【指導のパラダイムシフト#3】忘れ物指導のパラダイムシフト②

連載
指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~

池田修先生×藤原友和先生のコラボにより、斜め上から本質を考える新連載。第3回のテーマは、「忘れ物指導のパラダイムシフト その2」です。

執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修、北海道函館市立公立小学校教諭・藤原友和

池田修

池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。

藤原友和

藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。

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第3回のテーマは「忘れ物への指導 その2」

オーストラリアの学校の子供は忘れ物をしない!?

数年前、大学の「学級担任論」という学級担任の仕事を教える授業で、忘れ物への指導について講じていました。そこに、突然、お客さんが現れました。副学長に連れて来られた、オーストラリアのとある高校の副校長先生でした。しばらく私の授業を参観していかれました。

打ち合わせもなく突然来たので、驚いたのですが、実は、その後の話の方がもっと驚きました。副学長が言うには、
「池田さん。あの高校の先生が、『何を言っているのか分からないけれども、いい授業をしているのは分かります』と言ってほめていたよ」
「そうですか。それは嬉しいですねえ」
「でね、忘れ物への指導の授業だけど、うまく翻訳できなかったんだよ」
副学長は、大学で英語を教えています。
「えっと、Are you an English teacher?」
と言えるはずもなく
「それはどういうことですか?」
と聞く私。

「オーストラリアには、忘れ物指導という概念がないというのですよ」
「へ? オーストラリアの生徒は宿題を忘れないんですか? Never forget to do their homework?」
「いや、忘れ物はする」
「ということは?」
「忘れ物をするけれども、それは学校の指導の範囲にないんだそうだ」
「へ?」
「家庭の責任だそうだ」
「あー、なるほど。では、教科書とかは忘れないんですか?」
「すべて、学校に置いてある」
「あー、そうなのか」
「だから、忘れ物はしても、忘れ物を指導するという概念がなくて、翻訳しづらかったんだよね」
と。
「Are you an English teacher?」
と言わなくてよかったと胸を撫で下ろしました。

この話は、実に印象的な出来事として私は記憶しています。そして、忘れ物への指導の授業をするたびに学生たちにこの話をして考えさせます。

「オーストラリアの先生は楽でいいなあ」
という声が出るたびに、
「何も、日本で先生をするだけが、先生の仕事ではないぞ。どうぞ、オーストラリアの先生になってください」
と話しています。

しかし、学生たちが先生になるのは日本です。日本の小中学校で、忘れ物への指導はどうしたらいいのでしょうか。

忘れ物のつくり方の授業

一般に、児童・生徒指導は、三つの部分から成り立っていると考えられています。

1. 事前指導(予防指導)
2. トラブルへの対応と指導
3. 事後指導(アフターケアとさらなる予防)

この中で何が一番大事かといえば、事前指導です。事が起きてから指導するのではなく、事が起きないように指導することが肝要なのです。

これは忘れ物への指導についても、同じです。

しかし、忘れ物への指導は、圧倒的に、2.トラブルへの対応と指導でしょう。忘れ物が発生してから、注意をするということになっているのではないでしょうか?

忘れ物を起こさせない。そんな事前指導の忘れ物というものへの学習をさせる授業をする必要はないのでしょうか。私は必要だと考えて、中学生に行っていました。

◆ ◆ ◆

「今日は、忘れ物に関しての授業をします」
「忘れ物をするなと叱る指導ではありません。どうやったら、少しでも減らすことができるのかということを考えるための授業です」

忘れ物指導

「時に、みなさんは、初恋はお済みでしょうか? 初恋は大概実らないものです。失恋するものです。みなさんに聞きますが、そのときのつらさをずっと引きずっていて、今でも生きるのがつらいという人はいますか? ま、手を上げなくてもいいのですが、ほとんどいないでしょう」
「人間は、ものを忘れるという素晴らしい能力を持っています。人類の誕生から脳はさまざまな機能を持ってきました。この忘れるという機能も、人間にとっては、必要な機能だということを選択したのでしょう。ですから、ずっと、忘れるという機能は備わっています」

