インタビュー/赤坂真二さん|コロナ禍×「働き方改革」により学校から奪われたのは「つながり」【今こそ問い直す!先生を幸せにする「働き方改革」とは⑦】
全国の学校で、今進められている「働き方改革」。ともすると時短ばかりが強調されがちですが、本当の意味で教師の仕事にやりがいや楽しさを感じられる改革になっているのでしょうか。学校教育のオピニオンリーダーの方々に改めて「働き方改革」の本質を語っていただきながら、子供も先生も皆が幸せになる「これからの教師の働き方」について考えていきます。連載第7回は、上越教育大学教職大学院の赤坂真二教授にお話を伺いました。
〈プロフィール〉
赤坂真二(あかさか・しんじ)
1965年、新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現所属。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。2018年3月より日本学級経営学会共同代表理事。『最高の学級づくり パーフェクトガイド』(明治図書出版、2018)など著書多数。編著に『ウェルビーイングの教室』(明治図書出版、2024)がある。
目次
コロナ禍と「働き方改革」が学校から奪ったもの①…つながり
「働き方改革」の話を単独で考えることも大事ですが、コロナ禍の3年間に始められて今も継続されている取組がたくさんありますので、コロナ禍の要因も合わせて考える必要があると思います。なぜなら、コロナ禍の非常に差し迫った状況のせいで、「働き方改革」が歪められた形で展開してしまったのではないかと私は感じているからです。
まず、コロナ禍と「働き方改革」によって学校から奪われてしまったものを二つ挙げておきます。一つ目は「つながり」です。
コロナ禍の3年間でオンライン授業が普及しました。当初は大変現場が混乱したものの、先生方の優れた適応力によりオンライン授業がすぐに開始されました。当時は文部科学省を中心に、教育関係者の間では「学びを止めない」が合言葉のようになっていましたが、これに関しては実現できたと言えます。学習の遅れはほとんどありませんでした。それは2022年に実施されたOECDのPISA(Programme for International Student Assessment)調査の結果で、日本の子供たちの学力が高かったことからも明らかです。
その一方で、「学びを止めない」ことだけではなく、「つながりを断ち切らない」こと、「居場所としての学校」の重要性も指摘されていたのですが、こちらがどうなったかの検証、検討は十分になされていないようです。今の時点で言えるのは、コロナ禍が明けた学校では、子供同士のトラブルが頻発している現場もあるということです。
そんなある小学校の教頭先生に話を聞きました。コロナ禍後は高学年のケンカが絶えないそうです。コロナ禍の最中には子供同士の接触が少なかったのでトラブルは少なかったのですが、コロナ後には接触が増えてトラブルも増えました。例えば、子供たちが「あいつが先に『死ね』って言ったのに、なんで僕が言っちゃいけないの?」といった具合に、自分が傷つけられたら相手を傷つけていいのだと、当然のように主張するのだそうです。こうしたことが特別のことではなく、「よくあること」になっているというのです。
担任はケンカした子供たちを指導するのと同時に、保護者に連絡をします。そうすると、保護者は家で子供をきつく叱ります。家で叱られてストレスが溜まった子供たちは再び学校でトラブルを起こし、担任がまた指導し、保護者もまた叱る、という悪循環になっています。
この悪循環の背景には、 教員と保護者の関係の変化があります。子供が問題行動をしたときに電話で保護者に伝えること自体は、教員がコロナ前にもしてきたことです。しかし、今の保護者の受け取り方は以前とはだいぶ変わったのです。
コロナ前には、子供の良かったところを見つけたら、保護者に電話をして「お母さん、ちょっと聞いてください。今日、感動したんですよ。〇〇さんがこんなことをしました」といった姿が見られたものでした。私も教員時代には連絡帳にその日にあった子供の良いところを書きましたし、ときには電話をして直接お知らせしていました。すると保護者は、「先生から電話が来たからびっくりしちゃった」などと言いながらも、次の日の連絡帳に「子供の良かったところを食卓で話題にできて嬉しかったです」といったお返事をいただいたりすることがありました。
