ご自分の授業を撮ったり、録ったりしていますか?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話⑫】
目次
自分の授業を見直す・文字に起こす
先生方は、研究授業を担当するような機会以外に、自分自身の授業をビデオに撮って見直したり、文字に起こしたりすることはあるでしょうか? 今回はそんなことについて、お話をしてみたいと思います。
授業を文字起こししてみると、授業中に受けた印象とは少々異なる授業もある
つい先日、ある先生とお話をしているとき、ご自身が若い頃には、自分の授業を録画して見直したり、授業音声を録音して、それをていねいに文字起こししたりしていたと話してくださいました。確かに、他の優秀教師と呼ばれる先生方からも、同様のお話を聞いたことがあります。
そう言われて改めて考えてみると、10数年前にリタイアしたある編集長も、授業を文字起こしすることがいかに大切なことか、力説していたことを思い出しました。ただ、その頃は私自身もまだ若く(?)、少々記憶力に自身があったため、授業中にとったメモがあれば、ある程度の精度で授業を再現できるという自負がありました。そのため、録音した授業の音声を聞き直しながら一気にページ量に合わせて記事を整理しており、一言一句をていねいに文字起こしするということまでは行っていなかったのです。
それが、学校の役職で言えば管理職に近い年齢になり始めた頃から、急速に記憶力が衰えてきました。そのため、いったん授業を一言一句落とさないように文字起こしした後で、誌面に応じて記事量を調整するようになったのです。
そうやって細かく、授業中の先生と子供たちのやりとりを文字に起こして見直してみると、授業中に受けた印象とは、少々異なる授業も少なからずあることに気付いたのです。
例えば、「あそこで子供たちにこんな問い返しをしておけば、もっと深まったのでは?」と思うような場面があったとします。しかし、授業後にていねいに文字起こししてみると、その場面の前後で私が考えるのとは異なる言い回しで、子供たちに小さく問いを投げていたりするようなこともあったりします。あるいは「子供たちの意見の深まりが今一つだったな」と思うような場面で、実は子供がすばらしいつぶやきをしていたりするようなこともあったりします。
もちろん、授業を通して見て得た印象のままの場合もあるわけですが、それでも授業中には気付かなかった子供たちや先生の言動があることは少なくないのです。
授業を取材する立場の人間として、私自身は常にニュートラルな気持ちで素直に授業を見るようにしているつもりですし、子供たちや先生の言動の事実だけを見るようにしているつもりです。しかし、どこか自分自身の見とった印象の中で、勝手にストーリーをつくりあげ、それに合致する言動を(子供のものも先生のものも)拾い上げて、理解している部分もあるのだと思います。
人間である以上は、そういう部分を完全に排除して授業を見ることは無理なのかもしれません。それだけに、改めて授業を詳細に文字起こしし、見直すことの大切さを感じるわけです。
夏休み前に自身の授業を撮って(録って)、見直してみるのはいかがでしょう?
私のような授業を見る側の立場にある者と、ゼロから授業を創り上げていく先生方の立場が同じだと言うつもりはありません。しかし、授業をていねいに見直すことから学ぶ部分があることには、変わりはないのではないでしょうか。
以前、ある自治体の優秀教師の先生が、子供の小さなつぶやきを聞き逃していたことを、授業後に深く反省しておられたことがありましたが、そんな気付きがきっとあるはずです。おそらくは、その優秀教師の先生も、そうした日々の反省の積み重ねのなかで、子供たちの姿を見とる目や授業をつくる技量を磨かれたのだと思います。
ただし、自分自身が日々行っていて思いますが、45~50分の授業を細かく文字起こしするのは結構、時間のかかることです。ですから先生方に、「やってみてはいかがですか?」と簡単に言うつもりはありません。しかし、学ぶことの少なくない方法の一つだとは思います。
そこで夏休みも近いことですし、休み前に自分自身の授業を撮って(録って)おいて、夏休み中の時間のあるときに、見直してみたり、文字に起こしてみられたりしてはいかがでしょうか? きっと課題も長所も、これまで気付かなかったことにたくさん気付けるはずだと思います。
「学ぶ子供に寄り添う」という考え方が大事!【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話⑬】はこちらです。
執筆/矢ノ浦勝之