中高生とアート思考 「人の目が気になる年頃。子供のペースでの鑑賞を保障するには?」
中学・高校の美術教師として行ってきた授業内容を一般向けに書き下ろし、19万部突破のベストセラーとなっている『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)の著者・末永幸歩先生。今回は、中高生向けに行った鑑賞ワークショップを通し、思春期の子供たちと向き合う教師の「モヤモヤ」の解決策を考えました。図画工作科の授業づくり、学級経営にも役立つエッセンスをたっぷりご紹介します。
末永幸歩先生の「鑑賞ワークショップ」の詳しい内容はこちら⇒九州大学でのワークショップ〈アート思考を育むアート鑑賞vol.1〉
目次
中高生向けに行ったワークショップ概要(開催順)
●中学生・高校生対象の鑑賞ワークショップ(2022年9月23日)
一般社団法人 三島青年会議所(静岡県)主催で、地域の中学生・高校生を対象に開催。「アートが教えてくれる『自分らしい答え』の見つけ方」と題し、ヴァンジ彫刻庭園美術館にて末永幸歩先生による鑑賞ワークショップが行われました。
●中学1年生・2年生対象の鑑賞ワークショップ(2022年10月12日)
リベラルアーツ(※)教育に力を入れている姫路女学院中学校・高等学校。その「多様性を理解し、主体的に判断して行動するための学びを深める」プログラムでは、さまざまな分野の第一線で活躍する外部講師を招いてゼミを開催しています。この日、末永幸歩先生が招かれ、中1・中2の合同授業として姫路市立美術館にて鑑賞ワークショップを行いました。
※ 古代ギリシャ・ローマ時代の「自由七科(じゆうしちか/文法・弁証・修辞・算術・幾何・天文・音楽)」が起源とされる。従来の日本では、学士課程における専門分野を学ぶ前段階の一般教養を指したが、近年では、急速に変化する社会に対応する人材育成を目標に、実践的な知性や創造力を総合的に養う学問・教育のことを指す。
アート思考を育む鑑賞ワークショップの「進め方」と「ねらい」
末永先生が行う鑑賞ワークショップには共通する3つの「鑑賞の手立て」があります。
1.鑑賞(みる)
2.表現(つくる)
3.対話(はなす)
末永先生は、この3つの活動全体が「作品とのやりとり=鑑賞」である、と位置づけています。その「やりとり」はどのように展開していくのか、そして、そのねらいを伺いました。
1. 鑑賞(みる)
まずは、個人鑑賞です。一度しかない作品との”出会いの瞬間”を大切にするために、一人で鑑賞する時間を設けます。作品を見て感じたこと、考えたことなどを紙に書き出す「アウトプット鑑賞」をし、その後、少人数での対話に移ります。
《ねらい》自分なりのものの見方で見る
2. 表現(つくる)
作品鑑賞で感じたことを工作で表現します。ぼやっとした考えを形にする過程で考えが変化して広がっていく、”手を使いながら探究する”活動です。
《ねらい》自分なりの考えを深めたり、変化させたりする
3. 対話(はなす)
自分の感じたことを形(工作)で表現した上で、発表と対話に移ります。出来上がった作品を発表し、鑑賞や工作の過程で考えたこと、変化していったことを話します。ここでのねらいは2つあります。
《ねらい》
①自己の探究過程に目を向ける
工作の過程に着目して話すことによって、制作者自身が、自分のここまでの探究過程に目を向けることができます。
②新たな考えに出会う
他の人の話を聞くことで、自分とは違う新しい考えに出会います。
「工作作品は、あくまできっかけ」と、末永先生は言います。
「“構図や形は、こう考えた”というような、作品についての具体的な話ではなく、ここまで鑑賞したり工作したりした過程にフォーカスし、どんなことを考えていたか、どう変化したかを中心に話します。そして、“作品をより良くするためのディスカッションではない”ということを、はっきりと伝えています」(末永先生)
これら3つの活動は単独で機能するのではなく、全体のプロセスを通して「アート作品とのやりとり」がなされます。鑑賞者一人ひとりが「自分なりのものの見方」をもち、それが変化することを柔軟に受け入れながら多角的に捉え直し、見方や考えを磨いていくことにつなげます。
「見るだけが鑑賞ではないし、表現することでも鑑賞できるし、工作作品をもとに対話をしても鑑賞できます」(末永先生)
答えを作品の中から探し出す従来の観察的な鑑賞から、作品とのやりとりを通して自分の中にある答えを見つけにいく鑑賞へ。それを、「みる」「つくる」「はなす」を通してかなえるのが、末永先生流の鑑賞ワークショップです。
生徒同士の対話を生むにはどうしたらいい?
