各教科には異なる部分がある一方で、共通部分もある 【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第36回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」

前回は、宮崎県のスーパーティーチャーである日高恵一先生(小学校·国語科)が教師を志した経緯や、講師として教職の道に入ったごく初期までの話を紹介しました。今回は、現場での苦労や経験を経て、次第に国語の研究に力を入れていった経緯を中心に紹介していきます。

宮崎県のスーパーティーチャーである、日高恵一指導教諭

ちょっとしたほめ方のバリエーションも身に付ける

本採用になった初年度は5年生の担任になりましたが、学級づくりの面で言うと、女子児童との関係づくりに少し苦労しました。端的に言えば、高学年の女子との距離感がむずかしかったという感じです。多分お兄ちゃんでもない、おじさんでもないという微妙な年齢ということもあったのではないかと思いますし、私自身の指導が一貫していなかったこともあったのではないかと思います。前回もお話しした通り「学級をちゃんとしなきゃいけない」と思いすぎるあまり、少し厳しくなったりする一方で、「子供との関係づくりを大事にしなきゃ」と思って甘くなったり、と一貫していなかったのでしょう。また、つい授業の中で「明日までに調べておくよ」などと言っておきながら、忙しさにかまけて調べ忘れていたりとか、「来週は席替えをしよう」と言って、忘れているようなこともあったりして、それで信用を失っていたのではないかと思います。

男子は高学年と言っても、まだまだ子供の面が強く、一緒にドッジボールとかサッカーをして遊んでいれば、何となく信頼関係ができます。しかし、ひと足先に思春期に入っていく女子は、男子よりも早く精神的にも大人になるため、教員のちょっとした矛盾も感じ取って覚えており、どこかギクシャクしてしまうのでしょう。それを感じた私が良いところを見付けてほめようとしても、思春期に入った女子の中にはみんなの前でほめられることを恥ずかしがる子がいて、それでかえってうまくいかなくなることもありました。

ただ、そうした子供との距離感のとり方は先輩からも学びましたし、経験を積むことで分かっていくところもあります。例えば、ある子供をみんなの前でほめるのではなく、休み時間にその子の友達に、「○○さんって、がんばっているよね」と間接的にほめることで本人に伝わるようにするなど、ちょっとしたほめ方のバリエーションも身に付けていきました。あるいは思ったことを伝えるにも、ちょっと言い方を変えて言ってみるなど、直球だけでなく変化球も覚えるようになっていったのです。もちろん、先の調べものや席替えなど、一度口に出した約束は必ず守るということも、この頃の失敗を通して実感し、その後は必ず守るようにしてきています。

授業づくりの面では、初任校で2年目に道徳の県大会が行われる予定になっていたため、その間は道徳の授業に力を入れてやっていました。複数行う公開授業の中の一つにすぎませんが、私もその大会で授業公開を行うように言われていましたから、学習指導要領を読み、先輩方の授業を見て、教えていただきながら授業づくりをしていったのを覚えています。ワークシートへのコメントの書き方についても、細かく教えていただきました。前回も、講師時代に周囲の先生に積極的に聞いて学んだことについてお話ししましたが、このときも先輩方に積極的に聞いて学んでいきました。

学級づくりを基盤にしながら、日々の授業づくりに取り組んでいた若手の頃の日高先生。

そして、その大会が終わった3年目に、学校内の教科部会で国語部会に配属されることになったのです。宮崎県では、各学校の教科部会の教科主任が地区ごとに集まって自治体の教科部会を形成しています。他の自治体では、常時定例会をもつ会もあるようですが、私がいる地域の国語部会は年に4回ほどの会合をもち、年1回の授業研究会の計画·実施を行ったり、地区で年1回作成する子供たちの文集の選考を行ったりするのが主な仕事となっています。そこで与えられた仕事には、力を入れてがんばっていました。

その他、宮崎県では初任者が研究論文に取り組むことが決まっており、初任のときは係活動について書いたのですが、その後も独自に国語で論文を書き続けていました。例えば、「読解力を高めるための指導のあり方」のようなテーマで、自分なりに実践研究をして論文にまとめていたのです。また指導主事訪問のときには、国語の授業を公開していました。

