勉強会参加で「うつ」から脱却【連載小説 教師の小骨物語 #15】

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新米でもベテランでも、教師をしていると誰でも一つや二つは、「喉に詰まっている”小骨”のような」忘れられない思い出があります。それは、楽しいことばかりではなく、むしろ「あのときどうすればよかったの?」という苦い後悔や失敗など。そんな実話を取材して物語化して(登場人物はすべて仮名)、みんなで考えていく連載企画です。

15本目 学級崩壊で「学校に行きたくない」と、布団の中で涙が出てきた

学校に行きたくない先生

学級崩壊。「自分に限って、そんなことにはならないだろう」と思っていたが、そんな根拠のない自信が脆くも打ち砕かれたのは、教師になって2年目のことだった。

1年目は初任ということで、やんちゃな問題児とされる子はベテラン先生のクラスに入れてもらって、ぼく(島田貴之・仮名)は比較的やりやすい4年生のクラスを担任した。大学時代から学校現場で研修をさせてもらっていた経験もあり、特に問題もなくクラスを運営できた。

「島田先生は若いから、やっぱり子供たちも親近感をもつのかなぁ。指導力もあるんだろうね!」

「いえいえ、たまたま良い子たちばかりだったからですよ」

学年主任の野村先生にほめられて、ちょっと謙遜したつもりだったが、それがまぎれもない真実であったことをすぐに痛感するのだった。

翌年、ぼくは持ち上がりで5年生の担任になった。そして今度は、ADHDの子もLDの子も引き受けることになったが、なんとかなるだろうという自信があった。

ところが、フタを開けてみると想像以上だった。授業中にずっとふざけている子、踊り出す子、それを囃し立てる子……。 (動物園か、ここは……)

毎日、ただただ怒鳴っていた。威圧的に怒鳴る以外、叱る方法を知らない自分に愕然とした。静かにさせるということが、こうも難しいことだとは……。

「いい加減に静かにしろ~!」

学級崩壊は収まらず、相変わらず怒鳴り続けていたら、ADHDの子が「先生の大きな声がイヤだ。学校へ行きたくない」と不登校になってしまった。

一方では、高学年特有の女子同士の対立が頻繁に勃発して、ふり回されていた。授業時間外では話し合う時間も取れないので、授業中に話し合いをさせることもあった。そうなるとますます授業は進まない。保護者からは「授業が進まないのは困る」と電話がかかってくるし、「島田先生に言っても仕方がないから、学年主任の先生に替わってください」と言われる始末。

学年主任の野村先生は、こんなぼくの状況を心配してくれたが、「きみはどう考えているの?」といつも問いかけてくる。野村先生なりに、ぼくに考えさせようとしているのだろうけど、その時のぼくは、手っ取り早く解決策を聞きたかった。だから、野村先生の問いかけも、日に日に辛くなっていった。

解決しなくてはいけない案件は増える一方で、丸付けや採点などの仕事も溜まっていく。

「島田先生、今日の放課後は学年会だからね」

次から次へと業務も追い打ちをかけてくる。

ある夜、「学校に行きたくない」、とはっきり思った自分に気が付いて怖くなった。次の日の夜は、布団に入ってから涙が出てきた。ついに包丁でリストカットしている夢を見た。

(これは、まずい……。危険だ)

病院に行くと、「うつ」と診断されたが、落ち込むどころか、気持ちがラクになった。 (ああ、しばらく学校へ行かなくていい)

診断書を提出して、ぼくは休職した。

民間の勉強会へ参加して、自分でサークルを発足

新年度に復帰したぼくに、野村先生が提案してくれたのは、民間の勉強会への参加だった。調べてみると、教育雑誌に載っている著名な先生のセミナーも開催していた。参加してみると、もちろん勉強になったが、それよりもセミナー後の懇親会で素晴らしい出会いがあった。

ある先生に悩みを打ち明けると、「それ、すごくわかる! ぼくも悩んでいたときがあって、そのときに力になってくれたのが、今日のセミナーの講師の先生なんだよ。いつか恩返しがしたいと思っていたけど、それは、キミのような後輩に力を貸すことだと思っていたんだ」

その先生と話してみて、「自分も学ぶしかない」と思った。

「ぼくの地域にはそんなセミナーはないので、先生、来てもらえませんか?」

「いや、キミが自分でサークルをつくってしまえばいい。キミならできると思うよ」

そう言われたぼくは、地域で“学級づくりを勉強するサークル”を立ち上げた。そこで、ぼくは初めて、「子供たちと共感する」ことを学んだ。

子供たちと同じ目線で話し、自分のプライベートや失敗談なども話すようになった。ぼくが徐々に変わっていくと、子供たちとの関係性も変わり、学級経営もうまくいきだした。

今も教師仲間でサークル活動は続いている。しかも、自分が積極的に主宰している。こんなふうに変われたのも、一度どん底まで堕ちて、郊外の学習会や教師仲間に巡り合えたからだ。

ただ、学級崩壊を食い止められなくて、授業もまともにできなかったあのクラスの子供たちのことを思うと、今も申し訳なさがこみあげてくる……。

取材・文/谷口のりこ  イラスト/ふわこういちろう

『教育技術』2018年12月号より

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