末永先生は、かつてヨーロッパの美術館を訪れた際に目にした光景を再現したいと願い、長年リベラルアーツの担当をされている先生から、このような質問を受けたそうです。そこでは、小学生くらいの子供たちが、作品を目の前に活発な対話を繰り広げていたとのこと。ところが、実際に学校で生徒を率いて美術館で鑑賞会を行っていても、思うような活発な対話がなかなか生まれないそうです。
これに対する末永先生の解決策は、ずばり、「個人での鑑賞を充実させること」。それが対話を生むということでした。
そもそも、なぜ作品を前にして対話が生まれたほうがいいのか——末永先生はこう語ります。
「対話と一言で言ってもいろいろありますよね。アート思考を育む観点では、ワーッと盛り上がって見える表層的な会話ではあまり意味がなく、対話の質を大切にしています。数人でお互いに気づいたことを話しながら見ることで作品の細部に気がつくこともあるかもしれませんが(観察的な鑑賞)、それは対話をしなくても、一人でもある程度できることです。
他の人と対話をする目的は、自分のものの見方を壊すことにあります。今の自分がしているものの見方と全然違うものの見方に出会い、自分のものの見方をゆさぶることに対話をする意味があるのです」(末永先生)
そのためにも、「ゆさぶられる」土台となる、自分のものの見方・自分の考えをもつことが先なのです。
「アート思考では、自分なりのものの見方を養うことを大切にしていますが、そのためには、逆説的ですが、自分のものの見方・考えを一回壊すことが肝心です。これ(壊してはまた構築する)を繰り返していくと、本当の意味で自分のものの見方に近づけるのではないでしょうか。ピカソの『全ての創造は破壊から生まれる』という言葉は、そういうことなのだと思います。
自分のものの見方を壊す新しい考えに出会うには、自分とは違う考え方をもった人と対話をすることが有効です。そう考えると、自分のものの見方ももっていない状態で対話を始めても、自分のものの見方をゆさぶるような対話はできません。なので、まずは一旦、自分のものの見方をもってみる、表現してみる。その上で対話をし、壊し、またそこから新しいものの見方や深まった見方が出てくる……という繰り返しができるといいと思っています」(末永先生)
同調圧力から子供を自由にするには?
中学生高校生といえば、友達の前でオープンに自分を表現するのに抵抗を感じたり、まわりの友達に合わせないといけないような同調圧力を感じたり、思春期ならではの難しさもありそうです。
「全員が思惑どおりにイキイキと作品を見なくてもいいと思いますが、問題は、グループ内にそういうこと(じっくり鑑賞したり、まじめに取り組んだり)をしたいと思っている人がいても、他の人の目によってそれができない、という状況が生まれてしまったらかわいそうですよね」(末永先生)
末永先生の経験から、学校の人間関係がある中で鑑賞ワークショップを行う際に授業者としてできる工夫や、気をつけたいことについて伺いました。
1. 鑑賞の時間は他の人との会話をあえて禁止にする
「鑑賞ワークショップでは、リラックスした状態のほうが見ることに集中できると考えて、自由度を上げ、個人鑑賞の時間も他の人と会話してもよいことにしています。しかし、学校の授業としていつものクラスメートと一緒に鑑賞する場合には、『友達に合わせて会話に参加しなくては……』というプレッシャーも考えられます。会話をあえて禁止とすることが、一人ひとりの見る時間や状況を保障してあげることにつながり、逆に個人の鑑賞の自由が確保できるように思います」(末永先生)
2. 作品に対する人数のバランスを教師がコントロールする
「鑑賞する対象作品を6点に絞り、生徒はその中から気になる作品を自分で選び、その1点をじっくり見る」という形式でワークショップを行ったところ、作品ごとの人数にばらつきが出て、ものによっては10人近く集まってしまったとのこと。
「作品対人数のバランスで、10人が見ている中で自分だけじっくり見るのがやりにくかったり、見る気を失ったりしたかもしれません。ある程度人数を限定し、作品1点に対し3人まで、または4人までなどとし、見たかった作品が埋まってしまったら次に気になる作品にするという、人数のバランスコントロールが大事だと思いました」(末永先生)
どのくらい口を出さずにいるべき?
