インタビュー/山田洋一さん|「働き方改革」を達成するために管理職が重視すべきなのは、職員室のコミュニケーション【今こそ問い直す!先生を幸せにする「働き方改革」とは②】
全国の学校で、今進められている「働き方改革」。ともすると時短ばかりが強調されがちですが、本当の意味で教師の仕事にやりがいや楽しさを感じられる改革になっているのでしょうか。学校教育のオピニオンリーダーの方々に改めて「働き方改革」の本質を語っていただきながら、子供も先生も皆が幸せになる「これからの教師の働き方」について考えていきます。連載2回目は、北海道公立小学校教諭 山田洋一先生にお話を伺いました。
〈プロフィール〉
山田洋一(やまだ・よういち)
1969年北海道札幌市生まれ。北海道教育大学旭川校卒業。北海道教育大学教職大学院修了(教職修士)。2年間私立幼稚園に勤務した後、公立小学校の教員になる。教育研修サークル「北の教育文化フェスティバル」代表。日本学級経営学会理事。公認心理師。『人間関係の「ピンチ!」自分で解決マニュアル』(小学館、2024)など著書多数。
目次
時短のメリットとデメリット
現在、時短の徹底ぶりは学校によって異なり、「早く帰れ」と管理職にうるさく言われる学校もあれば、そうでもない学校もあります。それでも、教育界全体で「働き方改革」に取り組んでいることで、多くの学校の職員室に「早く帰ろう」という雰囲気が生まれ、以前より圧倒的に帰りやすくなりました。「まずは時短をしましょう」という感覚が教員の間に根付いたのではないかと思います。
例えば、現任校では同じ学年の先輩の教員が残っているから若手は帰りにくい、ということはないですし、教頭が毎日最後まで残っていることもありません。家庭にいろいろな事情がある教員たちについても、「みんなが多様な働き方をしていいのだ」という考え方が広まりましたので、朝はわが子を保育園に送り、帰りも迎えに行くために早く帰る人もいます。周囲の教員たちも、早く帰る人が同じ学年にいる場合は、みんなで話し合った方がいいことを絞り込んで、その人がいるうちに話すなどの配慮をしています。少なくとも私の周りでは、早く帰ることへの罪悪感、多様な働き方をすることへの罪悪感はほとんどなくなっているように思います。これは本当によいことです。
ただ、時短によって失われたものもあります。やらなくてはいけない業務があって、その量は物理的に変わらないのです。そうすると、早く帰るために何の時間を削るかというと、管理職と教員、教員同士のコミュニケーションの部分です。職員室で雑談をする時間が減りました。以前だったら、仕事をしながら「ちょっと疲れたな」と感じ、休憩をしようと思って職員室でお茶を飲んでいるうちに、同じ学年の先生とおしゃべりが始まり、気が付けば30分経っていて、あわてて仕事に戻る……のようなことがありましたが、それはなくなりました。
よく管理職は「困ったことがあったらすぐに報告や相談をしてください」と言いますが、短い、ちょっとしたおしゃべりの先に、報告や相談があるのだと思うのです。普段から話をしない人にいきなり深刻な報告や相談はしにくいものです。コミュニケーションが減ったことで管理職に報告や相談をしにくいと感じている教員もいると思います。
それから、時短の推進によって自分の仕事を早く終わらせることが最優先になりましたので、 他の人の働きぶりや働き方に目が向かなくなり、悪しき個人主義になりやすくなったと感じます。特にパソコンが普及してからは、みんな画面を見て仕事をしていますから、他者に気を配ったり、変化に気づけたりすることが少なくなりました。
「教員の変化」を忘れてはいけない
今後も「働き方改革」を進めていくにあたって、考慮すべき点を指摘しておきたいと思います。それは、教員になる人たちに変化が起きていることです。今までは教員になるのは、自分の人生と仕事の境目がなくて、教師として生きることを自分の喜びとし、生きがいだと感じている人が多かったと思うのです。
しかし、 おそらく今の「働き方改革」が目指しているのは、学校をそういう感覚ではない人でも働ける職場にすることだと思うのです。学校は「『働き方改革』で働く時間が短くなりました。コンピューターが入って仕事が効率化されたので、誰でも働けます」とアピールして人を集めているからです。「流動性が高い」とはそういうことだと思うのですが、私たちの感覚からすると、今までだったら教員にならないような人、つまり、それほど教育に興味のない人が教員になって学校現場に入ってきているという印象を受けます。
