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支援が必要な子と、通常の学級に通う子。無意識のうちに「分けて」いませんか?

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大切なあなたへ花束を
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元大阪市公立小学校校長 みんなの学校マイスター

宮岡愛子
大切なあなたへ花束を
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もうすぐ2026年の新年度・新学期を迎えますね。みなさんの昨年度の学級経営・学校経営はどうでしたか? 良かれと思って行った教育活動の中で、子どもたちを無意識のうちに、「分けて」いたことはありませんでしたでしたか? 日々の教育活動の、当たり前の中に潜んでいるかも知れない差別。新年度を迎える前に一旦立ち止まり、宮岡先生と一緒に考えてみませんか?

【連載】大切なあなたへ花束を #26

執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子

当たり前に子どもを「分ける」ということ


私が4月に校長として着任したばかりの学校での出来事です。新年度、一番はじめの学習参観を目前にしたある日、校内を巡視して各教室の掲示物などを見ていたところ、あるクラスの様子に思わず立ち止まってしまいました。

そのクラスでは、習熟度別の算数の学習参観が予定されていました。子どもに応じた学びを見てもらうため、複数の教室に子どもたちを振り分け、名簿が張り出されていました。
私はその名簿を見て、びっくりしたのです。
特別支援学級に在籍をしている子どもたちの名前は、何も書かれていませんでした。空欄です。教室名がないのです。

確かに、特別支援学級の子どもたちは、算数の時間は最初から、特別支援学級の教室で学んでいました。
でも、空欄ってどういうこと?
担任を見つけて、
「なんでこの子らの名前の後には、どこで学習するか場所が書いていないん?」
と聞くと、
「はい、もともと算数の時間は一緒に学んでなくて、特別支援の教室に行っていますから。いつも教室で算数の授業を受けてる子どもらは、今回は習熟に応じて教室を変えることを知らせるために書きました」
と答えたのです。
ただ、いつもと教室の場所が変わることを知らせるために名簿を掲示しただけ。特別支援学級の子どもたちはもとより別教室に行くから書く必要はないだろう、という認識で、その担任には差別するとか、分けていると言った意識はまったくありませんでした。

しかし私は、すぐにその名簿を外してもらい、全員の子どもたちの名前の後に、今回の参観のときに学習する場所を書くように指示しました。


これは退職後にサポーターとして入っていた、別のクラスでの話です。
そのクラスでは、宿題の点検にクラス全員の「提出一覧表」という掲示物を使っており、先生が点検をして、提出したら、国語や算数など、教科のところに「〇」を付けるようになっていました。
しかし、特別支援学級の子どものところには、「ひまわり」と特別支援学級名が書かれているだけで、◯はついていません。
きっと、特別支援学級の子どもたちも、個別に宿題をもらっているはずです。どうして、違うメニューであっても、「ひまわり」から出された国語や算数の宿題を提出したら「〇」を付けないのでしょうか?

このクラスを担当している先生にも話を聞きましたが、やはり特別支援学級の子どもたちを差別している意識はもっていませんでした。

これはつまり、担任の心に「子どもたちを分けることが当たり前」
という意識があるからにほかなりません。
自分の子どもの名が書かれていない表を、保護者が見たらどう思うでしょう?
同じクラスの子たちが見たら、どんな意識を植え付けられるでしょう?
特別支援学級に在籍している子どもも、そうでない子どもも、
「いつもいっしょに学んでいるけれども、たまたま、自分に応じた学びをするために、教室を分かれて学ぶ時間になった」
ということです。子どもに応じた個別最適な学びを提供することは制度としては正しいかもしれませんが、子どもたち一人ひとりを等しく大事に思う意識を忘れてはなりません。
子どもたちも、その担任の意識を敏感に感じ取ります。

それは本当に子どもたちのため?

この学習活動は、みなさんも体験したことがあるのではないかと思います。
特別支援の子どもたちが計画を立てて実践する、お店屋さん活動です。
特別支援の子どもたちがアイデアをこらしたさまざまなお店屋さんを作り、同学年の子どもたちを招待します。お店のなかには、ボウリングや魚釣りなどのゲーム屋さんもあり、みんな温かく楽しい空気の中で楽しんでいます。お店を開いている子どもたちは、司会も担当し、めっちゃやる気いっぱいです。
盛会の中活動は終わり、特別支援級の子どもたちは、やり切った感をもちました。
来てくれた友だちや先生から「楽しかった」「もっとやりたかったわ」と言われ、とても嬉しそうでした。
行事としては大成功です。しかし、この活動の目的とは何でしょうか?
生活単元学習として、お金のやりとりや接客などの疑似体験を通し、コミュニケーション能力や社会性を育む。そういうことでしょう。
それは分かります。しかし、どうして特別支援学級の子たちだけがお店屋さんなのでしょうか。
どうして、同じ学年の子どもたちが、全員でお店を考えて、つくって、開いて、違う学年の子どもたちみんなを招待する、というようなことにならないのでしょうか。
本当のコミュニケーション能力や社会性は、分断の中から生まれますか?
子どもたちは仲良くなりました。しかし、いつも一緒に遊んでいるのは特別支援学級の在籍児童同士、通常学級の子ども同士、ということになってしまうのです。
このような学びの場を学校がつくることで、子どもたちは分けられていると思うのです。

子どもたちにどう伝わるのか? その目線を忘れないで

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