通知表の所見文が浮かばない【連載小説 教師の小骨物語 #14】
新米でもベテランでも、教師をしていると誰でも一つや二つは、「喉に詰まっている”小骨”のような」忘れられない思い出があります。それは、楽しいことばかりではなく、むしろ「あのときどうすればよかったの?」という苦い後悔や失敗など。そんな実話を取材して物語化して(登場人物はすべて仮名)、みんなで考えていく連載企画です。
14本目 1学期は“手こずる子”の対策で、“普通の子”に目が届かない
いつからだろうか。1学期がこんなにも大変になったのは…。
どこのクラスにも一人はいる“手こずる子”。「特別支援」という名のもとに、その子がちゃんと授業を受けられるように、ほかの子に支障が出ないように、我々教師はあの手この手と“策”を講じる。
1学期の間は、ほぼそのことに全エネルギーを使い果たしてしまう。それは私(伊藤美奈子・教師7年目)だけでなく、ほかの先生も同様だった。
「もう何年も教師をしているけれど、毎年同じ。1学期は、問題が起こってその対策を考えるだけでバタバタと終わっちゃう。特別支援って、発達障害の種類も年々増えて、複雑になってきてるから、正直、神経は全部そちらのほうにもっていかれちゃうよね」
ベテランの先生でもこんな愚痴が出るぐらいだから、7年目の私なんて、毎日が格闘だった。
◇
今日も教室でひと騒動あった。教室でメダカを飼っている水槽を、「うるさ~い!」と言って、学習障害をもっているタカシくんがひっくり返し、教室を飛び出して行った。
「メダカ、ちゃんと戻しておいてね。みんな、ちょっと自習、お願いね!」
幸いなことに、うちのクラスはこういう時にも静かに自習ができた。職員室に戻ると、先輩に言われた。
「ダメだよ、メダカなんか飼ったら。障害がある子にとっては、水槽のポンプの音も集中の妨げになるんだよ!」 (メダカも飼えない!?)
反論しそうになる私に、先輩はさらに言う。
「伊藤先生、教室の掲示物もいろいろ貼ってあるけれど、あれも、気が散るからダメだよ」 (え~、マジですか?)
こんな調子で1学期は過ぎていった。
◇
まもなく1学期が終わろうとする頃、通知表所見文を書いていた手が止まった。
(この子って…?)中村広大。ナカムラコウダイくん…。顔は浮かぶ。当たり前だ、担任なのだから。ところが、通知表に何を書いてよいのかさっぱりわからない。その子に関して、まったく印象がない。 (“無”だ。そんなバカな…)
中村くんは、何も問題を起こさない。学習面でも、特別に教えてあげる必要もない中間層。かと言って、特に目立つ活躍もない。
特別支援に翻弄されていた1学期、“黙ってついてきてくれる子”はとてもありがたい存在だったが、私の中で“無関心”になっていたのだ。でも、通知表には所見を書かなくてはいけない。 (あ! こんな時は“モトタン”に聞けって他の先生が言ってたなぁ)
私は、中村くんの去年の担任の先生に聞きに行った。
「あのう、中村くんって、どんな子でした?」
「ああ、伊藤先生も書くことに困った? あの子って、普通すぎて目立たないからね。そんな時は、“クラスのために、係活動を積極的にやってくれました”っていう所見でいいんじゃないかしら」
「ありがとうございます! 助かりました」
「またか……」の一言で目が覚めた!“中間層”の子の評価の重要性
1学期の終業式の日。いよいよ、子供たちに通知表を渡す時間になった。子供たちがワクワクして待っているのが伝わってくる。成績が上がった下がっただけでなく、先生がどんなことを書いてくれるのか、楽しみにしている。
「次は、中村くん」
「はい」
私のほうもちょっと緊張した。自分の中で“無”であったことを悟られない所見が書けただろうか…。前へ出てきて、通知表を受け取った中村くんは、その場で所見に目を落とした。
「またか…」
中村くんが無表情にボソッとつぶやいたひと言に、私は凍りついた。一瞬にして、中村くんの失望が伝わってきた。 (そうか…、この子はいつも目立たないから、毎年、どの先生にも同じようなことを書かれてきたんだ)
「結局、先生は自分のことなんて見てくれていない」と悟ってしまうことの寂しさ、失望感…。ひょっとしたら、保護者も通知表を見るたびに、同じ気持ちを抱いているのかもしれない。
「また去年と同じことを書かれている。先生はうちの子のこと、見てくれていないんだなぁ」と。
◇
あれから数年経った今も、中村くんの「またか…」が耳から離れない。自分の教師としての未熟さ、子供にがっかりさせてしまった申し訳なさ…。忘れることができない。
この苦い経験から、「通知表に何も書くことがない」ことだけは、あってはならないと心に誓った。
取材・文/谷口のりこ イラスト/ふわこういちろう
『教育技術』2018年7/8月号より
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