子供の思いを達成するには?【伸びる教師 伸びない教師 第31回】

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今回のテーマは、「子供の思いを達成するには?」です。教師として「子供たちをよくしたい」という強い思いは、とても大切なことです。しかし、思いが強すぎると子供たちが置いてきぼりになる可能性があります。そうならないためにどうするかという話です。豊富な経験によって培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする人気連載です。

執筆
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)

栃木県公立小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を務める。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。

伸びる教師は子供の思いを達成させようとし、伸びない教師は自分の思いを達成しようとする。

ルールを徹底することにこだわり過ぎて

教師になったら誰しも、「目の前の子供たちをできるようにさせたい」「担任する学級をよい学級にしたい」という思いをもつことと思います。

若い頃の私も同じでした。学校にいても家に帰っても1日中、子供たちのことを考えていた時期がありました。しかし、その思いが強すぎてこんなことも起こりました。

高学年の国語の時間のことでした。

教科書の物語をひとり1行ずつ音読していた時、ある男の子が「大きなまなこが……」と書かれている文を「大きななまこが……」と読み間違えてしまいました。

一瞬教室に緊張感が走りましたが、笑う子はいませんでした。その当時の私は「教室は間違えるところだ」という詩を教室に掲示し、「人の失敗を笑ってはいけない」と子供たちに言い続けていたからです。

私は、「大丈夫。もう一度読んでごらん」とその男の子に言いました。

その男の子は、気を取り直しもう一度読んだのですが、また「大きななまこが……」と読み間違えてしまいました。

周りの子供たちは堪えきれず「ぷー」と吹き出してしまいました。私は笑った子供たちに「人の失敗を笑ってはいけないと話したよね。誰にだって間違いはあるのだから」と学級全体に威圧的に言うと、教室全体がピリピリした空気に包まれました。

その雰囲気に耐えきれなくなったのか、読み間違えた男の子は顔を真っ赤にし、「わー」と声をあげながら机にうつ伏せになり、大泣きしてしまいました。

「人の失敗を笑わない」と子供たちに指導したことは間違っていないと今でも思っていますが、ルールを徹底することにこだわり過ぎていました。

もし、あの時、私が「人の失敗を笑わない」ということにこだわらず、「惜しいねー、1字違い。さー、気を取り直してもう1回いってみよー」「先生も間違えることは、いっぱいあるよ。次の文から読んでみようか」と軽い感じで場の雰囲気を和ませていたとしたら、彼を泣かせることはなかったのかもしれないと思い返す時があります。

やっと昼休みに遊べる

イラスト1

高学年の体育の時間のことでした。

その当時の私は、跳び箱運動やマット運動など、体育の種目で学級全員ができることにこだわっていました。成果を子供たちに実感させようと、全員達成できたら教室に「開脚とび全員達成!」などと書いた紙を掲示していました。

鉄棒運動の授業後、逆上がりをできない子供が3人いました。それから毎日、昼休みに3人を集め、跳び箱に踏み切り板を立てかけた簡易の逆上がり練習器や腰に巻くロープなどを使いながら練習させていました。

練習を始めてから1週間も経たないうちにふたりができるようになりました。

残ったのは体格のよい男の子ひとりになりました。

この男の子は、自分の体重を腕で支え切れず、2週間経ってもできるようになりませんでした。3週間目、腕の力が付いてきたのか、勢いよく蹴った足がくるっと1回転し、見事成功しました。

男の子にとっては初めてできた逆上がりです。さぞ喜ぶと思いきや、彼の口から出た言葉は
「やったー。これでやっと昼休み遊べる」でした。

男の子自身に逆上がりができるようになりたいという思いは薄かったのでしょう。最後のひとりになったことも嫌だったのだと思います。私が学級全員達成にこだわるあまり、その男の子に辛い思いをさせていたなと今になって思います。

子供たちをできるようにさせたいという思いは間違っていなかったと思いますが、休み時間という子供たちの自由な時間を奪ってまですることではなかったと反省しています。もし、できることにこだわるのであれば、私自身の指導力を高めて授業中にできるようにさせるべきでした。

どちらの場合も、私の教師としての思いが強すぎ、子供を追い込んでしまう結果となってしまいました。

教師の思いが一方通行にならないように

教師として「子供たちをよくしたい」という強い思いをもつことは決して悪いことではありません。むしろ、その思いはなくてはならないものです。

しかし、私のように思いが強すぎると子供たちが置いてきぼりになることがあります。また、行き過ぎると、子供たちは教師の顔色を見ながら行動するようになってしまうこともあります。

そうならないよう教師の思いが一方通行になるのではなく、子供たちも同じ思いで学級が作られていくことが何より大切なことなのだと思います。

教育とは、教師の思いが達成されるだけでなく、子供たちの思いが達成されて初めて教育と言えるのだと私は考えます。

構成/浅原孝子 イラスト/いさやまようこ

※第16回以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。

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