例えば、保護者から勤務時間外に電話がかかってきたときに、担任に「〇〇さん、Aくんの保護者から電話が来ていますよ」と伝えたとします。
自分の人生と教師という立場の境界線を曖昧にして生きてきた私たちの世代の感覚では、勤務時間外だろうが、それは教師の仕事だと思ってこのような電話に出てきました。もしも出ない教員がいたとしたら、「あの人は教員としてはダメだよね」と心の中で思ってきました。
ところが今は、そう言われたら時計を見て「勤務時間外なので出ません」と言える人たちが現れてきています。しかも、「働き方改革」の下では、断ることが「正しいこと」になったのです。
保護者が多様で、子供も多様なのと同時に、教員の側も多様になりつつあります。これまで学校は、教えることが得意で、社交的で、子供が好きで、教育のためだったらすべてをかけてもいい、そんな人たちが教員をしていることが前提で、運営されてきたわけですが、その前提が崩れることになります。
ですから、教師という仕事に対する感覚が違う人たちも含めて、どうやって学校を運営していくかが今後の課題になると思います。今までは、新しく入ってくる人たちを今の学校文化に染めようとしてきましたが、その結果、不適応を起こして辞めていく人が出てきています。そうではなく、受け入れる側が変わらなければいけないのではないでしょうか。システムはもちろんですが、働いている人たちのメンタリティまでともに変えていき、学校が多様な教員を受け入れていくための土壌づくりも「働き方改革」と同時に進めていかなければいけない気がします。
本来の「働き方改革」の目的は二つある
これらのことを踏まえて、「働き方改革」について考えるときに、まずは本来の目的を確認しておく必要があると考えます。今の「働き方改革」は、時短そのものが目的化しているからです。本来の目的は二つあります。
一つ目は生産性の向上です。これまで学校ではこの意識が薄かったのではないでしょうか。例えば、学級通信を作るときに、30分で作ったものと1時間かけて作ったものでは、効果がどう違うのかをあまり考えてきませんでした。
あるいは、 子供たちが書いた日記を35人分、毎日1時間半かけて全部に目を通してコメントをつけている教員がいるとしたら、それにどのぐらいの効果があるのかを、私たちの世代は考えずにやってきました。「これが教育だ」と思っていたし、それが子供たちへの愛情の表現の仕方だと思っていたからです。
もちろん私もやっていましたし、それが悪いことだとは全く思いませんが、昨今は働き過ぎによる不幸な事例が起きています。そろそろ教育の世界でも、その部分を見直すべきときが来ているのではないかと考えます。
行事の指導に関しても、大きな行事に向けて教科の時数を10時間も削って指導したり、時には指導のし過ぎで不適切な指導になったりすることがありました。それが子供たちの成長に必要なことだとされ、本番に立派にやり遂げる姿を見て、教師も親も感動して涙を流し、「これが教育だ」と信じてきたわけです。しかし、それは本当だろうかと疑ってみる時期が来ているのだと思います。何かをするときに必ず生産性というフィルターをかけて、自分たちのしていることを見直すのは必要なことでしょう。
極端に長い時間をかけても効果が薄いと感じられるものはやめたり、形を変えたり、かける時間を減らしたり、ということをしていかないといけないと思います。時間あたりの生産性を向上させることは、絶対に必要な観点です。
「働き方改革」の目的の二つ目は、教員が意欲と能力を十分に発揮できるようにすることです。これが今の教員の「働き方改革」から抜け落ちている部分だと思います。そのため、勤務時間を減らすことが目的になっているのです。大事なのは時間を減らした結果、教員としての意欲につながっているのかどうかです。
例えば、 ある教員が勤務時間を減らし、毎日4時半に帰ることができるようになりました。仕事の後に大好きな釣りを2時間ぐらいしてから家に帰り、「ああ、なんて幸せな人生だろう」と実感している……としたら、その一方で、教員としての生きがいについてどう考えているのだろうかと疑問を感じます。
教員が生産性を向上させたことで、子供たちが成長したと感じられる部分があって、指導していた教員もうれしい、だからこれからも頑張っていこう、というふうにつながっていかなければならないでしょう。
つまり、生産性が向上して時短を実現したのなら、その分、教員は何をして、子供たちはどう変わったのかを自分自身に問いかけたり、職員室で問いかけられたりすることがないといけないのではないかと思います。
目的を達成するために管理職がすべきことは?
