挙手する子が多いのが良い授業なの? 改めて考えてみませんか? 挙手の意味
今回は、「挙手」について考えてみたいと思います。皆さんは、挙手をどう捉えていますか? 当たり前のように授業の中で、子どもたちに挙手と発言を促していることが多いのではないでしょうか? しかし、一歩引いて考えてみると、「学級全員が手を挙げることが良い授業なの?」「挙手が少なければ、授業に参加できていない、もしくは思考が深まっていないの?」「ハンドサインで子どもたちの考えを把握できるの?」などなど、いろんな疑問が浮かんできませんか? ぜひ、一緒に考えていきましょう。
【連載】学校の「当たり前」を問い直す のびのび教員論 #2
執筆/神戸市公立小学校教諭 森脇正博
教員にとって授業は、子どもたちの力を最大限に引き出すための舞台です。そして、その授業中に見られる「挙手」は、教師にとって大切な方略だとされてきました。
例えば
「この問題が分かる人は手を挙げて」
といったように、授業内容の理解度を測るための指標として挙手をさせることもありますし、
「どんどん手を挙げて発表しよう」
と、授業を活気づけるための手段としても利用されます。
このように、教師にとっての挙手は、授業の目的を達成するための有力なツールであり、多くの教室で「当たり前」の風景として浸透し、実践されています。
しかし、
「うちのクラスでは全然手が挙がらず、挙げるのはいつも決まった子だけなんです」
と悩む声や、
「Aさんよりも先にBさんを当てていれば授業の流れが変わったかも」
など、授業の成否を決めるターニングポイントになったりします。
また公開授業の際に、
「今日の授業では全然手が挙がっていなかったけれど、どうなのかしら」
と指摘され、落ち込んだ経験がある方も多いのではないでしょうか。
1 挙手ってそんなにいいもの?
このような場面を見たとき、皆さんはどのようなことを考えますか?
「ハイハイハイ!」と競い合うように挙がっている手からは、発言しようという意欲が感じられ、喜ばしい場面と映ったのではないでしょうか。
しかし学年によって、児童の挙手に対する捉え方は異なります。
例えば小学校低学年なら発言自体に喜びを感じ、例えば「いま何時ですか」という問いかけであっても、多くの子どもたちが挙手し、「今は10時15分です」と答えるでしょう。
しかし高学年ともなれば、その発問は時計を見れば分かることであり、答えることに抵抗を感じ、挙手しないという選択をすることは想像に難くありません。
また、高学年になるにつれ、友だち関係を意識し、分かっていても手を挙げないとか、自身の意見とは相反するけれど、みんなの意見に合わせて挙げておこうといった、同調意識が働くこともよくあります。
では、単なる挙手ではない方法はどうでしょう?
小学校の教室でよく見られるハンドサインにも、注意が必要です。ハンドサインは一般的に、
●1本指の挙手は意見の付け足し
●2本指の挙手は質問あり
●パーの挙手は反対意見あり
●グーの挙手は今の意見に賛成
といった感じで、教室内でのコミュニケーションを円滑にするため、挙手の発展形として運用されています。
しかし、例えば
「今の意見に対して、この点に関しては賛成だけど、それ以外の点に関しては賛成できない」
といった部分否定の意見を持つ子どもたちにとってはどうでしょう?
当てはまるハンドサインがなく、手を挙げたくても挙げられない状況が生まれることにも意識を向ける必要があるのではないでしょうか。
それに加えて、子どもたちは興味関心が刺激された際、必ずしも挙手をするわけではないことにも注目すべきです。
例えば、「1+1=?」と問うたなら、低学年の教室であれば、それなりに手が挙がることでしょう。
しかし、「1+1=2ですが、それ以外の答えもあります」といった問いを発するとどうなるでしょう。中には、手を挙げることを忘れて問題に没頭する子たちもいるのではないでしょうか。
このとき、挙手こそ見られませんが、きっと子どもたちの脳は刺激され、活発な思考が行われているはずです。このような状況では、挙手の有無だけで子どもたちの理解度や参加度を判断することはできませんし、すべきではありません。
★この問いの答えとしては、子どもたちの間から、田んぼの「田」や古いの「古」、「ポッキーの日」、あるいは道徳的な「一人の力と一人の力が交われば3にも4にもなるようなすごい力が出る」といった回答も出ることでしょう。また、多くの場合10進法で考えてしまいますが、数学で学ぶ2進法では、1+1=10となります。このように、子どもたちが見方や考え方を広げるきっかけになれば…と考えました。実際に6年生ともなると、クラスに数人は2進法について気づく子も出てきます。
このように、挙手という行為は、子どもたちの年齢や発問の内容、そして友だち関係や同調意識などといった、心理的背景や社会的要因が影響を与えることを承知したうえで、授業者が意図と目的をわきまえた上で使う必要があると言えます。
2 挙手にはリスクがたくさん
さて、皆さんは、「挙手のリスク」を考えられたことはあるでしょうか。
授業では、子どもの考えを広げたり、深めたりするための話し合い活動が日常的に行われています。「今日の授業では、自由に意見を出しあい、交流しましょう」
「自分の思ったことを詳しく発表してみよう」
といった具合に、教員は子どもたちに積極的な議論を促し、同時に挙手を求めます。
しかし教員は実のところ、「はいはいはい」と連呼する騒々しい挙手や、長々と自分の意見を話し続ける発言にはストップをかけることが多いのではないでしょうか。
