「もっと学力研で勉強したいな」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第4回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
「もっと学力研で勉強したいな」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第4回】

今回から、2021年度大阪府の公立小学校で府教育庁のスクール・エンパワーメント推進事業「確かな学びをはぐくむ学校づくり推進校」の「学力向上担当」を務め、板書など複数の書籍も上梓している岡本美穂教諭が、若手の頃から学んできたことや得たことなどについて紹介をしていきます。

岡本美穂先生

アルバイトと教育実習での先生との出会いから教職を目指す

私は、高校時代には教師になろうと思っていませんでした。皇宮警察(皇宮護衛官)になろうと考えていて、高校時代に採用試験を受けて、卒業と同時に就職しようと思っていたのです。ただ周囲の人から「せっかく地元の進学校に行っているんだから、大学に進学したほうがいい」と強く勧められて、公務員になるのに有利そうかなと思う大学に進学することにしたのです。

進学先は大学の教育学部でしたから周囲は皆、1年目から教員になろうと思っている人たちばかりです。当初は、その中で教職を考えていない私だけが少し浮いているような状況でした。

その考えが少し変わり始めるきっかけになったのは、アルバイトです。教育学部ですから、子供に関わるバイトの求人が多くあり、その中から放課後指導の仕事を選んで、近くの小学校に毎週1回通い始めるようになりました。そこで、「あのクラスのあの子についていて」と指示されたのですが、その子はまったくしゃべらない子供だったのです。毎週毎週学校に行って、私なりにその子に関わろうとしましたが、何もしゃべってはくれませんでした。そうして3か月ほど経ったある日、突然、その子が私の名前を呼んでくれるようになったのです。その日の帰り道に、「ああ、自分にはそんなに力はないけれど、子供が変わること、成長することでこんな喜びを感じられるなんて、先生ってとてもすてきな仕事なんやなぁ」と思ったのでした。

ちなみに現在、私は国語を専門に実践研究をしていますが、大学での専門は社会科でした。ゼミは教育哲学で、愛について考えている人や、生き物を育てて食べるような教育について研究している人がいたのです。私は「学校における自由と枠組み」について考えていました。そのゼミ時代に灰谷健次郎さんについて学び、灰谷さんが描くようなすてきな教育の場をつくりたいなと思っていましたし、それについてまとめて書くこともしていたのです。

やがて教育実習で小学校に行ったときに指導してくださった先生が、とてもすてきな先生でした。算数が専門の先生だったのですが、子供をすごく大事にしておられて、子供の姿を通して多様な学びについて延々と語ることができる先生だったのです。その先生に出会うことで、「先生って、とってもすてきな仕事やな。絶対に先生になろう」と思うようになりました。そんなふうに子供との出会い、先生との出会いを通して、大学進学時には考えていなかった教職を選んでいくわけです。ただ、ある意味、大学の教育学部を選んだ時点で、知らず知らずにそういう流れに乗っかっていたのかもしれませんね。

全国的な勉強会である「学力研」の大会に参加

その後、採用試験を受けるわけですが、採用の通知が来たときにはすごくやる気にあふれていました。ですから、教師になるための準備をしておきたいと思ったのですが、現在のようにネット上に多様な情報があるわけでもないし、先輩や専門家にZoomなどで話を聞けるような機会があるわけでもありません。本も読んだほうがよいとは思うけれど、何を読んだらよいのかも分かりません。そこで、大学で人に聞いてみましたが、誰も教えてくれませんでした。そのように何を準備したらよいかも分からずに時を過ごして、不安な中、教師になったのです。

配属になった初任校は、1学年が4クラスで、私の学年は50代の女性の先生が2人と男性の先生が1人でした。お母さん2人、お父さん1人と学年を組んでいるような状況ですよね。ですから、主に2人のお母さんに1日1日、「今日は何をしますか?」と聞いて、教えてもらって、それを一生懸命やるような状況でした。もちろん大枠については先輩に聞くのですが、細かな部分については自分が受けてきた教育を思い出し、「係活動ってこんなふうにやってたな」などと考えて、必死に取り組んでいたような状況だったと思います。

