【木村泰子の「学びは楽しい」#16】「きまり」を守らせることより大切なことがありませんか?

すべての子どもが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第16回目。今回は、給食をめぐる子どものエピソードから、学校のきまりについて考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
チマキを食べられなかった子ども
大阪では1年に1度、こどもの日にちなんで給食にチマキが出ます。毎年子どもたちはこの日の給食をとても喜びます。チマキは子どもたちが元気になってほしいとの願いを込めて出されるものだとみんな知っています。
ところが、こんな話を耳にしました。みなさん、一緒に問い直しませんか。
1人の子どもがこの日の給食を食べている最中にお腹が痛くなったそうです。トイレに行ってしばらくして戻ってきて、(さあ、チマキを食べよう)と思った時に、給食終了のチャイムが鳴りました。
先生は、「もう食べてはいけません。早く片付けなさい」と指示されたそうです。みんなはチマキを食べていたのですが、この子はしばらくトイレに行っていたので食べる時間がなくなってしまい、食べずにチマキを返したとのことです。
自宅に戻ってから、母親に「チマキ食べたかった……」とつぶやいたそうです。母親がどうして食べなかったのかと聞くと、「給食終了のチャイムが鳴ったら、残っている給食も片付けるというきまりがあるらしく、自分がトイレに行っていたから食べられなかった。私が悪いからだ」と言って涙ぐんでいたそうです。
みなさんはこの事実をどう考えますか。きまりだから1人の子どもだけ特別に食べさせることはできないので、きまりを守らせるべきでしょうか。母親は子どもにチマキを食べさせてもらいたかったと学校に伝えたかったが、伝えなかったそうです。だから、おそらくこの日のこの子の心の声を先生は気づいていないでしょう。
もし、自分がこの子だったらどう思うだろうと考えてみたらどうでしょう。自分の子どもが家に帰ってきて、このことを悲しそうにつぶやいたら、学校に対してどう思うでしょうか。
たかがチマキ、されどチマキです。
そもそも、きまりを設ける目的は何でしょう? きまりを守ることで、「すべての子どもが安心して学校生活を送るため」ではないですか。この子の学級の先生は、きっとこんなふうに子どもが悲しい思いをしたことに気づいてないかもしれません。時間を守らせることに必死で、子どもの様子に気づいていないのでしょう。自分の学級だけイレギュラーなことをすれば、周りから責められると考えているのかもしれません。
みなさんなら、どう行動しますか。学校で決まっている「きまり」が、すべての子どもが守ることができるもので、守れば子どもが安心して学校に来られるものになっているのかを問い直しませんか。
子どもにとって「安心」な学校づくりは、「きまり」を徹底的に守らせることではありません。時には柔軟に、きまりを守らなくてもよい温かい関わりを先生がすれば、周りの子どもも優しい行動ができるのではないかと残念に思えて仕方がありません。
新しい先生たちは遠慮していませんか。従前の当たり前を踏襲するのではなく、目の前の子どものつぶやきや表情や行動を見て、先生自身が、自分で考え、判断し、行動する大人になってください。その行動を子どもたちが見ています。