しかし、コロナ禍の3年間には、 保護者とこうしたコミュニケーションを取らなかった学校もあり、そのような現場では上記のような温かな関わりが希薄になりました。その結果、保護者は担任からいきなりわが子に関するネガティブな情報を聞かされ、学校に不信感を抱いたり、必要以上に子供を強く指導したりしてしまう人が増えたようです。
私が最近訪問したある学校では、赴任したばかりの校長先生が悩んでおられました。あまりにも保護者からのクレームが多いからです。「教員は一緒に子供を見守り、育てる協力者」だと保護者は思っていないのです。そのため、子供同士のトラブルを保護者に伝えるときにコミュニケーションがうまくいかず、教員は反発をくらってしまいます。この学校の先生方は放課後になると保護者対応でとても忙しくしているそうです。
ここまで読んで、どこが「働き方改革」と関係してくるのか、と疑問を感じた方もいるかもしれません。
コロナ前には、「人と人との付き合いは煩わしいけど、大事にしないといけないよね」という風潮が社会全体にあったと思うのです。しかし、コロナ禍には「人と接触してはならない」という、制限のある世の中になったことにより、「無理して人間関係なんてつくらなくていい」という考え方にお墨付きを与えた形になりました。それにより、学校では以前から教員が「面倒くさいな」「煩わしいな」と思ったことを削除・削減するという方向に、「働き方改革」を進行させてしまったのではないでしょうか。保護者と積極的にコミュニケーションを取ることよりも、「早く帰ること」を優先させたのです。
今学校で起きているのは、子供同士のトラブルの増加、教員と保護者の相互不信だけではありません。もう一つ、大事なつながりが失われたと見ています。それは教員同士の関係性の希薄化です。学校では「働き方改革」により、教員は仕事を早く終わらせて帰らなくてはなりませんから、教員同士が勤務時間中に雑談をする暇はありません。飲み会等もほとんどなくなり、教員間のコミュニケーションが決定的に不足しています。
これは放置できない問題です。職員室に協力し合う雰囲気がない学校では、教員は皆一人で戦わなくてはなりません。荒れた学級があっても手を差し伸べる余裕がなく、その状況を改善することができません。職員室の雰囲気を改善しなければ、子供のトラブルは続き、前述したような悪循環が続くのです。
コロナ禍と「働き方改革」が学校から奪ったもの②…学校の充実感
コロナ禍と「働き方改革」が学校から奪ったものの二つ目は、充実感です。
コロナ禍の3年間は、日本の公教育の長い歴史の中で、初めて学校がカリキュラムマネジメントを積極的に行ったといえます。問題は、その際に何を削ったのかです。多くの学校が行ったのは、学校に潤いや充実感をもたらしてきた特別活動を大幅に削り、教科指導の時数を確保することでした。
2020年のコロナの第一波の頃、中学校の先生たちからたくさんのメールや電話をいただきました。部活が縮小され、大会は中止となり、合唱祭や体育祭などの行事も中止になって、生徒たちは学校生活に張り合いがなくなり、お祭り騒ぎで盛り上がる機会もなくなり、学校がつまらないものになってしまった、というのです。
学校から楽しい部分を削り取る際に、一役買っているのが「働き方改革」です。どの学校でも当然のように行事を縮減し、「〇〇を減らした、〇〇をなくした」ことは話題になりましたが、その結果、学校生活にどんな影響を与えたのか、子供の発達にどんな影響を与えたのかは全く検討されていないのではないでしょうか。
運動会を午前中で終わらせるために競技種目を減らし、その分、練習時間が少なくなって、「負担が軽くなった」と答える先生もいないわけではありません。しかし、 学校行事は子供たちの非認知能力を育み、協働性などを感じ取らせるためのとても大事な時間だと認識している先生の中には、危機感をもっている方もいます。「教員の負担を軽減する」という理由で、安易に行事を削減することには疑問を感じます。
例えば、多くの学校で運動会が縮小されましたが、練習時間が減ることにより、子供たちの運動会に対する意欲は確実に低下し、淡々となんとなく行事をこなすようになったそうです。教員たちも一生懸命準備をしてきたわけではないため、たいした思い入れもなく、なんとなく半日で終わる、といった形になり、運動会そのものがもはや教育の場でなくなり、ただの「こなし業務」になっている学校もあります。
「働き方改革」の本来の目的とは?
