研究授業で酷評されてツライ【現場教師を悩ますもの】

「教師を支える会」を主宰する『現場教師の作戦参謀』こと諸富祥彦先生による連載です。教育現場の実状とともに、現場教師の悩みやつらさを解決するヒントを、実例に即しつつ語っていただきます。
目次
【今回の悩み】先輩の先生方に授業を酷評されて、立ち直れません
公開研究会で多くの先生の前で授業をする機会があり、授業後の協議で先輩方から厳しい評価を受けました。中堅と言われる年代ですがこたえています。同じ学年の先生からは励まされましたが、虚しくて授業をする気が起きません。
(小学校教諭・30代男性、教職年数:10年)
いい授業の基準は何か? 新しい学力観への転換期
ここで問われるのは、授業に対する信念だろうと思います。例えば「道徳」の授業でも、何がいい授業かというと意見は相当、分かれると思います。都道府県や地域、学校によっても違ってくるでしょう。さまざまな学会の考え方もあります。
ベテランの先生や引退した先生方が大事にしてきた授業観を継承している地域もあって、何十年もずっと同じタイプの授業をよしとしている地域もあります。子どもたちでも答えはわかりきっているし、先生が何を言ってほしいのかもわかります。「〇〇さんのように、親切な人間になりたいと思います」と言わせたいのです。そういう授業がいい授業だと思っているのです。「子供に考えさせる授業」よりも「答えを教える授業」をしたほうが教師自身の気持ちが落ち着くからでしょう。
新しい学力観では、そうした授業とは一線を画した方法が求められています。各教科とも「教える」というよりも、子どもたちが自分で考えたり、問題解決のために話し合ったりするやり方へと向かっているのです。道徳も新しい学力観で授業をする場合、親切の意味や価値を教えるというより、「親切が大事ってどういうことだろう?」とか、具体的な場面に応じて「こういう時はどうしたらいいのだろう?」と、考えさせる授業になるのです。