【指導のパラダイムシフト#6】コンテストの表彰のパラダイムシフト
池田修先生×藤原友和先生のコラボにより、斜め上から本質を考える好評連載。第6回のテーマは、「コンテストの表彰のパラダイムシフト」です。
執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修、北海道函館市立公立小学校教諭・藤原友和
池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。
藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。
目次
第6回のテーマは、「コンテストの表彰」
今回は、「コンテストの表彰」のしかたについて。運動会や合唱コンクールの成績発表についてです。
特別活動で行われるこれらの行事は、行事に取り組む過程やそのときの姿に価値があり、結果はどうでもいいという考え方もあります。私にはちょっと受け入れることはできませんでしたが、そういう考え方を持っている先生と一緒に仕事をしたこともあります。ま、いろいろな考え方がある方が健全です。
私は、せっかくなら爽やかに表彰を実施したいという考えです。
その考えに基づいて、斜め上から考えてみたいと思います。
Q1. 次に挙げるのは、改善の必要な成績発表の例です。どこがおかしくて、なぜおかしいのか考えてください。
Q2. また、どうやればいいのか実際の成績発表を考えてみてください。
改善の必要な成績発表の例
◆運動会・体育大会で
運動会・体育大会では、4つのグループに分かれて競い合いました。
競い合いは、最終種目のグループ対抗リレーの結果で既に決まっています。
________________________________
校長「それでは、成績発表します。第4位、緑組」
拍手拍手拍手拍手……
賞状を渡します。
校長「あなたたち緑組は、令和3年度、運動会・体育大会で第4位になりました。ここにその健闘を讃え、表彰します。おめでとうございます」
拍手拍手拍手拍手……
校長「続いて、第3位、紅組」
拍手拍手拍手拍手……
校長「あなたたち紅組は、令和3年度、運動会・体育大会で第3位になりました。以下同文」
拍手拍手拍手拍手……
以下、第1位まで続く。
◆合唱祭で
合唱祭の成績の付け方は、大きく三種類あると思います。一つ目は、クラス対抗で、学年を考慮せずに、優勝を競うものです。上級生のクラスを超えた順位になる、いわゆる「下克上」が生まれます。これは高校で行われることが多いです。二つ目は、学年を考慮して、優勝を競うものです。つまり、学年ごとに優勝を決めるものです。三つ目は、基準を超えたかどうかで賞を決めるものです。高校生の吹奏楽の全国大会で使われる方法です。金、銀、銅のどれかに該当するかを発表するものです。「ゴールド金賞!」などです。
今回は、二つ目の、学年を考慮して優勝を争うものを取り上げます。
中学校3年生。最後の合唱祭です。クラスは全部で4クラスあります。
_________________________________
司会「それでは、これから合唱祭の成績発表をします。審査員長のイケダ先生、発表をよろしくお願いします」
イケダ「はい。では、成績を発表しましょう」
ザワザワザワザワ……シーン。
イケダ「第4位、2組」
「ガーン」
イケダ「第3位、3組」
「えー」
イケダ「第2位、1組」
「えー」
「うおー」
イケダ「優勝は、2組です。これで発表を終わります」
司会「続いて、表彰に移ります。各クラスの実行員は二人、ステージに上がってきてください」
あなたの考え
A1.
A2.