これらの二つの目的を達成するためには、管理職は何をする必要があるかと言いますと、それは、とにかく教員と話をして、話を聞くことです。個々の教員に意欲や能力を十分に発揮してもらうために、その教員が潜在的に本当は何をやりたいと思っているのか、どういう教育をしたいと思っているのかを引き出してほしいからです。
前述したように、教員の中には教育にあまり関心のない人たちもいます。彼らの意欲をどうやって形づくるかを考えるのも管理職の仕事でしょう。例えば、対話をする中で「君はあまり教育に興味がないのかもしれないけれど、君の特性はこういうところだから、それを生かしてこういう場面で子供を楽しくさせたり、他の先生方をサポートしたりすることができるのではないかと思う」などと話し、働く意欲につなげていくことが重要です。
管理職が自校の教員と対話をする姿は、 教員同士の対話でのモデルになります。管理職に話を聞いてもらって心地よいと感じた教員は当然、同僚の話も聞こうとするはずです。教員同士が話を聞き合うようになると、「あの人は教育にあまり興味がない困った教員だと思っていたけれど、話を聞いてみたら、自分の技能を使ってみんなを楽にしたい、この学校をよくしたいという気持ちはあるみたいだ」などと相手のことが理解できたり、共感できたりする部分が出てくるのではないでしょうか。
教育にあまり興味がないのに教員になった人たちも、 先輩たちも、お互いに「自分の考えていることとあの人の考えていることのここが似ている」と分かるだけで、ずいぶん働きやすくなり、働く意欲につながる気がします。
教員には居場所が必要であり、それは自分の話を聞いてくれる人の存在です。ですから、管理職が教員の話を聞く機会、教員が教員の話を聞く機会が必要なのですが、今の「働き方改革」の中で一番ないがしろにされ、その時間を削ってきました。しかし、それが実は一番重要なのだと思います。できれば管理職のほうから、「今日はちょっと顔色が悪いけど大丈夫?」、「先生のクラスの子供たちはあいさつの声がいいよね」、「先生のクラスのあの子、今日はちょっと沈んでいたけど、何かあったのかな」など、まずは声をかけてもらえたらと思います。
また、どの学校にも、一人か二人、働き過ぎている教員がいるのではないでしょうか。その教員に管理職が「早く帰りなさい」と言っても意味がありません。家で仕事をするだけだからです。そうではなくて、管理職が話をよく聞いてやることが重要でしょう。
例えば、若い教員が毎日遅くまで教材研究をしているのなら、それをやらなければいけないと感じているのか、あるいは、やりたいと感じているのか、その理由を聞いてみる必要があります。その理由が「 子供たちの笑顔を見たいから」「子供たちが喜ぶから」などであれば、仕事が忙しすぎて元気がなく、休み時間に一緒に遊んでくれない担任の存在は、子供にとってうれしいものなのかどうかを、管理職は対話を通して気づかせてあげなければいけないと思います。そして、先生が元気で、なおかつ子供たちが楽しく授業を受けられるようにする方法はないかを一緒に考えるべきでしょう。
それから、二つの目的を達成するために、もう一つ、管理職にしかできないことがあります。それは学校全体のシステムを大きく変えることです。
学校では、能力のある教員がたくさんの仕事を抱え込んでいる可能性が高いのです。負担過多になっている教員がいて、もしもその教員が体調を崩して休みに入れば、周りの負担が大きくなり、次々に人が倒れていき、結果的に「欠員が多い学校」になってしまいます。そのような学校ではシステムを変えていかなくてはいけないと思います。
例えば、 教務部の教員が休んだら、「教務部の他の教員が責任を取ってください」とするのではなく、休んだ教員の仕事を校内の教員全員に平等に分配する、そういう方法を考えたほうがいいと思います。一人がその仕事を1時間かけてやるのではなく、全教員が5分ずつその仕事をやれば、 極端に遅く帰る人はいなくなるからです。
この他にも、学年通信を印刷するのはやめよう、この行事をこのように変えようなどは、管理職の一声で変えられることです。ただ、それらの改革をトップダウンでやろうとすると、リーダーシップの名のもとに、誰も望んでいないことをしてしまう可能性があります。リーダーシップとは、みんなが何を考えているかを察知した上で発揮されるものですから、 決断する前に教員と十分に対話をして、「先生方は校長にこういうことをしてもらいたいと潜在的に思っているのだな」と、気づけるかどうかが重要でしょう。