子供が問いをもち、興味・関心をもって追究していくことが必要

もしかしたらそうしたがんばりが認められたのか、初任校に5年間勤務した後、2校目で宮崎大学教育学部附属小学校に異動になりました。私が国語という教科に本格的に取り組むようになるのは、この附属小学校に異動した後なのですが、実は最初は国語科に空きがなく、体育科への異動でした。

もちろん、それまで体育について専門的に勉強をしてはいなかったので苦労もありましたが、周囲の先輩と授業について語り合いながら「学ぶ場づくり」を中心に実践研究に取り組みました。例えば、低学年の子供がボールを投げる動きを高めていくために、紙鉄砲を振って大きい音を鳴らすとか、テレビ用の大きなダンボール箱にボールをぶつけて倒すなど、ゲーム的に楽しみながら自然と動きを高めていけるような、教材・教具作りに取り組んでいました。

このときの経験は、後に国語に専門的に取り組むことから考えれば、異質で無駄なように思われるかもしれません。しかし、各教科には特性があって異なる部分がある一方で、教科を超えて共通する部分もあります。例えば私が取り組んだ、子供たちが自ら取り組みたくなるような教材·教具の開発や学ぶ場づくりは、現行学習指導要領で言えば「学びに向かう力」と「主体的に学習に取り組む態度」に関わることで、どの教科でも共通することです。そうした教科の特性や教科を超えて共通することは、違う教科を勉強したからこそより明確に分かるところもあるのかなと思いますし、体育の勉強も今に生きていると思っています。

2年間、体育科に在籍した後、国語科の籍に空きができて移籍し、いよいよ国語の研究に取り組むようになりました。当初は、単元構成をどのように考え、組み立てていくのかということを中心に取り組んでいきました。当時、附属小の国語科では「生きて働く言葉の力を育てる」ことをテーマに、単元のゴールに向かって力を育み、最後の言語活動でその力を発揮し、さらにその力を日常生活にもつなげていこうということで、単元の構成をしていたのです。当然、力を発揮(書くこと·話すこと)するためには、言葉にこだわりながら「読むこと」も必須で、そうした単元をどのように構成していくか日々、考えていました。ただ国語科に所属した当初は多数の書籍を読んで咀嚼していくだけの時間的、精神的余裕もありませんから、学習指導要領はしっかり読んだ上で、先輩方の指導案を読み込んだり、国語科内からの多様な指摘や授業公開後の他教科からの指摘をしっかり受け止めたりしながら、授業の改善に生かすことに力を注ぎました。

単元構成について熟慮したことが板書からも推察できる、「モチモチの木」の授業。

先にも触れた通り、本格的に国語の授業研究に携わるのは附属小に異動した後からですので、当初は「めあてとは何か」というような基本的な指摘をされたこともあります。それまでは「めあて」は育むべき力や指導事項に沿って「教員がつくって子供に示すもの」と捉えていたのです。しかし、授業を問題解決的な学習にしていくためには導入を工夫し、子供に問いをもたせ、子供たちが興味·関心をもって追究していくようにすることが必要です。ただし、その子供の問いが育みたい力とは合致しない場合もあるため、教員が求めたいものとうまく合致するところを、言語化し共有したものが「めあて」となることが重要です。そんな基本的な考え方から、それを授業に落とし込んでいく具体的な方法まで、先輩方から学びながら「生きて働く言葉の力を育てる」ための単元づくりに取り組んでいきました。

「めあて」も子供たちの追究したくなる思いと、教師が求める力とが合致するように設定し、授業を進めるようになっていった日高先生。

そのような取組を進め、次第に国語の単元·授業づくりが分かってきたところで、多様な専門書や国語科の先輩方の書籍も読むようになっていきましたが、特によく読んだのは筑波大学附属小学校の国語科の先生方の書籍です。例えば、白石範孝先生(明星大学教授)や二瓶弘行先生(桃山学院教育大学教授)、青木伸生先生や桂聖先生などの書籍はいろいろ読ませていただきましたし、影響も受けました。

今回は、初任校で学級づくりでうまくいかなかったことや、附属小学校で体育科を経験した後に、国語を専門的に学び始めたことを中心に紹介していきました。次回は、教職大学院で1年間学んだことや、その後、公立校に戻ってスーパーティーチャーとなった立場から、若手の先生方に伝えたいことを紹介していきます。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、12月8日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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