2つ目の活動、表現(工作)の時間にどのくらい口を出さないでいるか、というのも判断が難しいところです。
末永先生は、活動に入る前に「何をするか」と「ねらい」を生徒に伝えます。ここでは手を使って考えを深めたり広げたりすることがねらいなので、コンセプトなどを頭で考えたり、デザイン画を描いたりせずに、ある程度“行きあたりばったり”で工作します。その間は、あまり口を出さないのが末永先生のスタンスです。
しかし、普段から机間巡視をしている教師にとって、手が止まっている生徒や、全く関係ない作品を作っているように見える生徒に声をかけないのは至難の業ではないでしょうか。
末永先生は、それでも口を出さないほうがいい理由をこう語ります。
「その生徒の中で新しいことを模索し考えたりするときには、そのための時間が必要です。逆にすぐに手が動くのは、その時点でその人がもっている能力を、今与えられた課題に適応して発揮していることになります。それも時には必要なことですが、その人なりに新たに何かを考えているとか、模索しているとは言えないですよね。
このアート思考の授業においては、自分なりに新しいことについて考えることが肝心なので、すぐに良いアウトプットにつながらなくてもいいと考えています。工作が始まって、手が動かなかったり、多少困っていたりしても、できるだけそのままにしておくのがねらいに合っています」(末永先生)
また、末永先生自身、声をかけずに生徒たちを見て歩いていたのですが、後から振り返るとそれすらしなくてよいと思ったそうです。
そして、実際に生徒が全然関係ないように見えるものを作っていて内心ヤキモキしていた担当の先生も、「あとから作品を見て生徒の話を聞いたら、『そういうところで鑑賞した作品とつながっていたんだ』という驚きがあった。途中で軌道修正しなくてよかった。」と話していたとのこと。
活動の場を用意した後、教師は、新しい試みに試行錯誤し、作っている本人ですら思いも寄らない形で展開していく様子をそっと見守ることが大切なのですね。
アート思考の意義を他の教員にも理解してもらいたい……!
