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【指導のパラダイムシフト#12】教師の間違い

連載
指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~

池田修先生×藤原友和先生のコラボにより、斜め上から本質を考える好評連載。第12回のテーマは、「教師の間違い」です。

執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修、北海道函館市立公立小学校教諭・藤原友和

池田修

池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。

藤原友和

藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。

第12回のテーマは「教師の間違い」

ここまで、訂正の必要な指示や発問の例をたくさん書いてきました。
(私から見ると、それは違うんじゃないの?)
というものを取り上げて、
(私ならこうするけどなあ)
という思いで斜め上から書いてきました。

読者のみなさんの中には、
(え、それじゃあ、池田先生は、何も間違えてこなかったのですか?)
と疑問に思われる方もいるかと思います。
はっきりと言います。

たっくさんの間違いをしてきました。
そして、それを修正しながら教員生活をしてきました。いや、今もしていますか(^^)。
なんと言ったって、修正には、「修」という文字が入っているではないですか(^^)。

今回は、私がしてきた失敗を、今の私が突っ込むという形で進めていこうと思います。

Q1. 次に示すのは、訂正の必要な「話」の例です。どこがおかしくて、なぜおかしいのかを考えてください。

訂正の必要な話の例
中学生2年生のクラスの生徒に池田先生は、話をしていました。
「みなさん、この頃、自分のことを鏡で見ていて、誰かに似ていると思ったことはありませんか? そう、自分の親に顔が似てきたなあと思うことはありませんか。私もちょうどその頃にそれを感じて、いやーな感じがしましたよ。

実はね、私の父親ですが、テーブルの上に置いてある湯沸かしのポットを磨く癖があるんです。テーブルや炬燵の上にあると、それを台拭きで綺麗に拭く。磨くと言ってもいいくらいに拭く。これがねえ、私、嫌でねえ。なんだかとても貧乏くさくって嫌だったんです。

で、大学生になって下宿をしたんですけどね、先生は。
そのとき、とてもびっくりしたことがありました。
それは何かというと、あんなに嫌がっていた、湯沸かしのポットを、下宿の部屋の中で磨いていたのですよ、私は。

私は、もうね、その瞬間に湯沸かしポットをしまってしまい、それ以降、我が家には、湯沸かしポットは無いんです。今でもありません。

親からは言われるんですよ。お前は、似てほしいところは似ないで、似てほしくないところばかり似るなあと。私だって、似たくないですよね、そんなところ(^^)。でも、間違いありません。君たちも、似たくないところが似ます(^^)」

あなたの考え

A1.             

どこがおかしい、なぜおかしい

この話をしたのは、確か、教師になって3年目のことだと思います。
一読されてどう思われたでしょうか。
ごく普通の当たり前のことを話していると思われた方も割といるのではないでしょうか。思春期を迎えた彼ら彼女らに、「これからはあなたの親を意識することが多くなるよ。でも、それが親子というものだよ」ということをさり気なく話したつもりです。

この話を、大学卒業後のゼミの仲間たちとの集まりで話したことがありました。
そのとき、私立の女子高校の教員をしている同期のゼミの卒業生が、私に言いました。

「お前、それ、本当に、子供の前で言ったの?」
「ん? 言ったよ」
「信じられない」
「え、何かおかしい?」
「池田、だからお前はだめなんだよ、おめでたいんだよ」

ま、能天気なのは、自分でもやや自覚しているところはあったので、おめでたいと言われるのは、仕方がないと思ったのですが、何がだめなのかは分からず。

「お前さあ、お前の話は、親のいない子供からしたら、単なる自慢話にしか聞こえないよ」

と、その同期は言いました。
衝撃でした。
その通りです。

私の担任する子供の中には、自分の親の顔も分からない子供がいるかもしれません。私が自分の親の顔に似てきたという言葉は、親の顔を知らない生徒には聞きたくない話。また、親の癖が自分に移ったという嫌な話すらも、親の面影を得ることのできなかった生徒には「そんなのあるだけいいじゃん」という話になる。