どこがおかしい、なぜおかしい
◆運動会・体育大会で
1.運動会・体育大会では、4つのグループに別れて競い合いました。
競い合いは、最終種目のグループ対抗リレーの結果で既に決まっています。
ここでは、順位がすでに分かっているということが前提です。
運動会・体育大会によっては、グループの成績は、午前中だけ表示をしておいて、午後の部は表示しないという運営をしているところもあります。
ですが、これでも、担任によってはそれぞれの競技の素点を計算して、クラスやグループに指示をしてしまうこともあって、なかなか難儀なものです。生徒が仮説を立てて作戦を立てるのであれば面白いと思うのですが、教師はこの場面では、見守るだけにしたいものです。
2.「それでは、成績発表します。第4位、緑組」
拍手拍手拍手拍手……
賞状を渡します。
「あなたたちは、令和3年度、運動会・体育大会で第4位になりました。ここにその健闘を讃え、表彰します。おめでとうございます」
拍手拍手拍手拍手……
「続いて、第3位、紅組」
拍手拍手拍手拍手……
「あなたたちは、令和3年度、運動会・体育大会で第3位になりました。以下同文」
拍手拍手拍手拍手……
成績が分かっている場合は、私は、優勝から表彰するのがよいと考えています。
つまり、
実行委員長「それでは、成績発表します。優勝は、白組」
拍手拍手拍手拍手……
賞状を渡します。
実行委員長「あなたたち白組は、令和3年度、運動会・体育大会で優勝しました。ここにその健闘を讃え、表彰します。おめでとうございます」
拍手拍手拍手拍手……
実行委員長「続いて、第2位、青組」
拍手拍手拍手拍手……
実行委員長「あなたたち青組は、令和3年度、運動会・体育大会で第2位になりました。以下同文」
拍手拍手拍手拍手……
つまり、成績が分かっているときに、第4位から発表、表彰をすると、第4位のときには、賞状の文面を全部読みますが、後になると「以下同文」になってしまいます。優勝の表彰なのに、「以下同文」はないのではないかと思うのです。
運動会の表彰は校長先生がすることが多いと思うのですが、子供が主役なら、実行委員長からの表彰でもいいのではないでしょうか。
◆合唱祭で
確認します。
中学校3年生。最後の合唱祭です。クラスは全部で4クラスあります。
順位は審査員の教師と舞台裏にいる、とある生徒しか知りません。
1.司会「それでは、これから合唱祭の成績発表をします。審査員長のイケダ先生、発表をよろしくお願いします」
先生が発表するのは、控えたいですね。
せっかくの実行委員がいます。実行委員長の生徒に発表を任せましょう。
審査委員の先生は、講評の担当がよいでしょう。
2.イケダ「はい。では、成績を発表しましょう」
ザワザワザワザワ……シーン。
イケダ「第4位、2組」
「ガーン」
この方法だと、致命的な問題が表れると私は考えています。
私は、文化行事委員会の委員長をしていたときは、次のようにしていました。
実行委員長「はい。では、成績を発表しましょう」
実行委員長は、 成績が書かれた紙の入っている封筒を内ポケットから取り出して、紅白のリボンの付いている金色のハサミで、その封をゆっくりと切る。この段階では、発表をする実行委員長も結果が分かっていません。
実行委員長「第3位の発表です。第3位は……………♪♩♬」
会場「うあああー、2組だ!」
実行委員長「第3位は、2組です。おめでとうございます」
実行委員長が持っている封筒の中にある紙には、次のように書いてあります。
「第3位の発表です。第3位は(心の中で5秒数えます)
(第3位のクラスの自由曲のイントロが流れます)♪♩♬ 」
「(会場の盛り上がりが少し落ち着いたら)第3位は、2組です。おめでとうございます」
と(※)。
実行委員長も緊張していますし、どんな生徒が実行委員長になっても大役を任すことのできるシナリオを用意しておきます。
この入賞のクラスの自由曲のイントロでの発表は、学校で一番ピアノのうまいと思われる生徒に依頼します。どのクラスが入賞してもいいように、事前にすべてのクラスの自由曲の楽譜を渡しておきます。ま、厳しい場合は音楽科の先生にお願いしますが、この裏方のピアニストも栄誉ある裏方なので、頑張る生徒は毎年出ました。とある生徒とはこの裏方のピアニストのことです。
ちなみに、金色のハサミは買うと高いので、普通のハサミを金色のスプレーで金色にしました。紅白のリボンも手作りです。
そして、致命的な問題です。
4組で競う場合、第4位から発表すると、第2位が発表された瞬間に、優勝もバレてしまいます。そして、盛り上がりが薄れます。
この最下位からの発表を経験したときには、なんというか、優勝のときに
「すみませんねえ」
という空気が流れていました。
順位の分かっていないときの発表のしかたは、
n-1
で発表するのがよいと考えています。
4組あるなら、3位からです。
こうすることによって、第2位を発表した後、2組が残ります。
どちらかが、優勝で、どちらかが第4位です。
残りの2組は、
(いや、うちだよね、優勝。まさか、最下位?)
