教育行政と政治との良い関係、良くない関係【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㊵】

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全国「授業実践レポート」 取材こぼれ話
教育行政と政治との良い関係、良くない関係【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㊵】

地方自治体の教育行政と政治との関係

1年近く連載を続けさせていただいたこの企画ですが、今回をもって連載をいったんお休みさせていただくことになりました。そこで今回は、これまでまったく触れることのなかった、地方自治体の教育行政と政治との関係についての話をしてみたいと思います。若い先生にはあまりイメージが湧かない内容かもしれません。しかし先々、責任ある立場になると必ず関わることになる問題だと思って読んでいただければ幸いです。

教育の質を数に置き換えてしまうような政治家

まずは、授業名人に関わる政治と教育の問題について話をしてみたいと思います。私は、これまで全国の授業名人に多数お目にかかってきました。同認定制度は、自治体ごとに授業名人を指す呼称は多様なのですが、その取材を通して多くの授業名人のすばらしい授業を拝見してきました。その取材過程で、とある自治体の授業名人認定制度と政治に関する話を耳にしたのです。

その自治体では、ずいぶん以前に、ある授業名人の取材で非常にすばらしい授業を拝見しました。授業が良かっただけでなく、とても論理的かつ明快にお話をされる名人の姿にとても感銘を受けたため、その何年後かに、また別の教科で授業取材をお願いしたのです。その時に拝見した授業も、教科は違いますが、やはりねらいが明確で、それを実現するための方法も工夫されており、授業後に「ああ、この自治体は本当にすばらしい授業名人の先生がたくさんいらっしゃるんだな」と感動を覚えたのです。

ところがその後、別の取材で訪れた同自治体の学校で、通りすがりにちらと拝見した別の授業名人の授業に、少々疑問を感じたのです。もちろん、授業自体の質が低いなどということは決してありません。ただ子供たちがより深く学ぶためには、少し見落としているところがないかと感じたわけです。それまでに拝見した2名の先生の授業が、とてもすばらしかったもので、正直言えば、「ちょっと見劣りする授業だな」と思ったというところでしょう。それが何となく心に残っていたのです。

後日、とある専門家の取材後に雑談でその話をしたところ、それにはちょっと政治的な問題が関わっているとおっしゃるのです。その自治体では、より質の高い授業名人を認定するため推薦を受けた先生を、そのまま認定するのではなく、専門家が足を運んで確認し、それと認められる方を認定していたのです。ところが、専門家が足を運ぶにも予算がかかりますから、議会の場で地元の政治家から「認定のために一定の予算をかけるなら、それに見合うだけの数の授業名人を認定する必要がある」と指摘されたのだとか。その結果、「もう少し育ってから認定したい」と思っているような人材も、「予算に合わせ、少し下駄を履かせて認定することになってしまっている例があるのではないか」と言うわけです。

この教育現場では優秀な人材だけを認定し、よりよい授業の文化を残していくためにわざわざ時間と予算をかけようとしていました。しかし、それにも関わらず、単純な費用対効果のレベルでしか考えず、教育の質を数に置き換えてしまうような政治家のために、教育の質が下がりかねない状況になってしまうという本末転倒な、残念な話です。

別の自治体でも、同様に政治によって本末転倒なことがなされようとした例があります。これはもうずいぶん前、「総合教育技術」誌の、ニュースページを担当をしていたときのことです。

ある地方自治体の政治家が、全国学力テストの結果が良好とは言えない状況を改善するため、調査結果の悪い学校に対しては予算を削ろうということを言い出したのです。取材で話を聞いてみると、その自治体の担当指導主事の先生は、上からの降って湧いた話に少々困惑しておられる様子でした。そこで、私が「子供の学力と保護者の社会的立場や経済状況などに相関関係があることは、日本だけに限らず広く知られていますよね。ですから、学校にいる先生の責任のような話にして予算を削るのはおかしな話でしょう。状況を改善するためには、むしろ課題の見られる学校に予算と人材を増やして、投入すべきですよね」とお話しすると、「そうなんです。どうかそれを上の人たちに直接言っていただけませんか?」と、切なそうに話されたのです。

結果的には、心ある専門家からのご指摘もあったのだと思いますが、そんな予算配分にはなりませんでした。しかし、このように教育が政治から十分に理解されないために、教育行政や学校現場が苦労するということは取材をしていると、しばしば目や耳にすることなのです。

教育の本質的理解とともに現実も踏まえ、話ができる政治関係者

「政治によって教育行政や現場が苦労する」という話をしてしまうと、「先々、管理職になるのは嫌だ」と思う先生が増え、指導的立場を忌避する方ばかりになってしまいそうなので、逆に教育をきちんと理解し、子供のことを第一に考えて、学校現場を良くしたという政治関係者の話にも触れておきましょう。

これもまた何年も前の話で、ある専門家から漏れ聞いたことなのですが、先の例のように全国学力テストの結果が良好ではないという別の自治体がありました。そこで、学校現場が改革や授業改善を図りやすいようにしようと、教育行政の改革案を出したのです。しかし、その自治体の教職員組合が対立的な立場をとって、なかなか改革が進まなかったというわけです。

ちなみに、組合の存在が問題だなどと言っているわけではありません。教職員組合の組織率と学力調査の結果には相関は認められないという調査が複数ありますし、実際、私自身、組合組織率が高く、行政との関係も良好で、学力調査の結果が良好な自治体を複数知っています。ただこの時の、この自治体では非常に対立的な関係だったと言うのです。

そこで、教育行政に関わる政治関係者がその自治体の組合トップと直接会談し、相互理解を深め、信頼関係を築いたそうです。それによって、議論は必要だが、運動としての対立はやめようという話になったのだとか。その相互理解と合意によって学校現場における改革や授業改善がスムーズに進められるようになり、比較的短期間で学力調査結果などを含めた、教育全体の改善が図られたそうです。

そのように、教育の本質的理解とともに現実も踏まえ、話ができる政治関係者もいるわけですね。

何だか変な話だなと思われるかもしれませんが、若い先生方も先々、責任ある立場になられるでしょうし、すでにそんな立場の先生もいらっしゃるかもしれませんので、連載40回の節目に政治と教育行政に関わる、あまり良くない話と良い話について書いてみました。

教育に関わる人すべてが、ただ子供たちの「わかった」「できる」という笑顔のためだけに学校教育を考えてほしいものだと願うばかりだ。
教育に関わる人すべてが、ただ子供たちの「分かった」「できる」という笑顔のためだけに学校教育を考えてほしいものだと願うばかりだ。

執筆/矢ノ浦勝之

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