色を塗るべき授業で工作を始めた子がいたら、どうしますか?
中学・高校の美術教師として行ってきた授業内容を一般向けに書き下ろし、19万部突破のベストセラーとなっている『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)の著者・末永幸歩先生。今回は、新学習指導要領の理念として大きく掲げられている「生きる力」を育む探究学習をテーマに、アート思考の観点でどのような授業・学びの場をつくることができるのか、浦和大学こども学部 学校教育学科で実施された講義の様子とともに考えます。
執筆/美術教師・アーティスト・末永幸歩
*注1 浦和大学で開催された末永先生の講義では、大学生(18名)は全5グループに分かれ、その内、4グループが考案した授業は履修学生に向けての模擬授業として実施、1グループは小学生を対象に授業を行った。小学校での授業は、久喜市立久喜東小学校の協力を得て、6年生(2クラス66名)を対象にオンラインで授業を実施した。
目次
「自分の感覚や想いに寄り添い、主観的に考えること」で育む”生きる力”
変化が大きく予測困難な昨今も、社会で必要な新たな力が模索されています。
学習指導要領(平成29・30・31年改訂)では、『生きる力を育む』という目標のもと、『学びに向かう力、人間性等』を必要な力の1つに位置付けたり、学びの成果だけでなく『主体的・対話的で深い学び』が起こる「学びの過程」を重視したりしています。
高等学校で『総合的な探究の時間』が新設されたように、自らの問いから主体的に「探究」してゆくことの重要性は、小学校・中学校教育にも共通しています。
探究学習を行う際、多くの場合には「調査やデータに基づく事実を、客観的に考察する」という方法が採られます。
例えば、問いについて掘り下げて考える際、「まずは情報収集から」始めることが普通ですし、もし何も調査をしないまま、あれこれと思念しているだけでは「客観性がない」と一蹴されてしまいます。
しかし私は、「調査やデータに基づく事実を、客観的に考察すること」に加え、探究学習には、もう1つの方法があると考えています。
それが、「自分の感覚や想いに寄り添い、主観的に考えること」です。
アーティストから学ぶ思考回路
答えが1つである(または1つであると考えられる)問題に取り組んだり、答えへの道筋が明らかであったりする場合には、論理やデータに基づいて客観的に考察することが有効です。
一方、答えが1つではない問いに向き合う場合や、未知の物事に向き合うときには、「自分の感覚や想いに寄り添い、主観的に考えること」が必要であると考えられます。
特に、変化の振れ幅が大きくスピードが速い21世紀の社会において、後者の重要度が増しています。
この考え方を、アーティストの思考過程から学ぶことができます。
なぜなら、アーティストたちは、アートという「答えが1つではないもの」に向き合い、作品として「自分なりの答え」を表現しているからです。
アーティストが、作品を生み出す裏側で行う探究に着目するのが「アート思考」。
私は、アートのあり方が大きく変革した20世紀以降のアーティストを主な対象として、その思考を次のように整理しています。
①自分なりのものの見方で世界を見つめ、
②自分だけの答えを創り、
③それによって新たな問いを生み出すこと
アート思考に言い表されるような探究の必要性は、子どもたちだけに言えることではありません。
変化の大きい社会で、今と未来の教育を担う全ての教育者にとっても同様であると私は考えます。
そこで「自分の感覚や想いに寄り添い、主観的に考えること」に重点を置いた学びの場を作りたい——この想いを持って、私は浦和大学で、主に教職課程で学ぶ学生の指導にあたりました。
この記事ではその模様をレポートします。
「ありえない授業」をつくる——固定観念を外して「新たな問い」を生み出す浦和大学での講義
▶︎講義概要
浦和大学こども学部 学校教育学科 「図画工作」の講義
【対象】主に小学校教員を目指す、学部1年生(18名)
【実施期間】2022年9月から2023年9月までの全15回(対面、オンライン授業を含む)
まずは「自由に」授業を考える
講義の主題は「疑問を抱き、それについて自分なりに考えること」。
導入として、まずは自由に図画工作の授業を考えることから始めました。
学習指導要領も、年間指導計画も、教科書も度外視。自由にやってみたい授業を空想し、短時間の模擬授業を含めながら、グループごとに考えたことを紹介しました。
『水風船に絵の具を入れて投げたら面白そう』『個人作業ではなく、みんなで絵を描いたらどうだろう』『食材を使った授業をしてみたい』など、様々な案が挙がりました。
まずは「自由に」授業を考えたことには、ねらいがあります。
それは、各グループが制約なく発想したはずの授業の「共通点」に着目することで、自分たちが潜在的に抱いている「図工とはこういうものだ」という固定観念に気が付くことです。
各班の模擬授業では基本的ともいえる「色を塗る」「絵を描く」「形を作る」「自分で考える」を行っていました。 自由に「普通ではない授業」について考えた結果このような授業になるということは、やはり皆固定観念があるのだと感じました。
(学生のレポートから抜粋 )*注2
*注2 各回の講義後に、学生はその日の講義をきっかけにして「思ったこと・考えたこと・抱いた疑問」を簡単な文章や箇条書きで記録した。記録は履修学生が閲覧できるオンライン上で共有。オンラインでの相互共有による対話的な学びを図った。
図工への固定観念を認識したことで、少しずつ図工教育への「疑問」が浮かび上がりました。ある学生の講義後のメモには、次の疑問が書かれていました。
絵の具を塗るための道具は筆以外ないのか? 道具を自由に選ばせてもいいのではないか。
(学生のレポートから抜粋)
疑問から創造する「ありえない授業」
浮かび上がった「疑問」を皮切りに、「ありえない授業」を考案します。