そもそも「働き方改革」の本来の目的とは何でしょうか。教員が子供とふれ合い、細かく見取る時間を確保するためには、教員を雑務から解放する必要がありました。教員が本当にやらなければならないことに向き合い、多忙化も解消される中で学校教育が潤っていく、つまり、子供たちの教育の質を向上させることが「働き方改革」の目的だったはずです。
ところが実際は、その目的を達成する方向には進まず、多くの学校では単に勤務時間を短くし、早く帰ればいい、となっているように見えます。
先ほど申し上げましたが、運動会の縮小に際して、運動会を午前中で終わらせるようになりました。事務手続きの面でも、通知表の所見欄の数や回数が減り、それに関わる時間が減りました。朝の打ち合わせや会議、研修なども減りました。このようにコロナ禍と「働き方改革」によって、教員がやらなければいけないことは確実に減りました。しかし、「仕事の一部分が減ったとしても、空いた時間に別の業務が入ってくるため、それほど楽になっていない」と、ある先生は言っていました。減ったのは上澄みのところだけで、結局、教員の仕事の総量はそれほど変わっていないからです。
仕事の総量が減らないのに、「早く帰れ」と言われ、勤務時間を減らしたらどうなるでしょう。勤務時間内に処理する仕事の量が増えますから、テストの丸つけなどを休み時間や給食の時間、つまり子供が学校にいる時間に終わらせなくてはなりません。結局、子供とふれ合う時間が少なくなるのです。
先生方は、なぜ教師になったのでしょうか。それは子供の成長に寄り添い、子供の「できた・分かった」という成長の瞬間に立ち合いたいからではないでしょうか。教員たちの多くは特に給料を増やしてほしいとは思っていないし、単に「早く帰れればそれでいい」と思っているわけではないでしょう。にもかかわらず、子供とふれ合うという仕事のやりがいの根幹に関わる時間を削り取り、学校での負担を重くしているのが、今の「働き方改革」のデメリットだと思います。
さらに、「働き方改革」は教員のモチベーションを奪っています。「早く帰る」ためには仕事を増やすべきではないので、行事などは基本的に前例踏襲になります。やってみたいことがあってもやりにくくなり、チャレンジもしにくくなりました。
教職は学校の中で自立性や自主性が保障された仕事だからこそやりがいがあり、楽しいのです。これは教員のモチベーションに関する研究で明らかになっていることですが、それぞれの教員が教育活動を自由に展開していけることが重要です。そういったことが教員のモチベーションの向上につながっているのに、給料、時間などの外的報酬によって、それを高めようとするのは根本的に間違っていると感じます。
学校管理職が今後重視すべき四つのポイント
では、現状を改善し、「働き方改革」の本来の目的である教育の質の向上を達成するためにどうすればいいのかというと、今こそ校長先生のマネジメント力が問われています。そのポイントは四つあります。
①校長のビジョン
特に、校長に対して教員が期待するものは、ビジョンです。
ビジネスの世界では良いチームにはお互いを認め合う良いカルチャーがあるとされます。学校も同じでしょう。ポジティブなカルチャーを校風としてつくっていく必要があり、その発信元になるのは校長です。校長にはポジティブなカルチャーの担い手、創造主であってほしいものです。そのためにも校長がビジョンを語り、進むべき方向を教員に示す必要があります。
例えば、「今の子供たちの幸せなくして将来のwell-beingはあり得ないのだから、今の子供たちの幸福感を守り、大切にしましょう。職員室の在り方は学級の雰囲気に直結しますから、本校では職員室の心理的安全性を大事にしていきます」などのように、学校経営の方針を示すことが重要です。「『働き方改革』は教育の質を高めるために行うもの」だということも、事あるごとに伝えていってほしいと思います。
これはやる気のある教員のモチベーションを奪う教員への対策としても効果があります。新たな提案には反対し、仕事をできるだけ増やしたくないと考える教員たちも、校長の方針に逆らうことは言いづらいものだからです。
②職員室のコミュニケーションの活性化
