探究学習への変革のヒントをギフ寺から探る
前回は、ギフテッド当事者が登壇してのディスカッションでした。当事者の言葉の端々から、「社会性は、子どもが大切にしたいと思うコミュニティを足場にして育まれる」と感じました。では、子どもが大切にしたいと思うコミュニティは、どうしたらつくることができるのでしょうか?
本記事は2022年7月17日(日)に、札幌で行われた「ギフテッドの生きづらさ ~子どもたちが望む世界とは~」のシンポジウム報告です。毎週火曜日、全5回に渡ってご紹介しているシリーズの第5回目です。
目次
「ギフ寺という環境にあるもの」3つ
シンポジウムでは、「ギフ寺の取材から見えてきたもの」というお題を小泉先生より頂戴し、筆者も登壇しました。そこで「ギフ寺という環境にあるもの」、つまり「小泉先生とは、どんな人なのか?」を、考えてみました。大きく3つあります。「教育技術の取材を通じて学んだこと」と照らし合わせながら、紹介します。
- 子どもを主語にして物事を考える
- 自然な連携
- 「居場所」と「出番」
子どもを主語にして物事を考える
小泉先生を思い出す時、真っ先に思い浮かぶセリフがあります。
子どもが、こんなふうに言うんだよね。
小泉先生は、いつも、まるで小学生がクワガタの話をするような表情で、子どもの話を大切そうにされます。
少し長くなりますが、筆者が構成を担当した木村泰子先生と高山恵子先生の対談本『「みんなの学校」から社会を変える』の中の「子どもを主語にして物事を考える」という項目を抜粋します。
高山:「教えることができているのか?」、そう聞かれたら、多くの大人が答えに詰まるでしょうね。
木村:そう、無理なんです。もちろん、私も、大空でそういう話をたくさんしました。(中略)
(新任研修会で)「自分が、どんな先生になるなんて、どうでもいいんですよ。では、どんな子どもを育てたいですか? はい、どうぞ!」と、言ったんです。(中略)
高山:ああ、本当に先生と気が合います。私は講演会の最初によく、「みなさんは、子どもにどんな人になってほしいですか?」という質問から始めるんです。
木村:例えば、教員になる人たちは、教員養成課程で、「自分がどんな先生になりたいか?」ばかりを勉強させられています。(中略)そうしたら自分がそういう教員になることが、すべての「目的」になってしまい、子どもは目的を達成する「手段」になってしまうんです。
『「みんなの学校」から社会を変える』第1章「子どもを育てる土台を築く」より抜粋
木村:「家庭や学校での教育の目的とは何か?」という話です。家庭や学校での教育の目的は、その子がその子らしく育つこと。それ以外にありません。
高山:おっしゃる通りだと思います。私は、アメリカの大学院で、教授法には「教師中心法」と「生徒中心法」があると学びました。「教師中心法」は、文字通り、教師中心の教授法で、従来の日本の一斉教育のイメージですね。一方で、「生徒中心法」は子どもありきの教授法です。この「生徒中心法」の考え方が、これからの教育で、非常に大切なのだと私も思います。
『「みんなの学校」から社会を変える』第1章「子どもを育てる土台を築く」より抜粋
自然な連携
小泉先生は、気負うことなく、さまざまな立場の大人とごく自然に連携されているように見えます。大人が連携上手になることができれば、個人が一人で子どもを抱え込むより、ずっと大きな「枠」の中で子どもの育ちを見守ることができるのではないでしょうか?