「働き方改革」の成果を適切に評価する方法
私たちは「働き方改革」の目的に今一度立ち戻る必要があります。 働く時間が減ったとしても、①生産性の向上と②意欲と能力の向上、この二つの目的を達成しない取組では意味がないからです。今、みなさんの学校で行っている「働き方改革」はこれらの二つの目的に向かっているでしょうか。
それを確かめるためには、「働き方改革」の成果を適切に評価する必要があります。これまでは時短ができたかどうかだけで評価してきましたが、それだけでは不十分です。教員の帰宅時間が早くなり、元気になってきたら、その元気が子供たちに還元されているかどうかを、測定する必要があります。なぜなら、教員が生産性を上げるのは子供たちのためだからです。「働き方改革」の結果、「先生が楽になりました」でストップしてはいけないのです。
もちろん、不幸な出来事が 教育界で起きていたので、「まずは先生方には早く帰ってもらいましょう」という話になった事情は理解できます。しかし、本来の「働き方改革」の目的に立ち戻ると生産性の向上が重要であり、 教育現場における生産性とは、子供がよくなることに尽きます。つまり、「働き方改革」 における時短などのコスト削減と、その結果、「子供がどう変わったか」という効果、この両方を対にして測定し、評価しなければいけないと思うのです。
具体的には「働き方改革」の効果を測る尺度は、子供たちの生活満足度と学力の二つだと私は考えます。まず、子供たちの生活満足度については、学級や学年、学校にいて楽しいと感じる気持ちがどのぐらい上がったのかで評価できます。例えば、「先生方の退勤時間が10分早くなりましたが、この学校、この学年、この学級での子供たちの満足度は下がりました」という結果であれば、「先生の勤務時間が10分短くなったものの、その分教育効果が下がっている」と分かります。「先生の勤務時間が10分短くなって、子供たちの学校に対する満足度や授業に関する満足度が上がりました」となれば、 時短には効果があったことを意味します。
もう一つは学力です。学力の話になると、学力向上のための指導をどうするかといった話になりがちですが、そういう意味ではありません。子供たちが学校に来て毎日楽しく過ごしていたら、自然と学力は上がってくるものだからです。学力も「働き方改革」の成果を測定する指標になりえます。
効果を測定して終わりではない
ただし、効果を測定して終わりではありません。よくなった事例を校内でシェアして、学び合わなければいけないと思います。
例えば、学校の中で時短をみんなで進めていくと、効果を上げている教員と効果を上げていない教員が出てくるのではないでしょうか。そのときに、効果を上げている教員のやり方をシェアして他の教員が学ぶ必要があります。
それをする場所は学校の中では一つしかありません。研修です。ところが、研修の時間が「働き方改革」によってどんどん減っています。逆です。「働き方改革」の効果を上げたいのなら、研修をもっと充実させる必要があります。
「 研修が必要です」などというと、「嫌だな」と思う教員も多いのではないかと思います。なぜそう思うかというと、従来の古いやり方の研修や研究が頭をよぎるからです。多くの教員は膨大な教材研究をさせられ、何度も指導案を書かされ、そして授業をしたらみんなから批判される、といった研修や研究をイメージしてしまうかもしれません。そういう古い形の研修は廃止すればいいと思います。
そして、「どうして〇〇先生のクラスの子供たちはいつも笑顔でいるのですか」、「なぜ□□先生のクラスの子供たちは、生き生きと学習しているのですか」などと、それぞれの教員が聞きたいことを聞ける研修をします。それに対する答えは「私はこんなことには気をつけています。今度授業を見に来てください」でいいと思うのです。学校研究などは減らし、日常のうまくいかないことが少しでも改善できるような、それぞれの教員の課題や疑問に答えるような研修を増やしていくべきだと思います。
インタビュー・文/林孝美 イラスト/池和子(イラストメーカーズ)