などドキドキしながら、自分たちのクラスの自由曲のイントロが流れるのを待ちます。
そして、そのイントロが流れた瞬間に、感情は爆発します。
もちろん、第4位は、第4位と言わなくても分かります。
全員の名前を呼んであげるべきだという考え方ではありません。
そっとしておくという考え方です。
※ NHKの全国学校音楽コンクールの優勝の発表の形式です
おまけ
私が文化行事委員長をしていたときは、オープニングムービーを作っていました。当時、写真から動画が作れるということができるようになった時代でした。生徒が歌う課題曲と自由曲を並べ、それらしい言葉を間に挟み、BGMを選んで作りました。
当日の開会式では、
「それでは只今より、平成〇〇年度、〇〇中学校、合唱コンクールを開催します」
と言った瞬間に、会場を暗転し、そのムービーを巨大スクリーンに流しました。
生徒は、最初何のことか分からない様子でしたが、だんだん理解を始め、一年生の紹介が終わる頃には、会場は、急激に熱気が高まるのを感じました。
私が中学校現場にいた頃には、編集にそれなりの時間がかかりましたのでできませんでしたが、今なら、エンディングムービーも作ることができるのではないでしょうか。記録係を生徒にさせて、当日の様子を写真や動画を撮影。そして、成績を計算する間に編集をする。
閉会式のエンディングに、その日の1日をふり返る動画が流れる。
今は結婚式の披露宴の最後にこれをやるサービスもありますが、GIGA時代なら、生徒たちでも十分にできると思います。
いーなー、今の先生、今の子供たち。
現場教師によるキャッチボール解説by 藤原友和
行事における「演出」ということ
今回はコンテストの表彰ですね。
私、実は初任からの4年間は中学校に勤務しておりまして、合唱コンクールの指導経験もちょっとだけあります。とはいえピアノが弾けない、楽譜が読めないというコンプレックスから中学校を選んだということもあり、まぁ、苦しい時間でした。
そんな私ですが、「あぁ、こうしておけば、少しは私も生徒も楽しめたのかもしれないな」というヒントをいただいた回でございました。
さて、今回の池田先生の提言からは、「行事における“演出”をどう考えていくか」について学びました。「なぜ演出するのか」「どのように演出するのか」ということです。
やはり、一生懸命に取り組んだ行事ですからね! 「やってよかったなぁ」と有終の美を飾りたいものです。
それでは、挙げていただいた二つの事例について考えていきたいと思います。
運動会・体育大会の「演出」
「訂正の必要な例」として挙げられた順位発表は、4位から順に行われています。そして、最後が優勝したチーム。池田先生は、これでは優勝チームの表彰状読み上げが「以下同文」となってしまう、つまりは「優勝という価値に見合った讃え方がされていない」ことを問題視しています。
これはそうだよなぁ、と思います。頑張って優勝して、それなのに扱いが軽い。納得いかないという生徒が出てきたり、見ている人たちがなんとなく違和感があったりするでしょうね。池田先生の提言に賛成です。
ここからはちょっと脱線。
体育的行事には優勝劣敗がつきものです。しかしながらスポーツ全体を取り巻く時代の流れはそうではない方向に動いています。例えばスポーツ庁の定義には、「する・みる・支える」というスポーツ参加への多様なあり方が示されています。
従って、特別活動の中で順位を競うことを行事への動機付けとしてデザインし、集団のまとまりをつくろうとすることは、もしかしたら変わっていくのかもしれません。生涯スポーツの考え方では勝ち負けよりも「いつでもだれでもどこでも」できること、楽しむこと、参加することに重点を置いています。
また、ここ数年の動きを見ても危険を伴う組体操が禁止されたり、小学校では働き方改革に関連して当日は半日日程、練習期間も特別に体育を増やしたりはしないこととしたり、さらにはコロナ禍において行事の開催そのものが難しかったりという状況があります。
代案を示す力量は私にはありませんが、まさに「パラダイムシフト」が起こりつつある中で、体育的行事の意義や目的をみんなで話し合うべき時期なのかもしれないですね。
ただ、もしも体育的行事の中から「優勝劣敗」の価値観が薄れていくとしたら、これまで以上に「演出」を意識し、行事そのものの魅力を高めていくことは必要なのだと思います。
合唱祭の「演出」
これはぜひやってみたい演出!