私の母親は、1歳半のときに、父親を病で亡くしています。
私が教師になることが決まったとき、母は
「修、片親の子供を差別するんじゃないよ」
と言いました。
「俺が、そんなことをするわけがないじゃん。母さんが大変な思いをしてきたのを知っている俺が、そんなことをするわけないじゃん」
と答えました。

しかし、私は、生徒を苦しめる発言をしていた可能性があるのです。

同窓会で、卒業生に言われることがあります。
「先生のあのときの言葉で、私は救われました。ありがとうございます」
と。
同窓会は、自分の実践が裁かれる場でもあるので、やや緊張して挑むのですが、こう言われるとやはり嬉しいです。

しかし、
(うーん、そんなこと言ったっけかなあ)
と思うこともあります。
これは、本当にそうです。でも、まあ、救われたんだからいいかと、これは思えます。

しかし、そうです、分かりますよね、
「お前のあのときの言葉で、私は傷ついた、ばかやろー」
という生徒も必ずいるのです。こういう生徒は直接言ってきませんし、同窓会にも参加しないことが多い。でも、いるでしょう。
そして、私はその子供を傷つけた言葉が何なのかが分からない。

私はこれを教師の抱えているごうの一つだろう、と学生たちに話しています。

教師は、間違ったことを児童生徒に教えようとすることは、まずありません。もし間違ったことを意図的にやるのであれば、すぐに、教職から退場してもらうしかありません。教師は、正しいと思っていること、考えていることを児童生徒に教えます、話します。

ここが構造的な問題だと私は思うのです。
自分では間違ったことをしているとは思っていないから、自分の間違いには滅多に気が付かない。自分は正しいことをしていると心から疑わないのです。しかも、教壇に立つと、一度先生になると、基本的に教師は、叱り飛ばされることはない。いつも、「先生、先生」と言われる。だからますます、自分は正しいと思い込む。

教師になったころ、母に
「あたしゃ、先生と呼ばれるほど馬鹿じゃないよ」
と言われたことがあります。そのときに、何を言っているのか分かりませんでしたが、今はよく分かります。

間違いを減らすための工夫

この間違いを減らすためにはどうしたらいいでしょうか。
私が意識してやってきたことは、次の4つです。

1.自分の授業を録音して聞く
2.仲間からのフィードバック
3.記録からの省察 
4.実践の発表

1.教師になった頃、恩師に「池田、お前の話を、生徒は理解しているか?」と言われたことがあります。授業についてそれなりにトレーニングをしてきた私は、「はい」と答えましたが、「お前の話はモゴモゴ言っていて、何を言っているか分からないときがある」と言われました。

そこで、自分の授業をラジカセに録音して聞いてみたところ、これがまあ、ひどい(^^)。滑舌は悪い、「えー、あー、うー」などのフィラーは多い、ネタを振っておいて、生徒が笑う前に笑い始めている(^^)。これは直さないとまずいと思って滑舌調音でトレーニングしたりしました。

パラダイムシフト 教師の間違え1

それからときどき、自分の授業を聞くようにしました。いろいろと分かるものです。
(あ、この説明、いらない)(この話は後ろに回すべきだな)とか。手軽で効果的な方法です。その結果、今では中学校の国語の教科書の編集委員として話す・聞くを担当したり、大学の授業では「とても聞きやすい」と学生たちに評価されるようになりました。恩師に指摘していただいて、本当によかったです。

2.私がゼミの同期会でもらったものです。職場の同期でもいいし、教育系のサークルの仲間でもいい。フランクに話せるところがいいと思います。

私は教師になって最初の頃、数年間は全生研(全国生活指導協議会)のサークルに所属していて、月に一回自分の実践を文章にまとめて仲間に読んでもらっていました。こういうサークル活動は大事だと思います。

