集団の中で鍛える「話す・聞く」の指導法とは【先生のための学校】

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学力研 先生のための学校校長

久保齋

あなたは「話し方」の指導をしていますか。 子供たちの学習能力を「読む・書く・話す・聞く」とするならば、「話す・聞く」の指導が最も難しく、困難な課題です。

執筆/「先生のための学校」校長・久保齋

学力研「先生のための学校」校長・久保 齋

「話す・聞く」は集団の中でのみ鍛えられる技

「読む・書く」の指導は野球の指導のようなもので、プレーをセットして指導できますから、やり始めれば急速に上達していきます。授業中も「では、今から書きなさい」「今から読みなさい」と、場を設定して指導できます。

ところが、「話す・聞く」はサッカーのようなもので、常にプレーは流れており、状況は流動的です。Aのボール扱いによって、BやCの行動が変わらなければ、よいプレーとは言えませんから、「話す・聞く」の高度な指導はいたって困難なのです。

つまり、「読む・書く」は野球のように条件を設定し、条件の中で全力を出しきる指導を、「話す・聞く」はいつでも状況を見定め、最良のボールの受け渡しができるような指導を、ということになるのです。

「私は○○だと思います。理由は○○です」といった話型による指導などは、「話す・聞く」指導の初歩中の初歩で、話し方指導の本質ではないのです。ゲームの中で、どのようにボールを回していくかというセンスをクラス全員に伝授しなければ、「話す・聞く」の指導をしているとは言えません。「話す・聞く」は、まさに集団の中でのみ鍛えられる技そのものです。

集団の中で鍛えられる「話す・聞く」活動

場をしらけさせない 心構えを育てる

私は、「話し方」指導でまず育成しなければならないのは、《意見を求められたら、必ず何らかの発言をすること、自分の意見がまとまらないからといって、その場を白けさせない》、そんな力を養うことだと考えています。つまり、ボールが回ってきたら、必ず蹴り返せという指導です。

このことを、私は授業のはじめの10分間、教師の《語りと聞かせ》による指導の10分間を活用して、子供たちに徹底して学ばせてきました。

真ん中にいる教師が子供たちに次々とパスを出し、子供たちは座ったままで、思ったことや知っていることを次々に発言していきます。このときの子供たちは教師からパスをもらい、また、教師へパスを返すだけだから、気楽なものです。

この指導で大切なことは、答えの質ではなく、正解を答えることでもなく、ただ《場をしらけさせない》こと、そのことに尽きます。この指導を徹底しておくと、授業のはじめの時間に、心地よい音読による全体把握、続いて、教師の指導による子供たちの楽しい会話の時間が演出できるのです。

「今日は水道について考えてみよう。ところで、和樹くんの家には蛇口がいくつありますか?」

こう質問されたとき、長い沈黙のあとに正確に「5つです」と答えることよりも、

「ちょっと待ってください。キッチンに2つでしょう。洗面所に1つ、お風呂に2つ、庭に1つ、ガレージに1つ、全部で7つです」

と指を折りながら答えるほうがいいんだ、ということを教えなければなりません。なぜなら、このような発言のほうが友達の脳をよりよく刺激し、その場の雰囲気を高め、クラスを盛り上げるからです。

その場にふさわしい発言の仕方を教える方法は、ただ一つです。それは「具体的でいいね」とか「明るい声でクラスが元気になったよ」とか、よい発言のときに短くひと言評価することを続けていくことです。

結論ではなく 思考過程を語らせる

「話す・聞く」の力は話合いの中で培われなければなりませんが、それはなかなか難しい。その理由は次のようなことだと思います。

まずいちばん大切なことは、本来、話合いのおもしろさは、その人の《思考過程》そのものにあるということです。人の話を聞く楽しさは、その人独特の考え方や、そのように考えるようになった過程を聞くことだと思います。そして、その話を聞きながら、自分との共通点で共感したり、考え方、理論の進め方の違いに触発され、自分の思いをめぐらせるところにあります。

話合いのおもしろさは、その人の思考過程そのものにあるにも関わらず、学校での学習では、結論が第一義と子供も教師も考えてしまっています。この部分の意識を変えなければならないのです。

そのためには、教師は「子供を大切にするとは、その結論ではなく、その思考過程を大切にすることなのだ」ということをしっかりと自ら心に刻み、子供たちの発言を聞く実践を行わなければいけないし、子供たちには「友達を大切にするとは、その子の結論ではなく、その子の思考過程を大切にすることなのだ」と、徹底して教えなければなりません。

「話すこと」についても同じようなことが言えます。日本の子供たちがうまく話せないのは、正しい結論を述べなければという強迫観念に近い思いがあるからです。そして、それを言葉で何とか飾りつけようとするからです。

結論とは、話すに値しないぐらい短いものです。しかも、どの子も大差ない結論を出すものです。そうではなくて、その子の独自なものはその《思考過程》にあるのです。

近年、教育界では「結論を言ってから理由を述べる」のがよい発言とされていますが、私は、これは日本語の特性の点からも、小学生の発達段階からも不向きだと考えています。もっと子供たちの思考過程を大切に思考過程に沿った発言で、のびのびと発言させるほうが豊かな実りを生むと思います。

二年生の公開授業で「私は○○だと思います。理由は〇〇だからです」と発言する授業をよく見かけますが、話合いの授業ではもっと子供らしく、子供たちの思考過程に沿って「僕は、○○は○○だけど、△△は△△だし、◇◇は◇◇だから、□□だと思います」というような発言のほうが子供たちを豊かにしていくと考えています。

主体的で対話的な深い学びを実現していくにつけても、話し方の指導、話合い活動の指導においてはその形式の指導ではなく、子供たちの思考過程がより豊かな実りを結んでいるかの内容吟味が大切だと考えています。

写真/町田安恵

『小二教育技術』2018年12月号より

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