学校経営のビジョンを示したうえで、校長先生に進めていただきたいのは職員室のコミュニケーションを活性化していくような雰囲気づくりです。
具体的には、教員が気軽に雑談できるかどうかが重要です。私の研究室に所属する大学院生が、アンケート調査で「本校の職場は協働的で相談しやすい」と答えた人が8割程度いる職員室でフィールドワークを行いました。その結果、その職員室はインフォーマルコミュニケーション、つまり、目的のない、雑然としたコミュニケーションの量がとても多いことがわかりました。
雑談の効果については、近年、企業のチームビルディングでも重視されるようになりました。その一方で、学校ではかつて職員室にコンピューターが導入されたときから、先生たちが顔を合わせて話す時間を削ってきたわけです。それに加え、「働き方改革」で職員の朝の打ち合わせや会議なども減らして顔を合わせる機会を減らしてきましたので、ちょっとした雑談ができなくなっています。今、学校が組織として機能しにくくなっているのは、コミュニケーションの量が減っているからです。
職員室を雑談ができる雰囲気に変えていくには、そのきっかけとして校長や教頭(副校長)、教務主任などの職員室の前方に机を並べているメンバーが、職員室で雑談をして見せることが効果的です。
ある中学校の校長先生は、校長室にじっとしていることがありません。頻繁に職員室に顔を出し、「この前のあれはどうなった?」「あの子はどうしてる?」「廊下の花を生けてくれてありがとう」などと、教員を相手に上機嫌でずっとしゃべっています。言うべきことは言いますが、職員の話を聞くのもうまくて、校内で一番の聞き上手でもあります。このように校長先生が率先して雑談をしてみてはいかがでしょう。
管理職の立ち居振る舞い、ソーシャルスキルのあり方は、教員たちにポジティブに影響することもあれば、ネガティブに影響することもあります。
例えば、校長が教員と顕著な上下関係をつくると、その関係性が教員同士にコピーされます。職員室にあからさまな上下関係があると、教室では教員が子供に対して上下関係をつくろうとします。そして、教室の中に上下関係ができていくと、下位に置かれた子供たちは居づらくなって学校からどんどん離脱を始める、そういう構造があります。やはり、管理職がフラットに関わり、民主的な職員室の雰囲気をつくり出すことが大事であり、それは学校全体の教育の質の向上に確実につながります。
③教員への職場満足度に関するカジュアルなアンケート
直接職員から話を聞く機会が確保できない場合は、職員を対象にした職場満足度に関するアンケートのようなものを行ってもいいかもしれません。例えば、「職員室の雰囲気は良好で協力し合える環境だと思いますか」「職員間のコミュニケーションは円滑だと思いますか」などの質問をして、5段階程度で評価してもらいます。きちんとした調査というよりも、カジュアルなものにするのが大事だと思います。
各教員が職員室についてどう捉えているのかについては、普段は表に出てこない内面の見取りが大事ですから、アンケート調査に基づいて校長は面談をするとよいと思います。例えば、「管理職や同僚からのサポートが十分だと思いますか」との問いに、「そう思わない」と答えている人には、面談でその理由について聞いてみます。「実は助けが求められないのです」と答えが返ってくるかもしれません。それを受けて管理職が中心になって、職員室で助け合える雰囲気をつくっていくこともできるでしょう。このような職場満足度調査のようなものを実施する中で、管理職が職員の声に耳を傾け、細かく職員のあり方を見ていってほしいと思います。
④研修の最適化
また、校内研修の内容を見直すことも重要です。「働き方改革」で研修の時間を削った学校は多いと思いますが、問題は削り方です。教員にとって必要な研修を削ってしまっていないでしょうか。
授業を失敗しても辞める教員はいませんが、学級経営に失敗すると、心を病んで辞める教員はいます。今、必要なのは、教員たちを守るための研修です。
だからこそ、研修を構造化する必要があります。 例えば、1学期の校内研修は、特別支援教育、学級経営、保護者対応などをテーマに行い、教員たちに盤石な基盤をつくってもらいます。
