今、求められている「探究の授業」とはどのようなもの?<後編> 【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#34】
これまで、今年度の全国小学校生活科・総合的な学習教育研究協議会の全国大会が開催される京都市の実践などをご紹介しましたが、今回はなぜ今、「探究」が求められているのかについて、改めて田村先生に説明をしていただきます。
子供が将来にわたって主体的に伸び続けていくためには、探究学習が重要だと先輩から聞きました。今、求められている「探究の授業」とはどのようなものでしょうか。小学校の生活科や総合的な学習の時間(以下、総合学習)で具体的に教えていただけませんか?(20代、小学校)
「探究」が強く求められるようになった背景には、コロナ禍の経験がある
これまでに、小学校における「探究」授業の実践事例を見ていただきましたが、今、「探究」という言葉がトレンドワードとして広がってきています。とりわけ高等学校の各教科科目の一部には「探究」という言葉が付いてきていますし、様々なところで「探究」という言葉を聞く機会が増えているのではないかと思います。小学校の教育課程上では、総合的な学習の時間も生活科の学習も「探究」に値するでしょうし、学齢期以前の幼児期の遊びも「探究」と言えるだろうと思います。これらのように、子供たちが自ら考え、判断し、行為していく学びこそが求められているということが言えるでしょう。
このような学びが強く求められるようになった背景の一つには、コロナ禍の経験があり、これは大きいものだったと思います。簡単に言えば、正解がない時代に入ったということが明らかになり、常に最適なものを求め続けなければいけないということ、そのためには多様な人と力を併せて協力し、ベストな選択をし続けることがこれからの社会では必然であるということを実感したということです。それはまさに「探究」であり、あらかじめ正解が用意されていて、その正解をありがたくいただいて後生大事にしていればよいというようなものではないことをリアルに実感したはずです。その意味で「探究」という学びが、これから求められるのだと思います。
さらに言えば、そうやって「探究」をしていく中でこそ、本当の社会で発揮できる資質・能力が育っていくということは、多くの先生方がお感じになっているところでしょう。自分で問題を解決していく過程でこそ、論理的に考えたり、多様な人とコミュニケーションを取り、分かりやすく伝えていったりすることを存分に発揮し続ける状況が生まれるわけです。そのように、我々の経験もそうですし、社会の変化もそれを方向付けていると思いますが、この「探究」という学びこそが重要であり、これから最も求められるものになるでしょう。
さらに今後、ChatGPTが入ってくれば、かなり正解に近いものがテキスト化された形で得られますから、一定程度の知識の安定的な獲得はかなりAIが担ってくれるわけです。そうなると、いかに自分で問いを立て、考え、判断し、行動できる子供たちを育てるかということになりますから、「探究」という学習が欠かせないものになります。
生活科や総合学習は学び手に寄り添いつつ緩やかに学習を展開できる
ですから、若い先生方にどんどん「探究」に取り組んでいただきたいのですが、学校における「探究」という学びの経験が十分には蓄積されていないとか、先生自身も自分自身が「探究」した経験が少ないなどのことから、若干の難易度があると思います。「習得」のための繰り返し反復は、おそらく多くの学校でやってきているし、先生方自身も経験則的にやってきているのでイメージがしやすいし、ノウハウももっていることでしょう。しかし「探究」に関しては、十分な知見が整っていないので、実施する先生方にはちょっとハードルの高い、高級なものに映るかもしれません。
実際に生活科や総合学習では、学習活動が思うように展開、進展していかないということは起こり得ることですし、悩ましいことでしょう。先生がある程度、順調に進むようにしたいと願うことも当然のことだろうと思います。しかし、学習の過程で子供たちが思うようにいかなかったり、つまずいたりしたときに、それを乗り越えるところに大きな成長があるし、その経験自体に価値があるのです。むしろ、それをそう捉えられるかどうかが大きいと思います。
以前ご紹介した御所南小学校の先生方も、失敗してもそれを乗り越える過程が大切だと話しておられましたが、「ああ、失敗した。大変だ」と思うか、それとも「とてもいい学びのチャンスに出合っているんだ」と思えるかが大きなポイントです。子供たちの失敗をマイナスに捉えると、なかなかチャレンジができませんが、むしろそのことに意味がある、価値があると思えれば、アクションも起こせるでしょうし、子供の成長の過程を教師も共に進めながら、その姿を楽しむことができるようになるのではないでしょうか。
とはいえ、安心して安定的な学びをつくりたいと思うのは多くの教師にとって当然の願いだと思います。少々、学習過程が想定通りにいかないとか、ギクシャクしてつまずくといったことに豊かな学びがあるということは、経験しないとその価値に気付くのはむずかしいかもしれません。いくら先輩方に「大事だよ」と言われても、「ああ、そうなのですか」ということで終わってしまうのではないでしょうか。しかし、自分自身が取り組んだ単元で、思うようにはいかなかったけれども、むしろその後、好転して子供たちの学びが急速に進んだというような経験があると、進捗がうまくいかなくても慌てなくて済むし、「むしろここが学びの重要なポイントだ」と捉えられるのだろうと思います。
そう考えたとき、学習内容が規定されている他教科と比べると、生活科は学習内容が規定されてはいますが、比較的緩やかですし、総合学習は「各学校において…定める」とされています。ですから、先ほどのような姿勢で考えることがしやすい時間だろうと思います。言い方を変えれば、かなり子供に寄り添って考えやすいということです。算数であれば、「この時間内にこのかけ算を…」と思うでしょうし、国語なら「この時間で、この物語の情景描写と登場人物の心情を…」と思うところだと思いますが、その点において、生活科や総合学習は確実に、学び手に寄り添いながら緩い学習を展開できるというメリットがあると思います。その意味でも、教師が学び手を中心に授業づくりを考えるとか、子供が本気で真剣に追究することによって結果が付いてくるといったことを経験する絶好のチャンスが、生活科・総合学習の「探究」にあると思います。他教科でも「探究」は一定程度必要ですが、生活科・総合学習でそれを実感する貴重な場にもなっていると思います。
どんな学習においても、子供の思いや願いと教師が教え育てたいと意図するところがあって、その両者を視野に入れて単元や授業を展開するわけですが、それらは二項対立とか二者択一ではなく、いかに相乗効果を高めるかということになります。ただ、どうしても多くの教科においては、教師が意図して教えなければならない内容を無視することはできません。生活科や総合学習も、それを無視できるわけではないのですが、子供の側にかなり軸足を置きやすいということはあるでしょう。ですから、現行学習指導要領の学習する子供の視点に立つということを実感する上でも、多くの先生が「探究」にチャレンジし、経験していくことが大事だと思います。
ただ、「探究」の学びは、実践や知見の蓄積がまだまだ不十分だとは言いましたが、ずいぶんと豊かな実践が蓄積されてきました。実践事例もシェアされてきているので、実践の質も上がってきていると思います。ですから、私自身は「探究」の今後のさらなる広がりや深まりに期待をしているところです。
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11月9、10日に開催される、全国小学校生活科・総合的な学習教育研究協議会の全国大会京都大会に関する詳細情報や申し込みは以下をご覧ください。
http://zenseisouken.net/?p=1062
【田村学教授の「快答乱麻!」】次回は、11月2日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之
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