【木村泰子の「学びは楽しい」#12】マスクを外せない子どもたち
2023年2月、今春の卒業式のマスク着用について「着用せず出席するのが基本」とする方針を政府が示しました。新年度からの対応も含めて大幅な転換を迫られている教育現場で、教員はどのように子どもたちを指導したらよいのでしょうか。今回も、読者の方からいただいたご質問をもとに考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子
目次
子どもとの対話を通して問い直す
現場の教員の方からご質問をいただきました。まさに、今の学校現場の教員のみなさんが抱えておられる困り感なのだろうと読ませていただきましたので、ご一緒に問い直しましょう。
14年目の小学校教員です。
質問① 子どもがマスクを外せないことについてどう思いますか?
5年生を担任していますが、外していい場面でも外せない子が約3割います。成長の時期に顔を隠しておかないと不安という子を、かなりの数作ってしまった学校(教師)の責任は大きいと感じます。
コロナ当初、マスクを着けろ着けろと厳しく言っていましたが、今更「外したいならいいよ」と柔らかくいうのは、当初との温度差がありずるいと感じます。コロナの脅威の一方に、マスクを外せないという心の健康被害を天秤にかけた結果が、今の学校現場のマスク指導なのか疑問があります。
木村先生のご意見が聞きたいです。
この問いに対して、子どもを主語に考えませんか。
突然、コロナ禍の学校の当たり前を身体中に染み込まされた子どもたちです。なぜマスクが必要なのかの対話もなく、「マスクを着けなさい」という命令として受け止めている子どもがほとんどではなかったでしょうか。
当初は、マスクを着けることに抵抗があった子どもたちでしたね。そんな中で、少しでもマスクがずれていたら、「きちんと鼻と口を隠しなさい」と強く指導していました。子どもにとってみれば、(ここまで先生たちが怒るのだから、マスクをしなければ大変なことになってしまう)と思わされたはずです。それが今度は、「外したかったら外していいよ」と言われる子どもたちです。ようやくマスクをすることに慣れたところで、今度は「しなくてもいいよ」と言われても、子どもが自分で判断できるわけがありません。子どもに判断させるのは大きな間違いだと思います。
「コロナに感染するからマスクを着けていた。もうコロナには感染しないから外しなさい」と言えるでしょうか。専門家の意見も二項対立の現在です。エビデンスが定まっていない中で、教員が外しなさいとは言えませんよね。
子どもは、先生たちがみんな外したら外そうかなと思っているかもしれません。職員室の教職員の中にも、マスクを外すことについて、多様な考えがあるでしょう。学校の中の教職員たちにも、マスクをしている人と外している人がいる中で、子どもが外すことに不安を感じるのは当たり前ですよね。この方が言われるように、心の健康被害を誰もが受けているのではないでしょうか。こうすればいいとの解決策なんて、エビデンスが定まらない限り、あり得ないと思っています。
このマスクの問題は家庭の考えも多分に影響するでしょうし、先生は外せと言うが、親は外すなと言う、といった狭間で困っている子どもも当たり前にいます。子どもに「マスクを外してもコロナには感染しません」と言えない状況下で、「外してもいいよ」なんて言えないですね。
卒業式が近付いてきた今、マスクを外そうとの声が上がったのでしょう。卒業式すらできなかった3年前の子どもは、どのように受け止めるでしょうか。言葉はきついですが、私はこのマスクの問題に関しては、大人主導の身勝手な指示だと考えています。感染の心配がないのであれば、教職員がまずみんなでマスクを外して、子どもの前にいることですよね。子どもが見る、大人がマスクを外している日常の当たり前ができて、初めて子どもも外そうと思うのではありませんか。卒業式のための手段というのは、子どもに失礼だと感じます。
この件に関しては、このような様々な現状を包み隠さず、子どもと対話することしかないような気がしています。「今、大人たちはこんなふうに困っているんだよ。みんなはどのように思う?」と問いかけてみませんか。30人いれば30通りの子どもの言葉が聞こえてきそうです。残念なマスクの問題を、チャンスに変えることも可能かもしれませんよ。マスクを外すか外さないかではなく、このような社会の現状を子どもと対話することで、意外な学びが生まれそうな気がします。
結論は出ないし、何かが変わるかと言えば変わらないかもしれません。しかし、このことで子どもの思考は深まるのではないでしょうか。間違ってもマスクを外す子と外さない子の分断だけは生じさせないようにしたいものです。
「子どもが主語」へチェンジするためには
先ほどの先生からいただいた、もう1つの質問です。
質問② 「子どもが主語」の教育観が浸透するためには何が必要ですか?
自分は、考えれば考えるほど到底無理かなという気持ちになってしまいます。今は、保護者主語、委員会主語、管理職主語の教育だと思っています。学校の先生たちは、教育現場ではそのようにいかないのに、職員室では現場を無視した理想の言葉を語る風潮があります。大人の前では格好つけるというか、一般教員からなのか、管理職からなのか、教育委員会からなのか、子どもが主語で行う教育活動が浸透するためには何が必要か、木村先生のご経験からの展望をお聞きしたいです。
このご質問もまさに、教育改革真っ最中の学校現場の現状だと受け止めます。多くの先生方が同じように「目指す方向は分かるが、できない現実」があることに疲弊されているような空気は、全国の学校現場から伝わってきます。このご質問については、あきらめないで、みんなでしっかりと問い直していきませんか。
実際に「子どもが主語」の学校づくりにチャレンジされている学校もあります。私自身、学校に行って授業させていただく機会もあり、「子どもが育っている」と感動しながら、子どもの事実に学ぶことも少なくありません。
どこかの学校ができることは、どこの学校でも行動すればできるのです。「先生が主語」の授業や学校から、「子どもが主語」の授業づくりや学校づくりにチェンジするために、外してはいけないことは何かについて、まずみなさんご自身が自分の考えをもってください。
次回のこのコーナーで、この続きの問い直しをしましょう。
・大人がマスクを外している日常の当たり前ができて、初めて子どももマスクを外そうと思うもの。エビデンスが定まらない今、マスク問題の判断を子どもに任せるのではなく、対話を通して、どうすればよいかを子どもと一緒に考えていこう。
・「子どもが主語」の授業や学校にチェンジしていくためには何をすべきか。あきらめず、まずは自分自身の考えをもとう。
※木村泰子先生へのメッセージを募集しております。 エッセイへのご感想、教職に関して感じている悩み、木村先生に聞いてみたいこと、テーマとして取り上げてほしいこと等ありましたら、下記よりお寄せください(アンケートフォームに移ります)。
きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、全ての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。