外国人児童との言葉の壁【連載小説 教師の小骨物語 #12】

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教師の小骨物語【毎週水曜更新】
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新米でもベテランでも、教師をしていると誰でも一つや二つは、「喉に詰まっている”小骨”のような」忘れられない思い出があります。それは、楽しいことばかりではなく、むしろ「あのときどうすればよかったの?」という苦い後悔や失敗など。そんな実話を取材して物語化して(登場人物はすべて仮名)、みんなで考えていく連載企画です。

12本目 日本語がわからない中国人児童 「どうしたら理解してもらえる?」

「コンニチハ。ボクハ、モリタマサキ、デス。ヨロシク、オネガイシマス」

森田正樹(中国名・楊正偉)くんが、おそらく丸暗記しただろう、カタコトの日本語で挨拶をすると、クラスの子供たちは一瞬ざわついた。

「なんだ、日本語、話せるじゃん」

「ニイハオ、シエシエ、パオズ」

知っている中国語を並べて歓迎する子もいた。

「先生、森田くん、日本語話せるの?」

「森田くんは、これから少しずつ日本語を勉強します。まだ、みんなの言っていることはわからないけど、仲良くしてあげてね」

「日本語がわからないのに、ぼくたちと同じ授業を受けるの? どうやってわかるの?」

どうやって?……教えてほしいのは私のほうだ。教員5年目の私(西原美奈)は、日本語を話せない子を初めて担任することになった。

文部科学省の調べによると、“日本語指導が必要な外国籍の子供が在籍する小学校”は4000校以上あるという。人数にすると2万人以上(※2018年当時のデータ)。滞日外国人が増加している昨今、同伴される子供も増加している。

もちろん、教育委員会も措置は講じている。森田くんにも「日本語指導支援員」が、週に2日、2時間、「取り出し授業」で日本語を教えてくれることになった。でも、大半の授業はみんなと一緒に受ける。

私は森田くんのために、絵を描いたカードを作って説明したり、中国語の電子辞書、翻訳アプリなどを利用して、中国語を話す努力もしてみたりした。

「我是西原」 私がカタコトの中国語を話すと、森田くんはとても喜んでくれる。でも、中国語の発音は難しく、カタカナ通りに話してみても通じないことのほうが多かった。

そして、日々の授業内容も口頭ではなかなか伝わらなかった。森田くんは算数が得意だったが、日本語がわからないために文章問題には苦労していた。得意な科目だけに、わからないことが歯痒そうだった。でも、言葉のストレスから“爆発”してしまうこともなく、彼は本当に聡明で穏やかだった。それだけに、我慢しているのではないか、と心が痛んだ。

「言葉の違い」「習慣の違い」 マイナス面しか見えない日々

掃除をする森田くん

そんなある日、クラスの男子が私のところへやってきた。

「先生、森田くんがちゃんと掃除をしない」

森田くんはクラスメートたちが言っている内容はよくわからなくても、それが自分に向けられている“悪い感情”であることは感じ取る。

「チガウ。×☆○※……」

真面目な森田くんが掃除をさぼるわけがなく、本人は盛んに「やってる!」というジェスチャーをして訴えている。どうやら掃除の方法が理解できないようだ。

「こうやって真ん中にゴミを掃いて集めるのに、コイツ、隅っこを掃かない!」

“学校生活のほんの些細なことでモメることがある”と、後日、語学指導員の先生が教えてくれた。

「中国の学校では、子供が掃除をすることもないし、給食当番というものも存在しないんです。給食だって、中国では食堂に行くだけですから。運動会のお弁当とかも、よく説明してくださいね。こういう日本の学校独特の慣習みたいなことで、トラブルが起こりやすいんです」

友達との約束で行き違いが生じたこともあった。

「先生、森田くんが遊ぶ約束をしたのに、昨日来なかった。せっかく誘ってやったのに!」

どうやら、森田くんのほうは断ったつもりだったようだ。お互いにいくつかの単語を並べて会話をするのだが、双方が「たぶん、こんなことを言っているのだろう」と、勘や類推で納得してしまうために、小さな揉め事は多々起こった。

そのたびに、「言葉の壁」を実感した。

異文化や価値観の違いを楽しむ「国際交流の機会」を逃してしまった

幸いにも、森田くんが “いい子”だったお陰で、大きな問題にはならなかった。友達の言っていることがわからないとき、ニコニコしてやり過ごす術も心得ていた森田くん。複雑なゲームには参加しないで寂しそうにしている姿も目にした。でも、まだ幼さは残っていて、「センセイ、アソボー」と抱きついてきたり、「センセイ、スキ」と言って慕ってくれたりしていた。

たぶん、中国語がわかる語学指導員の先生も、彼の大きな支えになっていただろう。指導員の先生に「仲間外れにされたけど、理由を聞いて」と電話をかけてきたこともあったそうだ。

1年経った頃には話せる日本語も増えて、森田くんは無事に5年生に進級し、私の元から離れていった。

あれから数年経ち、教師として少しは成長した私が当時を振り返ってみる。

日本語がわからない森田くんと、中国語がわからない私やクラスメートたちとの間には、「言葉の壁」があった。それは、当時の私にとっては、マイナスでしかなかった。

私は、授業をちゃんと進めることや規律を守らせることで、精一杯だった。でも、もっと違うアプローチができたのではないか? 森田くんに対してというよりは、クラス全体に対して…。

「日本と中国の価値観の違いを“楽しむ”」ということ。

森田くんに先生になってもらって、中国を知る授業をしてもよかったかもしれない。言葉が必要ないゲームをしてもよかった。外国人のクラスメートがいることで、生きた国際交流ができたはずなのに、そんなプラス面を引き出す方法もわからなかった私……。

今思い返すと、「もっと、できることがあったはず」と残念でならない。

取材・文/谷口のりこ  イラスト/辻星野

『教育技術』2018年1月号より

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