なお、冒頭で自由に考えた授業は、あくまで、図工への囚われに気づくための手段だと位置付け、ここからはそれとは異なる思考で新たに授業を考えます。
「ありえない授業」が意味するのは、「実現不可能な授業を考えよう」とか「一風変わった授業をしよう」ということではありません。
この講義内では、普通だったら「そんな授業は、ありえない! もっとまともに考えなさい」と叱責されてしまうような考え方をしてよいという想いが込められています。
「つくる」と「考える」を往復する
講義は、授業の考案と実践(つくる)と、ディスカッション(考える)を繰り返しました。
あるグループは、「絵の具を塗るために筆を使う」という当たり前に着目したことから、「絵の具を塗るための道具は筆以外ないのか?」という疑問が湧き、そこから「筆以外の様々な道具で描く」模擬授業を行いました。
その後のディスカッションでは、その授業を改善することは論点とせず、模擬授業を「きっかけ」として、さらに疑問を深めたり、新たな疑問を抱いたりすることを重要視しました。
ディスカッションの後のレポートには「絵を描く道具」から派生した新たな疑問が見られました。
「色を塗るための道具」を選ぶことと同じように、「絵を描く土台」から選べる授業があってもよいのではないか。
(学生のレポートから抜粋)
「道具」や「土台」だけでなく、もっと前段階を考えると「何をしたい?」から考えさせることもできる。
(学生のレポートから抜粋)
「つくる」と「考える」を繰り返すことで、疑問が深まったり増えたりする様子が伺えます。
「そうではないかもしれない」と考える
他のグループの様子も見てみましょう。
「絵を描く土台は紙以外にもあるのではないか」など、いくつかの疑問をもとに、「学校中のあちこちにペイントする」という授業を構想したグループがありました。
模擬授業では、大きめのダンボールを学校の教室に見立て、それを絵の具でペイントしました。
段ボール箱が教室であるとイメージしやすくするために、まずは教室の机を1つ作り、それを箱の中に置くところから模擬授業は始まりました。
しかし、1つのグループは、机だけではなく階段を作り始めるなど、「ペイント」ではなく「工作」に熱中してしまいました。
あまり話を聞かずにやりたいことをやっている班があったので、それに対して何か言葉をかけた方がいいと思った。
(学生のレポートから抜粋)
授業者の想定や計画と、児童の活動がずれてしまうことは、実際の授業でも往々にして起こります。
そこで、ディスカッションでこれを論点にしたところ、「授業のねらいを明確にすること」「活動がねらいから逸れていないかを判断基準とし、随時軌道修正を行なってゆくこと」などの必要性についての発言があり、学生たちが模擬授業で実感した違和感から、体験的に学習する様子が伺えました。
講義では、さらに別の方向に疑問や考えを膨らませることを目的に、「そうではないかもしれない」というキーワードにより、学生たちが導きだした答えを、あえて疑うことにしました。
学生のレポートには新たな意見が書き込まれました。
この授業は、教室をペイントすることで、「表現の可能性に気づかせること」が目標だ。でも、表現の可能性に気づかせることによって何を目指すのか?と考えると、それは「主体的に取り組むこと」だと思う。工作中心になっていた班は、工作を主体的に行っていた。ペイントするという指示からは逸れていたものの、授業の大きな目標は達成できていたとも言えるのではないか。
(学生のレポートから抜粋)
(子どもの活動に置き換えた場合)小学生が考えることは、大人じゃ考えないようなことが山のようにあるはずだから、想定外のことがおこることは常日頃からだと思う。それを教師として目的からズレてるからダメではなく、子どもから学ぶことが大切だと思う。
(学生のレポートから抜粋)
授業者が目指していた活動と異なることをしだした時、「何故それをやろうと思ったのか」を問うてみる。
(学生のレポートから抜粋)
自ら導き出した答えを問い直すことで、異なる視点からの意見が見られました。
たとえ「正しい」とされることについても、意識的に反転させて考える習慣をつけることによって、新たな角度から物事を捉え直すことができ、それにより、自分の考えをより深めたり、更新したりすることができると私は考えます。
今と未来の教育を担う教育者に求められること
言うまでもなく、学生たちが考案した「ありえない授業」を、そのままの形で学校教育として行うことはできません。
また、子どもの学びへの責任をもつ教育者は、効果が実証された教育活動をすることが求められることも事実です。
しかし、変化の大きい現代社会においては、「調査やデータに基づく事実を、客観的に考察すること」だけではなく、「自分の感覚や想いに寄り添い、主観的に考えること」を同時に駆使してゆく必要があります。
このことは、探究学習を進める子どもたちだけではなく、今と未来の教育を担う教育者にも欠かせないことではないでしょうか。
《写真・イラスト提供/末永幸歩》
いかがでしたか? 私たち大人は思考の柔軟性はおろか、潜在的な固定観念に気付くにも意識的な努力が必要ですね。正解が1つではない変化と多様性に富んだ社会で「自分なりの答え」を見いだす力は、子供たちを育む大人こそ先に身に付け、道を拓いていきたいものです。今後の連載も、どうぞお楽しみに……!
末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学造形学部卒、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員、浦和大学こども学部講師、九州大学大学院芸術工学府講師。中学・高校で展開してきた「モノの見方がガラッと変わる」と話題の授業を体験できる「『自分だけの答え』が見つかる 13歳からのアート思考」は19万部を超えるベストセラーとなっている。