腹をくくった学校の「侍校長」【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #8】


多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第8回は、<腹をくくった学校の「侍校長」>です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
人を犠牲にするシステム
全国のいろいろな学校にお邪魔させていただいていると「腹をくくった」先生方にお会いすることがあります。私は、そんな人たちを「侍教師」と呼んでいます。今や学校は様々な業務をかかえています。町の中核校は〇〇委員会、△△研究会、××育成協議会などの膨大な事務局仕事をかかえていて担当の方々は、本来の仕事まで行き着くことが難しい状況です。そうした関連の会合や懇親会などで、勤務時間後も多忙です。このように学校現場は、よく言えば「つながり」、悪く言えば「しがらみ」でがんじがらめになっている場合が少なくないようです。
トップリーダーである校長も例外でありません。退職までの時間も自分で自由に描けるかというと、そうでもないとの話です。みなさんの地域ではいかがでしょうか。退職までの任期の校長が赴任すると、大抵大きな自治体指定の研究会を開催し、それが引退の花道となる地域があるそうです。それが校長の退職までの作法になっており、校長個人の意志ではどうにもならないというのです。
また、研究テーマも学校が独自に決められるかというと他校とのバランスや伝統もあり、子どもたちの実態に合わなくても決められたテーマを研究しなくてはならない場合があります。ある地域では、2年ごとに研究テーマを持ち回りで決めます。国語や算数ならまだしも、特別活動などの指定を受けたら大変です。それまで、学級活動なんてやったことがない先生方が突然、研究会のために話し合い活動を始めるわけです。そんなことをやったことがない先生方が、研究会までに参観に耐えうるような子どもたちを育てられるわけがありません。指定を受けてから実質1年半くらいで公開を迎えます。当然、その間に異動もあります。すると、職員によっては、半年でほとんど知らない分野の授業を公開するわけです。話し合いの授業だと聞いて、実際に参観してみると、ずっと教師が喋っていたり、子どもたちが押し黙ったまま時間が過ぎていたりします。そんな事情を知ってか知らずか、協議会では「先生の介入がすばらしかった」とか「落ち着いたよい授業だった」なんていう話でまとまったりしてしまいます。そして、研究が終わると、何事もなかったかのように、今度は違う教科領域等の研究が始まるわけです。
このシステムに一体どんなメリットがあるのか、私には理解できません。その特別活動の研究をした学校の子どもたちに話し合いをする力が付いたのでしょうか。そして、何よりも指導する教師に、話し合いを組織する力量が付いたのでしょうか。職員にも、子どもたちにも目に見えるメリットがありません。「研究会が継続した」というシステムにおけるメリットのみです。システム維持のために、「人が犠牲になっている」という好例だと思います。