力のある教員を「便利使い」していませんか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #67】


せっかくの力のある教員を追いつめていませんか? 赤坂真二先生が学校現場の隠れた課題に警鐘を鳴らします。荒れたクラスの立て直しを繰り返し任される優秀な教員の葛藤と、その言うに言えない悲痛な叫びとは。教育の最前線で奮闘する教師たちの実態と、彼らを守り残すマネジメントの重要性に迫ります。学校組織の健全性と教育の質を高めるための、管理職必読の提言です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
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時々聞かれる「つぶやき」
1990年代半ばごろから、小学校を中心に見られるようになった学級崩壊と呼ばれる現象ですが、今は、どこの学校でも「崩壊」とまでいかなくても機能の低下したクラスが見られます。そうしたクラスを毎年のように任される先生がいます。多くの職員が荒れたクラスを担任しようとはしませんし、管理職も断ることが予想される職員に指導の難しいクラス担任を割り振ろうとはしないことでしょう。機能低下したクラスを担任できる方はそう多くはないので、そのような人事が毎年のように繰り返されることになります。
公立小学校に勤務するA先生は、今年10年目のはつらつとした印象の青年教師です。彼にとって最初の荒れたクラスは、教職4年目に出会った4年生でした。学級への適応感を測るアンケート調査では、不適応状態と判断される子どもが7割にものぼりました。荒れたクラスは、秩序が未形成なことが多く、通常の状態のクラスが「普通にできる」ことが、ほぼできないというかやろうとしません。それでも彼は、初めての経験に戸惑いながらも荒れの立て直しに尽力し、そのかいあってクラスは何とか落ち着きました。
5年目に担任したのは、かつての担任が病休になったことがあるクラスで、教師に対して反抗的な子どもたちが複数いると言われた6年生でした。最初こそ、様々な抵抗を受けましたが、彼はそんな子どもたちの無邪気さを「かわいい」と思えるようになり、うまく繋がれたと言います。
次の年には、一昨年、担任した4年生が6年生になり、再登板することになりました。4年生のときに立て直したクラスでしたが、5年生でまた荒れてしまったのです。そのため、彼の再登板となりました。荒れたクラスは、立て直した後のケアがなされないと荒れが反復することがありますが、まさにその状態でした。子どもたちも成長していましたので、4年生のときよりも問題が複雑化していて、立て直しは楽ではありませんでした。
しかしこのとき、彼を悩ませたのは自分のクラスの状態よりも隣(同学年)のクラスの荒れでした。自分のクラスは、2学期くらいには大体落ち着きましたが、隣のクラスは荒れたまま卒業していきました。そのときに学年のメンバーとして「何もできなかった」ことで相当に悔しい思いをしたと言います。
年度が明け、彼は異動します。違う学校に行けば、この荒れの立て直しの日々から解放されると淡い期待がありましたが、残念ながらそうはなりませんでした。新しい学校では、質の異なったしんどさを体験します。勉強は、それなりにできる5年生でしたが、不登校や人間関係の問題などを抱えていました。暴れたり、明らかなルール違反をしたりするような派手な荒れ方ではなく、覇気がなく反応が薄く、いわゆる「静かな荒れ」の様相を見せていました。不登校リスクの高い子どもたちだったので、指導や注意をするのにも相当に気を使いました。薄氷を踏むような2年間でしたが、学校に来なくなる子どもが出ることはなく、卒業式を迎えることができました。
しかし、この学校でも彼は前任校と同じような葛藤を抱えます。学年は4クラスありましたが、そのうち1クラスが大きく荒れました。この学年は、低中学年の頃から落ち着かない学年として見られていて、担任団は校内でも学級経営がしっかりできる実力者で固められていました。それでも、一つの学級が荒れてしまいました。実力者と言われる人たちでも、同学年のクラスを守ることができなかったのです。
9年目は、学級崩壊が顕在化した状態の6年生でした。昨年度は、若い先生が担任し、秩序を立てることができずに荒れました。その学校での2年間の働きを見込まれての抜擢でした。このクラスも2学期には落ち着きましたが、隣のクラスは卒業までもちませんでした。キャリアを積み、自身の関心が自分の学級から学年、学校全体に広がるにつれて、他のクラスの荒れが強いストレスとなっていきました。