保護者
筆者は、ギフ寺の保護者の方と、お茶や食事をさせていただいたことがあります。その時に、保護者の方は口々に、こんなふうにおっしゃっていました。
小泉先生が、身近にいてくださるから本当に助かっている…。
保護者との信頼関係が築けていれば、「ここぞ!」という時には厳しいことを言えるのではないか? これは、教育者として大きなアドバンテージだと感じます。
医師
特別支援教育は、医療との連携が不可欠だと、筆者は思います。田中哲先生(※)と連携をとりながら、長い期間、小泉先生が育ちを見守っている子どももいるそうです。
※田中 哲(たなか・さとし):医師。東京都立小児総合医療センター副院長を経て、2019年より「子どもと家族のメンタルクリニックやまねこ」院長
有識者
大学の研究者とも、日常的に情報交換をされているようです。「ギフテッドシンポジウム in 鹿児島」(※)で登壇された北海道大学の室橋春光名誉教授や後輩の研究者の方々は、小泉先生曰く「古くからの仲間であり、この領域の戦友」とのことです。
※ギフテッドシンポジウム in 鹿児島:2022年3月に鹿児島市で行われた。全5回の記事があります。日本社会がギフテッドを受容するための課題とは 他
田中:最近、「連携」という言葉がはやり言葉のように使われていますが、「連携する」ということは、ギブアンドテイクができるということです。先生は、教育の専門家です。専門家とは、自分の限界を知って、他者につなげる人なのです。「それは、できない」と言えるのは、専門家だからです。できないことはできないと相手に伝えていい、分からないことがあれば分かる人に聞けばいいのです。
前・文部科学省初等中等教育局、特別支援教育課特別支援教育調査官の田中裕一さんへの取材記事「これからの時代に必要な特別支援教育のあり方とは?」より抜粋
居場所と出番
「多様な子どもを包括する学級経営」といったテーマで取材をすると、どの先生も同様のことをおっしゃっているように感じます。キーワードは、次の2つです。
「居場所」と「出番」
「居場所」というのは、端的に言えば、「安心・安全が確保されている場所」です。
「居場所」づくりには、センシティブな感性が必要だと痛感したエピソードを紹介します。
昨年の秋、ギフテッド当事者でギフ寺の副住職こと空無垢(うつむく)さんを私が取材させていただいたときのこと。空無垢さんが、あまりに表現力が豊かなので、「それをブログで発信すればいいのに!」と言ったところ、小泉先生はキッパリとおっしゃいました。
空無垢さんは、まだ(発信は)いいかな。ゆっくり行こう。
本人のキャパを見極め、適切なストップをかけてくださる匠の技に「すごい!」と思いました。ギフ寺を「源泉掛け流しの温泉」と表現する小泉先生は、常日頃からこんなふうにおっしゃいます。
私の役割は、足すことも引くこともなく適切な温度を維持する湯守です。
その一方で、「自分の言葉で話せるのだから」と、〈みん教ギフテッドセミナー〉に副住職が登壇するという「出番」をつくったのも、小泉先生です。(そもそも、小泉先生の「ギフ寺副住職」というネーミング自体が、絶妙なセンスだと思います)
「出番」をつくる…。なかなか難しいですよね。取材した先生方は、「『出番をつくらなきゃ!』と肩ひじ張るものでもなく、毎日の何気ない生活の中で、子どもをよく見ていれば、自然と見えてくる」と、おっしゃっていました。
「ギフ寺という環境にあるもの3つ」の最後に、副住職が語った通称「傘理論」を、抜粋します。
土砂降りの中、いくら傘を差し出されても、歩きたくない時はある。ギフ寺では、傘を差し出されるのではなく、傘を買いにいく勇気をもらった。自分で何かをしたい気持ちは、誰の中にでもあるのだと思う。
ギフテッドの現場の声を聴こう!〈みん教ギフテッドセミナー〉第3回 ダイジェスト記事より抜粋
「探究学習への変革」のヒントとは?
さて、少し視点は変わりますが、学習指導要領に掲げられた「主体的・対話的で深い学び」の実現は、言い換えれば、「探究学習モードへの変革」です。「一斉指導から探究学習に、どのようにして『モード』の切り替えをしていくのか?」は、多くの先生方にとっての関心事なのではないでしょうか?
筆者は、「自分で何かをしたい気持ちは、誰の中にでもある」という、先の副住職の言葉に、探究学習の萌芽を見た気がしました。そして、ギフ寺の教育実践の中には、探究学習に変革するヒントがあるのでは? と、思ったのです。
ギフテッドは、探究学習が好きな子どもたちです。ギフテッドがいきいきと学習や生活ができる場所には、きっと探究学習に変革するヒントがあるのではないでしょうか? それを今後も取材を通じて探していきたいと思っています。
小泉雅彦(こいずみ・まさひこ)
ギフテッド・LD発達援助センター主宰。ギフ寺住職。北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位修得退学。専門は特別支援教育、認知心理学。
楢戸ひかる(ならと・ひかる)
ライター。息子の通級をきっかけに、「少数派の子どもたち」を軸に記事を執筆。令和の主婦像を考えるサイト「主婦er」運営中。