「すばらしい」ずくめの研究授業は、はたしてよい授業?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉝】

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全国「授業実践レポート」 取材こぼれ話
「すばらしい」ずくめの研究授業は、はたしてよい授業?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉝】

研究授業を見て生まれた、ベテランと若手の疑問から授業の見方を考える

2022年の秋には多くの自治体で、大小さまざまな研究会が開かれたと思います。そこで今回は、そんな研究会に参加した、ある中堅の先生から受けた疑問についての話をしてみたいと思います。後半では、その話と若い先生の疑問とをつなげて、授業の見方について考えていくことにしましょう。

授業の最初と最後で子供たちに変容が見られない授業

これは現行学習指導要領が告示された後ですが、まだ実施される前の話です。ある取材でお目にかかった小学校の先生と取材後に話をしていたときのことでした。私が、中央教育審議会における改訂に関する議論の取材を担当していたこともあり、その先生と学習指導要領を踏まえた授業のあり方についての話をしていたのです。そのなかで、「内容や時間のまとまりを通して資質・能力を育む」という話になりました。するとその先生は、ご自身も単元あるいは1時間の学習のなかで、子供たちになんらかの変容(成長)が生じるようにしたいと思っているとお話になりました。当然、私もそのお考えには賛同しました。

そこから不意にその先生が、その地域では名前の知られた、ある先生の研究授業についての話をされ始めたのです。お話によると、そのある先生がとある会で公開された授業は国語だったそうで、授業の最後に子供たちが自分の考えをまとめた意見はどれも「すばらしい」ものだったし、授業を整理したその先生の板書もとても「すばらしい」ものだったと言うのです。ただし、授業中に出されていた個々の意見やノートから読みとれた考えと、最終的に文章化されて発表された意見にはほとんど変化がなかったと言うのです。おそらく国語の得意な子供の多い学級で、子供たちは最初から一定水準以上の意見をもっていた様子だったのだろうというわけです。

その授業で発表される子供たちの質の高い意見を聞いて、研究授業を参観していた先生方の大半は、「すばらしい」と感心しておられたとか。しかしはたして、その授業は本当によい授業と言えるのだろうか? というのが、その先生の疑問だというわけです。

私はまず、その授業と子供たちの姿を見ていないので、何かを断言することはとてもできませんとお断りをしました。そのうえで、ただし、その先生の板書がどんなにすばらしくても、子供たちが最後に発表した意見がどんなにすばらしくても、もしその授業(あるいは単元)の冒頭とその終わりとで、子供一人ひとりの考えになんらかの変容が生じていなければ、その授業や単元には意味がなかったと言わざるを得ない。その授業(や単元)は、その子にとってはあまり意味のないものだと言えるし、ただ時間を過ごして、「ね、いい意見でしょ」と、小さな自尊心を満たしたにすぎず、学びがあったとは言えないでしょう、というような話をしたのです。

当初から一定の質をもった深い読みがなされていたとしても、友達とのやりとりのなかで、「〇〇さんのあの考え方を少し取り入れてみよう」とか、「〇〇さんに説明するときに、ふと使ったあの言葉を加えてみよう」というような、なんらかの変容が生じなければ、その時間の学びに一体どんな意味があったと言えるのでしょうか。授業や単元を通して、一人ひとりの子供の頭の中になんらかの変化がなければ、その時間は形だけ学習しているように見える時間だと思うのです。もちろん、資質・能力は短時間で急いで育成できるものではないので、「単元等の内容や時間のまとまり」を通して育むと学習指導要領には示されています。それにしても、その(単位)時間の間にも、ちょっとした気付きや表現の変化があってこそ、小さな育ちがあったと言えるのではないかという話をしました。すると、その先生もうなずかれて、「私もそう思うのです」とおっしゃっていました。

「授業はどこから見るか?」という質問への答え

しかし、その授業を参観されていた多くの先生方は、「すばらしい」と感心されていたと言います。それはなぜでしょうか。実はつい最近、ある先生方の交流会で、若手の先生がベテランの先生にしていた質問に、その答えがあるような気がします。

その質問というのは、「研究授業を見るときに、どこから何を見ているか」というものでした。私も、過去に授業の見方について何度か触れてきましたが、その質問に対し、ベテランの先生は、授業を見るときは教室の横前方から子供の姿を見ていること。ノートに自分の考えを記したり、友達と対話をしたりする場面では、子供たちの間に入って、書かれた内容を読みとったり、話す内容を聞きとったりしていることなどを話しておられました。結局は、そのように子供の学習過程を細やかに見とることを通して、どのように子供たちの考えが変容し、より質の高いものになっていったかということを見て、評価しているわけです。

授業中の子供の言動をていねいに見とっていくことで、その授業の本質を評価し、議論することも可能になる。
授業中の子供の言動をていねいに見とっていくことで、その授業の本質を評価し、議論することも可能になる。

そのときの若手の先生の反応を見る限り、そのような授業の見方をしていたことはなかったようでした。つまり、子供の思考の変容過程を見とっていなかったわけです。そうすると結局は、授業の最後の発表や板書だけを見ることになってしまいます。そのため、授業中に一人ひとりの子供の考えにほぼ変容がなかったとしても、その教科が得意な子供たちのよい意見を最後に聞いて、「ああ、すばらしい」という評価しかできなくなってしまうわけです。繰り返しになりますが、それは子供の変容を見ているわけではないし、結局はその授業の本質を評価していることにはならないわけです。

さて2022年度、多くの研究会は2022年末までに終わってしまったようですが、「みんなの教育技術」の「研究会カレンダー」を見てみると、まだまだこれから開催される研究会もあります。以後、研究会に参加されたいと思われる先生は、この「研究会カレンダー」で開催スケジュールをこまめにチェックしていただき、ぜひ先のようなことを心がけて授業を見られてはいかがでしょうか。

自治体が提示する「授業の型」にはまる問題点とは?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉞】はこちらです。

執筆/矢ノ浦勝之

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