主体性があり対話できる組織になっていますか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #42】

連載
赤坂真二の「チーム学校」への挑戦 ~学校の組織力と教育力を高めるリーダーシップ~

上越教育大学教職大学院教授

赤坂真二

多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第42回は、<主体性があり対話できる組織になっていますか?>です。

執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二

トップダウンに戸惑う教師たち

この夏(2020年)は、多くの方々とおしゃべりしました。「みんな闘っている」と感じました。そんな中で聞かれた話を紹介します。

「コロナ禍の混乱の中、一公僕である教師は実に無力です。国→県→市町村の行政から順に下りてくる『方針』に従うしかありません。しかし、この『方針』が実に不安定であり、現場教師は時間単位で変化していく『方針』に右往左往させられ、疲弊しています。
例えば、私の勤務する県では県下の全教員・生徒・児童にGoogleのアカウントが与えられました。ある特定の先進的な市ではそれを利用し、リモート授業が可能となりました。しかし、ほとんどの市町村の学校では、Wi -Fi環境が整わず『本が1冊もない図書館に貸し出しカードだけ配布された』かのような、笑うに笑えない状況にあります。この状況をマスコミは『〇〇県は、素晴らしい! 先進的だ!』などと評していますが、実態はこの有様です。もしも今後、臨時休校しなければならなくなった時は、この3月時と変わらず、『大量の課題プリントのポスティング』しか方法がないのが実情なのです。
こうなったら、上からの指示に身を委ねている場合ではないと感じています。教師が主体性をもって目の前の子どもたちに力をつけるべく、できる限りの方策を講じていくことです。トップダウンに期待していては、路頭に迷った現場は『全滅』するのではないでしょうか」

また、あるミドルリーダーから聞かれた話です。

「私の学校では、学力向上のためにある方法に基づく取組をしています。しかし、『なんのためにやるのかわからない』との声が聞かれ、無視できない数の教師のモチベーションが下がっているのがわかります。確かによい方法なのでしっかりやったら成果は上がると思いますが、そうした状況にはなっていません。
みんなでいい取り組み方を話し合えたら、あれぐらいの実践なら校内で運用するのは、そう難しくないはずです。職員室が何でも言い合える雰囲気になっていればとは思いますが、残念ながら、物言わぬ職員室になっています。
確かに校長先生は強いリーダーシップの方です。しかし、校長の意向だから仕方なくやるとか、だからと言って、不満を管理職のせいにするというのも違うなって思います。子どもの成長に向き合えていない現状がつらいです」

「社会的手抜き」の中の学校

両者のつぶやきから、自治体や管理職等、指導層の意向に翻弄される現場の最前線に立つ教師の苦悩が見て取れます。私も近年の学校のあり方を見ていて、学校は随分、従順な組織になり、そして、職員に従順さを要求する場所になったと感じます。新型コロナウイルス感染症予防対策については人の命が関わっていますから、もちろん、誤った判断は許されないことでしょう。

しかし、子どもに向き合う教師のモチベーションを下げることで、対策を遂行しようとする姿勢はいかがなものでしょうか。そうした施策を実行するのは、他ならぬ現場の教師です。彼らは組織人だから、トップダウンを闇雲に否定しているわけではありません。しかし、その指示に口を挟む余地、工夫をする余地がないことに違和感を感じているのではないでしょうか。

アメリカの社会心理学者アーヴィング・ジャニスは、1972年に「集団浅慮」という概念を提唱しました。集団浅慮とは、「全員一致のコンセンサスを求めるあまり、異論を唱えたり疑問を出したりすることを控え、集団内に波風が立たないようにする現象」のことです※1。釘原は、集団浅慮の症状として、「社会的手抜きが起こる」と言います。社会的手抜きが起きている集団では、暗黙裏に他者と異なる意見を言って議論を闘わせることの不要性が強調され、自分の意見が採用され、集団に影響を与えることができることや異なる意見を言って評価されることが期待できなくなると指摘しています※2

5月の休校措置中、児童生徒対応真っ只中のある学校では、子どもたちの家庭に一軒、一軒電話をしていました。しかし、連絡のつかない家庭も少なくはなかったそうです。それを教頭に報告すると、特にその後のフォローアップの指示などは一切なかったとのことです。担任の先生も、指示がなかったから後日の追加連絡等をしなかったそうです。本来は、子どもとのつながりの確保や安否確認などの目的があったはずなのに、「電話をすること」が目的化してしまっていました。これは、コロナ禍の中だけなのか、それとも以前からこうなのかはわかりませんが、明らかに社会的手抜きが起こっていると言えるのではないでしょうか。指示に従うことが目的化され、本来の目的が見失われています。

集団浅慮を防ぐためにはどうしたらいいのでしょうか。釘原は、ジャニスの論を引き「集団の成員がリーダーの顔色をうかがって意見を差し控えることがなく、賛成意見、反対意見を自由に述べることができるような闊達な状況を作るようにしなければならない」と述べています※3。コロナ対応や学力向上策においては、自治体の指示が強く押し出されることもあり、個々の学校の管理職の判断だけで動くことが難しい状況もよくわかります。しかし、「主体的・対話的で深い学び」を推進する学校において、その最前線に立つ教師たちが、受動的で話し合いすらしない集団を形成していることは、皮肉を超えて笑い話としか受け取られないのではないでしょうか。

※1 釘原直樹著『人はなぜ集団になると怠けるのか』(中公新書、2013)
※2 前掲※1
※3 前掲※1

『総合教育技術』2020年10月号より


赤坂真二(あかさか・しんじ)
上越教育大学教職大学院教授
新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現職。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』(明治図書出版)など著書多数。


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