何が悪いかを子供に考えさせるとは? 【伸びる教師 伸びない教師 第42回】
- 連載
- 伸びる教師 伸びない教師
豊富な経験によって培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする人気連載。今回のテーマは、「何が悪いかを子供に考えさせるとは?」です。子供に考えてもらいたくて、何か間違いがあると「禁止」にしていたが、果たしてそれが、子供が考えることにつながっているのかというお話です。
執筆
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)
栃木県公立小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を務める。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。
目次
ボールを使用禁止に
ある低学年の教室に行ったときのことです。
1人の男の子が、授業中にもかかわらず机に突っ伏していました。
「どうしたの?」と私が声をかけると、その子は袖で涙を拭った後、泣いている理由を教えてくれました。
話を聞くと、昨日、みんなで休み時間に使っていたボールがなくなってしまったとのことでした。どうやら学級の誰かが隠してしまったそうです。
隠されたものはすぐに見つかったようでしたが、しばらくはボールの使用を禁じられてしまったそうです。そのことがショックで泣いていたとのことでした。
自分が担任していた高学年の学級でも同じようなことがあったのを思い出しました。
その当時、教室には休み時間に学級みんなで使えるボールが2つありました。1つはちょっと硬いドッジボール、もう1つは柔らかいソフトバレーボールでした。
子供たちには柔らかいソフトバレーボールが人気で、休み時間になると、じゃんけんによるボール争奪戦が繰り広げられていました。
あるとき、ソフトバレーボールが見当たらなくなり、みんなで探したところ、黒板横の棚の奥で見つかりました。結局誰が隠したかは分からずじまいでした。
私は、学級の中にものを隠す子供がいたという事実にショックを受け、学級全体に強い口調でものを隠すことがどれだけ大変なことなのかを訴えました。
また、1か月間、学級全体でソフトバレーボールの使用を禁止しました。ものを隠すことがどれだけ大変なことか、隠した子供だけでなく学級全体の子供たちに感じてほしいと思ったからです。
みんなで話し合いをして
あれから20 数年が経ち、あのとき、学級全体で使うことを禁止する必要があったのか、ものを隠す行為の大変さを子供たちに感じてほしいのであれば、他に方法はなかったのか、今でも自分の中では答えが出ないままでいました。
そんな昔のことが頭の中を駆け巡り、私は泣いていた男の子にこう言いました。
「どれだけ悲しいか担任の先生に言ったの?」
男の子は、首を横に振りました。
「それなら、今の自分の気持ちを先生に伝えてみたら? そして、こんなことがないようにみんなで話し合いたいって言ってみたらどうだろう」
すると、男の子は小さく頷きながら言いました。
「先生に言ってみる」
その日の休み時間、担任の先生と学級の子供たちが笑いながらサッカーをしている姿がありました。休み時間の後、「ボール、使えるようになりました。みんなで話し合ったんです。ありがとうございました」と、男の子が笑顔で報告に来ました。
放課後、担任の教師に話を聞くと、休み時間に何人かの男の子たちが「もうこんなことないようにみんなにぼくたちが言うから使わせてください」とお願いに来たそうです。その後、その子たちが中心となって学級全体に「みんなでルールを決めて大切に使いませんか」と呼びかけたそうです。
また、みんなに呼びかけた子供の中には「先生、ぼくが一番に使いたくて隠しました」と言いにきた男の子も含まれていたそうです。自分が隠したことで、悲しい思いをさせてしまったことを先生や友達に謝ったそうです。
子供は間違いを繰り返しながら学んでいく
20数年前、私は学級に「教室は間違えるところだ」(蒔田晋治氏作)という詩を掲示していました。
しかし、子供たちに間違いを恐れてはいけないと言いながら、何か間違いがあると「禁止」をしていた自分がいました。
罰を与える教育は罰を恐れる子をつくるだけで、「何が悪いか」子供たちの考える機会を奪ってしまうことに気付いていませんでした。
子供は間違いを繰り返しながら、正しいこと、いけないことを学んでいきます。
その間違いを互いに許し合い、間違えないようにするにはどうしたらよいかを学んでいく場所だからこそ、「学校」「学舎(まなびや)」と呼ばれているのかもしれない……。
そんなことを思いました。
構成/浅原孝子 イラスト/いさやまようこ
※第16回以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。