あなたは、教員として、何をいちばん大切にしたいですか?|みんなの学校マイスター宮岡愛子の「大切なあなたへ花束を」#01
保護者の皆さんや他の教員たち、社会情勢や世論など、学校ではさまざまな価値観が交錯します。それらに向き合っていく中、本当に大切なことは何なのか、自分にとっての目標は何なのかを、ついつい忘れがちになってしまうことはありませんか? 自分は何のために教員をしているんだろう…。
そんなとき、宮岡愛子先生の言葉に耳を傾けてみませんか? 木村泰子先生に師事し、現在は「みんなの学校マイスター」として講演活動や各校の支援で大活躍中です。
【連載】大切なあなたへ花束を #01
執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子
「子どもたち」が主語の、みんなが一緒の学校を
小学校へ入学する1年生。誰もが期待に胸を膨らませ、みんなと一緒に勉強ができることを楽しみにしているのではないかと思います。
しかし、同じ1年生なのに、他の子たちとは違う教室で学ぶことになる子どもがいます。
今までは保育園や幼稚園で一緒だったのに、なぜ分けられるのでしょうか?
その現実と向き合ったとき。
学校は「子ども」が「主語」になっていないのではないでしょうか。
やがて社会に出たあとは、様々な違いを持つ人たちと一緒になってしまうというのに。
社会でたくましく生きていくために、子どもたちに身につけてほしいことは何でしょう?
今回、私たち教員は、何を最上位の目標としたらよいのかを考えていきたいと思います。
Y小学校で2年生を担任していたときのことです。
私の長い教員生活のうち、2年生を担任したのは、この1回だけでした。とっても楽しかったことを今でも思い出します。2年生はちょっと小学校生活に慣れて、学校のことがわかってきて、自分らしさを一層出していくときです。私の話す言葉にもすてきな受け答えがたくさんありました。素直に話を聞き、何でもやってみたいと思う学年です。
そんな私のクラスには車いすを使い、知的障害のある子どもがいました。言葉を話すことはできません。給食のときや、トイレのときには介助が必要でしした。
でもその子は、入学してから同じ教室でずっとみんなと一緒に学んでいました。
どの教科であっても同じ教室で学ぶのです。登校してから下校するまで、ずっとみんなと一緒にいました。
私にとっては当たり前のことでした。もちろん、教室の子どもたちにとっても。
その子には、特別支援担当の先生がついてくれていました。言葉は喋れなくとも、自分でできる仕草をしたり、支援担当の先生や保護者が作ってくれたカードを使ったりして、意思を伝えることができました。
また、授業ではみんなと一緒に学べるよう、支援担当の先生が、授業に応じた課題をつくって、一緒に学習を進めていたのです。
ある日のこと、その支援担当の先生がいない時間がありました。教室にいる授業者は、私一人。
国語の時間でした。クラスの授業を進めながら、車椅子の子どもの安全と学びも確保しなければなりません。
どうしよう…。
一瞬悩みましたが、その子を教室の前に連れてきて、私の横に車いすを置き、音読を聞いてもらうことにしよう、とひらめきました。
さあ、2年生の子どもたちが一斉に音読をします。前で聞いている友だちがいるから、何だかいつもより張り切って読んでいる子どもたちでした。
子どもたちが音読している合間合間に、私は車椅子の子どもの目線の高さになるよう隣でしゃがんで、教科書を一緒に見ていきました。
そして、音読が終わった後、その子に「音読はよかったですか?」と聞くと、片手をグーにして大きく伸びるポーズで、他の子どもたちに伝えてくれました。
「そしたらね、今日このあとの時間は、ここでほかの友だちが学習している様子を見ていてください」
と、その子に伝えて、残りの時間もみんなで国語の授業をつくりました。
その後の休み時間。子どもたちが、車椅子の子のもとへ集まります。
自分の言葉で「どうやった?」「私のことみてた?」「目があったよね」と嬉しそうなのです。
「子ども同士のつながりをつくる」。その良さ、大切さを痛感した瞬間でした。
それは、当たり前のように同じ教室で学んでいるからこそできることなのです。そしてまた同時に、子どもたちはお互いの違いを、自分なりの感覚で知っていました。
もう一つ。「子ども同士が向かい合って学ぶ」っていいな!という気づきがありました。
いつも子どもたちは、黒板を背にした先生に相対する形で授業を受けています。少なからず心理的なプレッシャーを感じているはずです。
でもこの国語の授業では、前で聞いているのは友だちです。先生は友だちの横にしゃがんでいるから、前からの圧はほとんど感じない。だから、余計に張り切ったのか! と考え、その後の授業では、グループ型やコの字型に座席を作り変えました。
そして、あっという間に2月。
2年生は学年の最後に、生活科の「大きくなったよ」で自分の成長を喜び、これからの自分につなげていく学びがあります。
一人一人が、自分の言葉で今の自分を表現し、文章に映像も交えながら、発表することにしました。
そのとき、ある子が発言しました。
「〇〇さん(車椅子の子)のは、だれが伝えるの?」
と。
私は、
「どうしたらいいかな?」
と、子どもたちに問い返しました。
同じ教室で、2年間の長い日々を共に育ってきた子どもたちです。
違いがあるのが分かっているからこそ、どんなサポートをしたらよいのか、考えることができました。結果、その子の発表の内容は、「読みたい!」と手を挙げた子どもたちがみんなで分けあって、代わる代わる車椅子の子の横に立ちながら発表することになりました。
子どもたちは、いろいろな個性を持っています。
いえ、いろんな個性を持った子どもたちが教室にいて当たり前なのです。
私のクラスにいた子のように、自分の思いを言葉ではなくカードで伝える車いすの子もいれば、発達障害と診断され、教室を立ち歩く子どももいるでしょう。でもどの子も大切な一人であることには変わりありません。ですから、どんな子どもであっても、すべての子どもの学習する権利は保障しないといけないのです。
もし、私がさっきの国語の時間の場面で、
「支援担当の先生がいないから、今日は、〇〇さんは、違う教室で勉強しますね」
と伝えていたらどうなっていたでしょう?
普段の授業と同じように、問題なく授業は進んだことでしょう。
私は、安全のために仕方がなかった、と心の中で言い訳をしたかもしれません。
でも、子どもたちの胸には「先生は、自分が困ったら、車いすの子どもをどこかに連れて行った」と言う事実だけが残るのです。
それは、私が配慮を要する子どもを排除し、その子がみんなと同じ教室で学習する権利を奪った、と言うことでもあります。この事実は重く、こうしたことを積み重ねてしまうと、同じ空気を吸う子どもの心を不安定にすることにつながると思っています。
その後私は、大阪市小学校の校長となりました。
いつも、校長の責任はたった一つ
「すべての子どもの学習する権利を保障する学校をつくること」
この言葉をいつも心にとどめ、9年間校長を務め、2024年3月に大阪市の教員を退職しました。
「いつもいっしょが当たり前」の子どもたちから学んだことはたくさんありました。
これから、そんな私の体験を少しずつお伝えしていけたらいいな、と思っています。
他ならぬ大切なあなたへ。
イラスト/フジコ
宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。