東郷神社再建奉賛会に寄贈したい」と申し出た。昭和39年神社の復興が成ったことを深く喜び、次の言葉を写真とともに寄せている。

日本の皆さん、私は最も偉大な海軍軍人である東郷平八郎元帥の霊に敬意を捧げます。

さらに昭和51年米国では、ニミッツの功績を記念して「ニミッツセンター」の建設を企画したが、その際、同センター理事長から「ニミッツ元帥は東郷元帥を生涯心の師として崇拝してきた。東郷なくしてニミッツを語ることはできないと信ずるので、本センターにはぜひ東郷元帥の顕彰も併せ行いたい」と、協力を要請してきた。日本側は喜んでこれに応じ、同センターは日米両海軍を代表する海将の記念館となった(以上は全て前掲書によった。深く謝意を表する)。

ニミッツ元帥も、東郷元帥も、ともに類稀なる逸材、傑物、英雄である。こういう人物の生き方を知り、敬い、憧れる心を育てるならば、本物の「自己肯定感」が自ずと生まれるのではないか。「ほめる」「叱らない」などという小手先のテクニックで育てられるのは、せいぜい「甘え」と「自己満足」レベルだろう。次回は「日本人の心」について述べたい。

執筆/野口芳宏 イラスト/すがわらけいこ

『総合教育技術』2019年9月号より

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