2学期からは、その基盤をもとに、職員間のコミュニケーション、協働を組み合わせた授業研究、校内研究を行い、授業力の向上を目指します。ただし、従来とはやり方を変え、校内研究はファシリテーション型やディスカッション型で行うといいと思います。そして、研究授業が終わったら、成果と課題を出し合い、授業者が「授業をやってよかった」と実感できるようなフィードバックを行います。
3学期は学校評価をします。今年度に何ができて何がうまくいかなかったのかを振り返り、評価をして、次年度の重点目標を決めるのです。声の大きい人、一部の人の思い入れで増やしたり削ったりするのではなく、職員の声を吸い上げ、成果の上がっていないことは削り、子供の成長や職員のやりがい向上に対して意味のあるものは残します。職員の成長実感を奪うような削減をすると職員がそこから「逃げていく」、といった一部の民間企業で起こっているようなことにならないようにしたいものです。
「働き方改革」の成果をどうやって評価するか
これからは「働き方改革」の成果の評価のしかたも変えていく必要があるように思います。単純に時短を達成したかどうかで評価しても意味がないからです。
PISA調査や、全国学力・学習状況調査の結果が発表されるタイミングで、よく言われることがあります。それは「この地域は学力が向上したけれど、いじめや不登校はどうなりましたか」ということです。
「働き方改革」も同じです。教員の長時間勤務が減ったけれど、いじめの認知件数や不登校の件数が増えたのだとしたら、それは改革の方向性が間違っているのではないでしょうか。
これからは時短の達成率だけではなく、子供たちの学校生活への満足度、適応感、不登校やいじめの発生件数などと合わせて評価してはどうでしょう。これは「教育の質を向上させる」という目標を忘れないためにも必要なことです。
現役の先生たちへ「何のために教師になったのですか?」
最後にこの記事をお読みになっている現役の先生方に問いたいのは、「何のために教師になったのですか?」ということです。管理職や教育委員会に認めてもらうために教師をしているのでしょうか。そうではないはずです。
もしも子供のためにやりたいことがあって、それを誰かに反対されたとしたら、場合によっては「戦って」みてはどうでしょう。
ただし、一人で戦ってはダメです。また、職場の雰囲気を悪くするような戦い方もダメです。私の教員時代には、何かやりたいことがあるときは周りに味方をつくり、やりやすい環境をつくるようにしていました。誰かに反対されても、あきらめる必要はありません。周りを巻き込んでいけばいいのです。
職員室で摩擦を生じさせることが少ない先生方は、職員会議などで提案する前に、自己主張の強めの先生には「私はこうしようと思うんだけど、あなたはどう思う?」などと声をかけておくそうです。あらかじめ話を通しておくと、会議でもあからさまに反対されないからです。そうやってうまく進めています。
それに対して、「うまくいかない」と不満を口にしている方ほど、そういった根回しや交渉などをあまりしていないようです。
「働き方改革」は多くの場合、年長者たちが悪者にされます。「ベテランたちが悪い」「力を持っている人が悪い」という構造になりがちですが、職場の在り方に対してそんなに受け身でよいのでしょうか。働きやすい職場づくりを、管理職や一部の先生方の責任に帰することなく、自らも積極的に関与してもいいのではないでしょうか。
例えば、「働き方改革」で管理職のやろうとしていることに対して「おかしいのでは?」と感じたら、同じ考えの仲間とともに校長室へ行って、「これはどういうことですか」「ここはこうしたらいいのではないかと思っています」と説明を求めたり提案をしてみたりしたらどうでしょう。管理職に対して無条件に従順である必要はないと思います。ときには管理職と敬意と信頼をもった大人の作法に基づく対話を行い、教育の質を向上させる方法を一緒に考えながら、教職をやりがいのある仕事にしていってほしいと願っています。
インタビュー・文/林孝美 イラスト/池和子(イラストメーカーズ)