そうやって1学期を過ごした後の夏休み、1人の先生に「学力研(URL:https://gakuryoku.info/)っていう、全国的な勉強会の夏の大会があるんやけど、一緒に行ってみない?」と誘われたのです。学ぶ機会を求めていた私は、そこに参加することにしました。

その会に参加し、久保齋(いつき)先生のノート指導に関する実践の話を聞いて、「ああ、やっぱり教師って目の前の子供たちをキラキラ輝かせられるすてきな仕事なんやな」と大きく価値観が変わりました。それまでは、日々の目の前の仕事をこなすことに追われていたわけですが、「もっと希望のある仕事なんや」と、自分の思考が大きく変化したわけです。それで、「もっとこの会で勉強したいな」「もっと教えてもらいたいな」「もっと努力せなあかんな」と思い、その日の帰りの電車の中では頭がすごく興奮していて、無心に関連書籍を読んでいたことを覚えています。

久保齋先生の多数の著書の中で、今、岡本先生が若い先生方に読んでみてほしいとオススメする1冊。「一斉授業の復権」(子どもの未来社)

その後、9月からは学力研の「先生のための学校」で毎月学び、「追実践」に取り組みました。それは講座のようなものとは異なり、1か月に1回、「こういう実践をやってみませんか?」と提案されたものを実際にやっていくものです。それを自分のクラスでやってみると、「うまくいったな」というときもあれば、「全然ダメやな」というときもあります。それについて、なぜそうなったのか省察して次の月に報告し、また次の実践に取り組むわけです。そういう取組を、9月から翌年の3月まで年6回行うのですが、私は初任の年度から現在まで16年間続けてきています。そのように座学ではなく、学校の実践の形で勉強する機会が毎月あったことは、私にとって本当に大きな力になりました。

ちなみに、コロナ前までは参加地域も学校もバラバラの50名ほどが集まって、その「追実践」についての報告をしていきました。そのような在籍校とは異なる、学びの仲間を見付けられたことも大きなことです。

上越教育大学の赤坂真二教授とのつながり

そんな勉強をしながら、1年目、2年目と過ごし、何とかうまく授業づくりをし、私なりに良いクラスをつくることができていたのです。それが3年目になって、ちょっと違和感を感じ始めました。クラスがうまくいっていないというわけではないのですが、子供たちの姿が私のイメージするものとズレているように感じたのです。それまで2年間は低学年、中学年を担任しており、いたずらもするけど、子供らしい素直さがあって勉強も一生懸命やるような子供たちでした。それが、3年目に初めて高学年の5年生を担任してみると、思春期にさしかかってきていて、「何だか子供らしくないな」「どこか冷めてるな」「授業がおもしろくないのかな?」と私の気持ちが落ち着かなかったのです。

そんなときに上越教育大学の赤坂真二教授(当時は准教授)の本を読みました。そこで「ああ、こんなアプローチの仕方もあるんや」と新しい目が開かれたのです。私が恵まれていたのは、そんな話を学力研でしたら、「じゃあ、この会に講師で来ていただいたら、いいやん」と先輩方に言われたことです。それで、私が事務局になって講師で来ていただき、赤坂先生とのつながりがもて、書籍からだけではない学びを得ることができました。この時に学んだことによって、学校でも「ああ、やっぱり教師っていい仕事やな」「高学年も楽しいな」と思うことが増えていくようになったのです。

教職に興味がない中で、大学時代の子供との出会いを通して教職に目覚め、すばらしい教育者との出会いを通して学んでいったという岡本先生。次回は、現在の専門である国語との出合いや学びを紹介していきます。

次回【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第5回】「研究授業での失敗から学べることも楽しい」は、こちらです。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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