3.「仕事は記憶でするものではなく、記録でするもの」という言葉はどこかで知りました。まさにそうだなあと思うのです。私は子供の頃から自分の日記というものを書き続けることができませんでした。ただ、生徒の記録は取れました。

生徒の記録は、学級通信や教科通信で残しました。これをときどき見てふりかえり、自分で違和感を感じるところはないかを確認していました。時間をおくことで、客観的に見ることができる部分が多くなるからです。

また、エクセルに生徒があれこれしたことを、一言メモしていました。日付と生徒の名前をA.Bのセルに書いて、Cのセルに何があったのかを書く。これだけです。1日に5分。しかし、これが実に効果的でした。問題が起きたとき、これをプリントアウトして、保健室の先生に見てもらったり、生活指導の先生に相談するときに使ったりしていました。

学生たちによく言うのは、「助けてもらいやすいように、働け」ということです。資料が残っていないと、ベテランの先生でも、助けたくても助けられませんから。

4.これは研究会や勉強会、または、教育雑誌に実践記録を発表することです。私の場合は、『生活指導』(明治図書)、『授業づくりネットワーク』(学事出版)に原稿を書く機会を得たことで、多くの勉強ができました。

現在、教育雑誌に若者が書く機会は減っていると思います。しかし、私の頃にはなかった、ブログ、Facebook、Twitterなどがあります。本当に力のあるいい実践の文章は、見る人が見れば分かります。また、適切な批判もしてもらえます。一番大変ですが、一番力の付くところです。自分の間違いを正してもらえるところです。挑戦してほしいと思います。

想像力を働かせる

結局のところ、この間違いを減らしていくには、想像力を働かせることが大事ということになるのでしょうか。この言葉を言ったら、相手にどう伝わるか。また、この言葉でダメージを受ける子供はいないだろうかと想像することです。

私が突発性難聴の後遺症で、右耳がほとんど聞こえなくなってから分かったことがあります。例えば、耳が聞こえにくい人は、地声で大きな声で話されるよりも、普通の声をマイクで拾って拡声してもらった方がよく聞こえるということです。

大学の教授会では、そんなに広くない会議室を使うのに、発言のときにはいつもマイクが回ってきました。
(このぐらいの部屋なら、問題なく届く声が出ます。300人までなら地声で問題なく授業できますから)
と、耳がよかった頃の私は思っていました。

しかし、今は分かります。あの教授会のメンバーに、耳が聞こえにくい人がいるんだなあと。だからその人のためにマイクなんだなあと。それから、私も、大学の授業で、30人以上の授業ではマイクを使って話すようにしています。この中に耳が聞こえにくい学生がいるやもしれないからです。

これは、私が耳が聞こえにくくなってからよかったことの数少ない、よいことです。体験したことで、知識を得たことで、分かりました。学校には、色弱の子供、ディスレクシアの子供、人工肛門の子供と外側からは障害の見えない子供がいます。まず、これらの障害があることを知らなければ話になりませんが、その上で、こういう子供たちには、どうしたらいいんだろうかと想像できるかどうか。

私たちが、教師の持っている「自分は正しい」というごうに、適切に対処するのはなかなか大変です。しかし、それをしなければ、し続けなければならないのもこの仕事だと思うのです。

今回で12回目となりました。
みなさんに読んでいただけたおかげで、ここまできました。

じつは、seasonのひとくくりを6回で考えて連載してきていました。ということで、これでseason2が終わることになります。
藤原先生と一緒に夏休みに集中して書き続けてきましたが、毎週の連載となると学校が始まってからではちょっと大変でして。

勝手ながらこの連載、season3以降は、隔週公開とさせていただければと思います。次回、第13回の公開予定日は、2021年10月21日(木)。それ以降は隔週木曜日に公開予定です。
この後は、授業に関することも出てきそうな気がします。よろしければ、今後ともお付き合いください。

現場教師によるキャッチボール解説by 藤原友和

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