何のためにを考える〈後編〉【伸びる教師 伸びない教師 第19回】

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何のためにを考える〈後編〉【伸びる教師  伸びない教師 第19回】

今回は、「何のためにを考える」の後編です。育てた野菜を枯らしたときの対応の話です。豊富な経験で培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする平塚先生の人気連載です。
※本記事は、第19回の後編です。

プロフィール
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)

栃木県上三川町立明治小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を歴任。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。

伸びる教師は、物事に取り組むとき「何のために」と考え、伸びない教師は疑いなく取り組む。

育てた野菜を枯らしたときに

「何のために」という視点は、自分の教育観をもつことにもつながります。

私が初めて2年生を担任したときのことです。

ずっと高学年の担任が続いたため、生活科の授業も初めてでした。

生活科の授業で子供たちは、ミニトマト、オクラ、唐辛子、ピーマン、ナス等、好きな野菜を自分の鉢で栽培していました。

毎日水やりをする子供たちは「先生~、実が膨らんできた」「先生~、赤くなってきたよ」と野菜の生長をうれしそうに報告してくれました。しかし、お世話をきちんとする子供たちばかりではありません。何度声をかけてもなかなか水やりをしない子供、言われないとしない子供など様々でした。

イラスト

夏休みが近付いてきたある日、学年主任のA先生から相談を受けました。A先生とは年齢が近く、何度も飲み屋でお互いの教育論を語り合う仲でもありました。

「子供たちが育てている野菜だけど、夏休み前に持ち帰らせようと思うんだ。枯らした子には、新しい鉢を買って持たせようと思うんだけどどうかな?」

「新しい鉢って、枯らした野菜がなっている鉢の代わりにってことですか? どうしてですか?」

「だって保護者が心配するじゃない、枯らした鉢を持って帰ってきたら。それに枯らした子供も新しい鉢の野菜をもらったら喜ぶと思って」

「うーん。自分は反対です。子供が自分で愛着や思いをもって試行錯誤しながら野菜を育てていくことがこの単元の最も重要な部分なので、育てていない野菜の鉢を与えても何の意味もありません」

「確かにそうだけど、枯れた鉢を持って帰るってことは、教師が指導していないってことにもつながるんじゃないかな」

「育てた野菜が枯れてしまったのには原因があるはずです。なかには、水やりをしないで枯らしてしまった子供もいます。枯れてしまった鉢を持ち帰って、保護者になぜ枯れたのか、今度枯らさないためにはどうしたらよいかを伝えたり一緒に考えたりするのが教育的だと思うのですが……。それに、万が一買い与えるにしても苗や種のほうがよいと思います」

この後やり取りは続いたのですが、結局、学年主任の意向に沿う形となりました。

考え方は人それぞれだと思いますし、自分の考えが絶対正しいとは思いません。ただ、子供たちが「何のために」野菜を育てたのかという視点で自分なりに思うことがあったので主任に伝えました。

目的を考える積み重ねで教育観が形成される

このようにひとつひとつの教育活動に対して、「何のために」という視点から自分なりの考えをもつことの繰り返しでその人なりの教育観が形成され、その先生の学級経営の礎となることと思います。

その繰り返しをしている人とそうでない人では、長い年月の中で大きな差が出てしまうことは明白です。

構成/浅原孝子 イラスト/いさやまようこ

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※第16回以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。

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