3位から始めて2位の次にクライマックスがやってきます。
優勝なのか4位なのか、最後まで分からないという演出です。残りの2学級のうち、どちらかが優勝。どちらかが4位。
4位になった学級は、とてもがっかりしそうな心配もありますが(笑)、「発表しない(そっとしておく)」という考え方。ここを職員の中で共有できているかが結構大事な気がします。
しかも、成績が書かれている紙を封筒から取り出してプレゼンターの生徒が発表する。その表情にも学年全生徒の注目が集まるでしょうね。加えてピアノのBGMと金色のはさみという舞台効果。嫌が応にも気持ちは高まることでしょう。
さらにさらに、オープニングムービーまで用意するという徹底ぶり。
生徒の心に残る行事になったことは想像に難くありません。
ところで、私事ですが新卒からの数年間、今では高名なとある先生の内弟子として教師修業をさせていただいておりました。その折に見せていただいた文化祭のステージ映像は今でもはっきり覚えています(書籍になっておりますので、問い合わせてくださればお知らせします)。
池田先生にしろ、師匠にしろ特別活動を「演出」できる先生は、学級経営も授業も上手いなぁという印象です。
これはなぜなのかと、未だその境地にはほど遠い私は、憧れを持ちつつ考えてみました。
最後にそのお話をして、今回の「解説」を終えようと思います。
「演出」をするのは誰なのか
小学館の『デジタル大辞泉』によりますと、「演出」は次のように説明されています。
[名](スル)
『デジタル大辞泉』(小学館)
1 演劇・映画・テレビなどで、台本をもとに、演技・装置・照明・音響などの表現に統一と調和を与える作業。
2 効果をねらって物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと。「結婚式の演出」「演出された首班交代劇」
ここでは「2」の意味で用いられているわけですが、そもそもは演劇用語ということですね。さらに小学館の『日本大百科全書』で演出について調べていきますと、下記のような解説に行き当たりました。
近代以前、演出機能を担う者は、上演集団の作者や指導的俳優であり、また両者の協同作業によったとされる。
『日本大百科全書』(小学館)
極めて大事なところですね。演出は「作者や指導的俳優」が行うこととされています。
つまり、全体を統括するリーダーシップとしての行為であるとのことです。
今回、池田先生の示してくださった例では、ところどころに生徒にスポットライトが当たる場面が用意されていたり、生徒の感情に配慮した進められ方が為されていたりします。前回までにも度々触れてきた「共感的視点」ですね。参加している生徒はどう感じているのか。そこへの想像力が発想の出発点となっています。
この一方で、全体を統括し、どんなパーツをどのように並べるとより効果が高まるのかということは、教師の裁量の中にあります。いわゆる「管理的視点」からデザインされているとも言えるでしょう。
現在、学校は「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けて日々試行錯誤しているさなかにあります。そして、考えれば考えるほど、結局は古くて新しいこの問題、すなわち学習者の主体性と教師の指導性をどのように考えていくかということに行き着くのではないかなぁと思います。その絶妙なバランスが肝要と言うことでしょう。
もっと勉強しなきゃ。
池田修先生×藤原友和先生コラボ連載「指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~」ほかの回もチェック⇒
第1回 避難訓練のパラダイムシフト
第2回 忘れ物指導のパラダイムシフト その1
第3回 忘れ物指導のパラダイムシフト その2
第4回 漢字テストのパラダイムシフト その1
第5回 漢字テストのパラダイムシフト その2