言葉かけの精度を上げる「北風と太陽」の視点【音声つき】
若手教師から絶大な支持を得ている古舘良純先生が、Twitterではつぶやききれなかった思いを語る音声つき連載。今回のテーマは、「言葉かけ」。6月、しなやかに指示出しをできるようになったら、7月は、自分の中の「北風と太陽」を意識して、言葉かけの筋力を上げてゆきましょう。
執筆/岩手県公立小学校教諭・古舘良純
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目次
あなたの言葉は「北風」? それとも「太陽」?
今回のツイートにも、つぶやききれなかったポイントが3つあります。
①何のための言葉かけなのかを常に考える
もしかすると、このツイートを読んでグサッと来た方もいるのではないでしょうか。子どもたちへの言葉かけについて反省した方もいらっしゃると思います。もちろん、私自身も自戒のつもりでツイートしました。
しかし、安易に「ああ、私は“北風”だからだめだ」という反省をしてはなりません。
その指導が、「目的に沿った指導であったかどうか」を考える必要があります。教師が子どもたちに声や言葉をかけるとき、必ずその子への願いを持っているはずだからです。
例えば、危険を伴う実験や、公的な場での見学など、時には「静かにします!」と言ってルールを守らせたり、一律一斉を求めたりすることは必要だと考えます。
大切なのは、常に目的意識を明確にして、感情に任せた指導をしてはならないということなのです。
②北風も太陽も、どちらも必要な場合がある
子どもたちの行為を促したいと思えば、太陽のようなアプローチが好ましいことはわかっています。しかし、それがその瞬間に望ましいかどうかは別です。
「廊下は歩こうね〜!」と何度言っても無視して走り続けるようならば、北風を吹かせてでも止める必要はあると思います。
本ツイートでは「太陽が良くて北風が悪い」ということが言いたいわけではなく、これらの要素を使い分けながら、教師がその場、その時、その子の様子に合わせて指導していく必要があると言いたいのです。
教師自身が「今は良い太陽だったな」とか「もしかしてあの子にとっては北風だったかも…」「どうしたら太陽の指導に変えられたかな」と、指導を振り返る視点にしてみるとよいと考えます。
③子どもの心は理屈だけで動かない
学校現場では、「◯◯だから△△します」のように、一見、理路整然と説明がなされ、活動に移っていく場合が多いと思います。
しかし、子どもたちがその理屈に納得しているか、動こうとしているかは別の問題です。
「なるほど」「確かに」と腑に落ちたり、「よし」「やろう」と意欲が湧きあがったりしていなければ、子どもたちは動きません。心は理屈だけでは動かせないのです。
むしろ、理屈で押し通した指導では、子どもたちは「強要された」と受け取ってしまう可能性もあるでしょう。
「あなたの気持ちもわかるけれど、あなたの言動は改めた方がよいかもしれない」のように、「共感するけど同感はできない」という態度を示し、理屈も感情も共有していきたいものです。
目的、手段、伝え方についてお話ししましたが、さらに大切なのは、タイミングです。
北風と太陽は、「どちらがコートを脱がせることができるか」という自分たちの力比べに旅人を巻き込みました。北風と太陽は、自分たちの自己実現のために、コートを脱がせようとしたのです。
教室で言えば、教師が「させたい」「やらせる」ということが中心にあって、子どもたちの心が置き去りになっている状態と言えるでしょう。
そうならないよう、自分の中の「北風と太陽」で子どもの気持ちを考え、「今か後か」を見極める必要があります。
1学期末に向け、「終わらせなければ」というミッションが課せられているのは事実です。そんな時、教室に吹かせる風、教室を包む温かさを考え直してみたいものです。
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僕ならこうする『僕なラヂオ』〜先生のお話〜
古舘良純(ふるだて・よしずみ)
岩手県久慈市出身、北海道教育大学函館校出身、菊池道場岩手支部代表、バラスーシ研究会所属、共著『授業の腕をあげるちょこっとスキル』(明治図書出版)、平成29年度千葉県教育弘済会教育実践研究論文にて最優秀賞を受賞