過度に大きくない声で1回だけ「はい」と言いながらのスマートな挙手と、適度な時間に収まって授業の進行を妨げない発言ばかりであればよいのですが、そんな理想論は通じませんよね。
そして、挙手を求めたからには指名をしなければいけません。そこでは、授業の進行に望ましい発言が引き出せる相手を選ぶという瞬時の判断力が試されます。
ここでもし仮に、
「たくさん手が挙がっているから適当に当てるよ」
とでも言おうものなら、子どもたちとの関係を危うくするでしょう。
ましてや、当てる子が限定されようものなら、その児童は発言でき満足感を得るかもしれませんが、周りからは「先生はあの子をヒイキしているのでは?」と疑いの眼差しを向けられるかもしれません。
挙手と指名という行為は、一時的であれ、教室という空間と全員の時間とを1人の子どもに委ねる行為と言っても過言ではありません。教師は授業の展開上、大きなリスクを背負うことになります。
かといって挙手を求めない授業を展開すれば、教師主導の授業と批判されます。
これは大きなジレンマと言えるのではないでしょうか。
挙手だけじゃない、発言を引き出す新しいアプローチ
そこで、挙手の意義や効果を再考することで、子どもたちがより安心して発言できる環境を整えてみるのはどうでしょうか。
従来の挙手の限界を乗り越え、より効果的な授業運営を目指すためには、ICTツールや他の手法を活用することが有効です。
まず、ICTツールとして有効なのが、「Googleフォーム」といったアンケート機能です。
これを活用することで、児童は自分のデバイスを使い意見を提出できるため、恥ずかしがり屋の児童や意見を表明しにくい子どもたちも自由に発言できます。
例えば「今日の授業で分からなかった部分はどこですか?」と質問を投げかけ、その場で全員の回答を集約することで、教師は授業の理解度を把握でき、個別指導や補足説明を効果的に行うことができます。これにより、全員参加の環境が作られ、授業の進行がスムーズになるだけでなく、児童一人一人の理解度を細かく把握することが可能です。
次に、「Jamboard」などのオンラインホワイトボードも、教室での意見交換を促進するための効果的なツールです。子どもたちは自分の考えやアイデアをリアルタイムでボードに書き込み、全体で共有できます。これにより、授業の中で多様な意見が一目で分かるようになり、より活発なディスカッションを引き出すことができます。各自の考えを視覚的に共有できる良さもあるでしょう。
さらに、ICTツール以外の方法として、「ピアディスカッション」や「グループディスカッション」も、全員参加を促すための有効な手法です。授業中に短い時間を設けて、近くの友だちと意見交換をさせることで、発言に対するハードルを下げられます。子どもたちが意見を共有した後、その中から代表を選んで発言させることで、自然な形で意見を引き出すことも可能です。この方法は、教室全体で一斉に発言を求めるよりも心理的な負担が軽減されるため、授業中の緊張感を和らげる効果があるでしょう。
それに加えて、「対話型挙手」を取り入れてみても良いのではないでしょうか。挙手を単に意見を述べるための手段としてでなく、クラス全体での対話の一部として機能させることを目指します。
例えば、子どもたちに自分の意見を述べさせた後、その意見に同意する人や疑問に思う人が手を挙げて反応を示す場を作る、という方法です。
これにより、挙手を通じて相互の理解や討論が深まります。
目指すのは、挙手を「一方通行の発言確認」から「相互交流の手段」に転換させることです。
そして、授業の終盤に「ミニサマリー」を書かせる方法も有効ではないでしょうか。
授業の内容を短い文でまとめさせることで、子どもたちは自分の理解度を確認しながら発言や意見を整理できます。
ミニサマリーは個々の理解を深めるだけでなく、教師が全員の進捗状況を把握する手段としても活用でき、次の授業へのフィードバックとしても効果的でしょう。
このように、ICTツールやディスカッション、対話型挙手、ミニサマリーなどを効果的に活用することで、挙手に頼らない全員参加型の授業を実現し、児童一人ひとりが安心して発言できる環境を整えることができます。挙手に偏った従来の授業の限界を克服し、より豊かな学びを検討してみませんか?
参考文献 教師はなぜ授業中の挙手を好むのか ー教師の思惑、子どもの都合— /榊原禎宏・森脇正博他/京都教育大学教育実践研究紀要13、pp. 223-232
森脇先生の他の記事はこちら
みなさんの周りに、こんな景色はありませんか? 教室の「当たり前」を考え直してみましょう
イラスト/難波孝
森脇正博(もりわき まさひろ)
前京都教育大学附属京都小中学校教諭、 京都教育大学非常勤講師を歴任するなど京都府公立学校教員として25年間勤務。現神戸市立小学校にて総務兼学力充実担当。 教育学修士。 専門は、学級経営、 算数・数学教育、道徳教育等。日本教育経営学会・日本教育行政学会会員。
著書に、「教育経営実践における「笑い」の可能性─「笑い学(教育漫才)」を通じた学級風土の醸成過程に注目して─」(日本教育経営学会、 2023)、『道徳教育のキソ・キホン道徳科の授業をはじめる人へ(分担執筆)』(ナカニシヤ出版、2018)などがある。また、独立行政法人教職員支援機構(NITS) の「Plant 全国教員研修プラットフォーム」内「児童生徒に対する性暴力等を防止するために」研修講師を務める。