教育現場でアート思考を育みたいと思う教師にとって、その企画の意図を周囲の教員に伝えることは高いハードルのようです。すでに取り組んでいる先生からは、「公開授業に参加してくれるような一部の教員や保護者はいても、それは普段からアンテナを張っている人たち。その他の人たちに理解してもらうのは難しい」という声がありました。
それを受け、以前、末永先生自身も教師として学校現場で抱えていた不全感を、当時を振り返って話してくれました。当時から今と同じような授業をしていた末永先生。その取り組みに対する想いは全然理解されなかったと言います。
面白い取り組みだと実感していた末永先生は、プリントにまとめて職員室の先生たちの机の上に置くなどの工夫をしていました。しかし、効果はありません。
実際の授業を見てもらう機会があっても、取り組みの一部を切り取って見られるだけでは、指導方針や意図を伝えることはできません。
しかし、のちに学校現場を離れ、著書『13歳からのアート思考』を執筆すると、表現の場所と方法が変わったことで届ける相手が変わり、結果的に多くの教育者にも届くこととなったのです。
学校の中で研究発表などの正攻法で伝えようとしてもうまくいかなかったことが、場所と方法を変えることで伝わりやすくなった一例です。
また、学校の外に出て見えるものは、学校の中にいるときに見えたそれとは180度違うことを実感したそうです。
末永先生が「プロピッカー(※2)」を務めるオンライン経済ニュースメディア「NewsPicks(ニューズピックス)」では、学校の校則や労働条件についてのニュースがよく挙がるとのこと。そこに投稿される読者からのコメントを見ると、学校の内側なら通らないような意見が多数派なのだそうです。末永先生が学校で教師をしていた頃、同様の問題に対する学校の内側からの意見は、今、NewsPicksで見るものとは「ほぼ逆」だったと言います。
学校の内側では、いかなる時も規則を遵守することが重要視される一方で、「生徒が主体となって今あるものを疑い、考え直すことが大事」「合理的に考えれば改善の余地あり」などの意見は、NewsPicksの世界では至極当然といった風潮。
場所が変われば常識も変わる——それを目の当たりにした末永先生は、
「だからこそ、学校の中の世界ばかりにいても、また、ビジネス界の人が多いNewsPicksの世界ばかりにいても偏りがあると思うので、違う世界から同じ問題を見ていかないといけないと思います。場所を変えて考えたり、表現したりすることが大事なのではないでしょうか。」
と、今いる教育の世界の常識を問い直し、未来を見据え、新たな取り組みに向かう先生たちの勇気に熱いエールを送ります。
※2 NewsPicks編集部がさまざまな分野で活躍する専門家の中から選定した、NewsPicks公式コメンテーター。
末永先生が新たに気付いた2つのこと
選ぶことも、表現
ヴァンジ彫刻庭園美術館のワークショップでは、廃材利用の工作をしました。企画の方々がバラエティに富んだ廃材をたくさん用意してくれたことはとてもよかったのですが、あまりにいろいろあるために、子供たちが材料を選ぶのに時間がかかってしまったとのこと。
それを見た末永先生は、内心焦っていたそうです。「1日と時間が限られているのに、工作に集中してほしいのに、まだ選んでいる……!」
それでも見守るスタンスで何も言わずにいると、中学生くらいの子がやってきて、「いいものを見つけましたよ!」と嬉しそうに選んだ廃材を見せてくれたそうです。
見つけただけで満足しているその子を見て、「早く作らなきゃ、と思っていたけれど、作ることと同様に選ぶことも表現と考えられる。こだわって選んで、初対面の講師に見せたくなるくらい『いいものを見つけた!』と思うことも表現」と、末永先生の中で表現の定義がさらに広がったようです。
想定外こそ、「自分ごと」の証
同じくヴァンジ彫刻庭園美術館のワークショップでのこと。1人の子が、「ガラスを割っていいですか?」と末永先生に聞きに来ました。また他の子は、「水を使ってもいいですか?」と。
鑑賞ワークショップでは、基本、「何でもやってごらんよ!」というのが末永流。
それは開催地ごとに事前に主催者側にも共有しているとのことですが、これは末永先生も想定外の展開だったといいます。
「ダメかもしれない。やらなくてもいいのに、したい。聞いてまでやろうとするのは、活動が自分ごとになっている瞬間でした。こういう場面がすごく大事。やってみたい、実験してみたい、こう表現してみたい、と自分から思えたことが大事だな、と思いました」と、当時の様子を思い出しながら語ってくれた末永先生の笑顔には充足感が漂っていました。
末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学造形学部卒、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員、浦和大学こども学部講師、九州大学大学院芸術工学府講師。中学・高校で展開してきた「モノの見方がガラッと変わる」と話題の授業を体験できる「『自分だけの答え』が見つかる 13歳からのアート思考」は19万部を超えるベストセラーとなっている。
いかがでしたか? 教育現場でアート思考を育みたいと思う教師のみなさんは先駆者です。道は平坦ではありませんが、子供たちに生きる力をもたらす先には素晴らしい景色が広がるはずです。志高いみなさんを心より応援しています。 今後の連載も、楽しみにしていてくださいね。
取材・構成・文/本田有紀子