ちょっと余談ですけれども、すごく不思議なこと。人間は、親の体型や気質を受け継ぎます。髪の毛の色や質、顔の形、指の形、病気の傾向などありとあらゆるものを、受け継ぎます。

でも、受け継がないところがあります。脳です。脳の情報です。なんで、これを受け継がないのかなあと思います。ゼロから、まっさらから始まります。これも一つの「忘れた」状態になっているんじゃないかなあと思うのです。余談終了。

「また、『よーし、明日の国語の授業の漢字プリントはしっかり家に忘れていこう!』と決意して忘れる人もいません。そうなのです。忘れ物の本質は、「忘れ物なんかしたくないのに、忘れてしまう」というところにあります」

「前提をまとめましょう。1.人には忘れるという機能が備わっている。2.人は、忘れものをしたくて忘れ物をしているのではない。この二つを確認したうえで、では、忘れ物を減らすにはどうしたらいいのかということを考える授業をしましょう」
と言って始めていました。

そして、
「忘れ物を『つくる』には、次の3つのステップのどこかでコケる必要があります。このどこかでコケると、めでたく忘れ物は完成します」
「その三つとは、1.情報の収集と情報の持ち帰り、2.準備、3.提出です」
「保護者会の出欠席の紙を明日までに、親のサインをもらって提出しなければならない。この情報を記録できないと、この段階で忘れ物の完成です。なんとかして、記録してください。一番いいのは、連絡ノートに記録することでしょう。しかし、私が子供のとき、そのノートをなくしてしまうわけで、ノートに書いたから忘れ物が発生するという、訳の分からないことが起きていました」
「皆さんは、自分にとってどんな方法がいいのかを考えて選ぶべきです。他の人のやり方があなたにとっていいとは限りません。自分にとって一番いい方法は何かを考える。これを『個別最適化』と言います。他の人から変だと言われてもいいんです。あなたにとって一番よいものを考えてやる。法律違反、倫理違反でなければどんどんやればいいんです」

「そして、その情報をプリントと一緒に家に持ち帰ります。これが1.です。ここができたとしても、安心してはなりません。まだ、ゴールは先です」

「準備。どうしたらいいのでしょうか。いつやるのか、どのようにやるのかを考えてください。ポイントは、どうしたら、準備のミスが少なくなるのかということです。つまり、明日持って行くときに、間違いなく持って行くために、何をどのようにしたらいいのかと考えることです。これが2.です。そして、これができないと、またしても、忘れ物は完成してしまいます」

「なんとか学校に提出物を持って来ることに成功しました。あと少しです。クラスで決まっている提出の方法で、提出することができたとき、あなたは、その忘れ物をしてしまうということから解放されます。あと一息です。どうやって提出すればいいのでしょうか。考えてください」

というようなことを考えさせました。そして、まとめとして、「忘れ物のつくり方」のワークシートを渡して、自分にはどのようなやり方が、合っているのかを確認しました。ちなみに、このワークシートは、ざっくりですが、数字が少ないほど、難易度は高くなり、安定度は増します。生徒には、自分が選んだものの一つ数字が少ないものを目標にして頑張れと話していました。

分母を減らす

©池田 修  参考『忘れ物の教育学』(家本芳郎 学事出版)

忘れ物の発生の仕組みは分かりました。

もう一つやるべきことがあります。それは忘れ物の分母を減らすことです。持って来なければならないものがたくさんあれば、必然的に忘れ物の可能性は増えます。逆に、減らせば、その可能性も減ります。

どんなふうに減らせばいいのでしょうか。

子供たちが学校に持って来るもの、忘れ物の対象になるものをピックアップしたうえで、それぞれを分類します。そうすると、絶対に忘れてはならないものは何かが分かるはずです。それは、「個人で絶対に個別に必要なもの(貸し借りができないもの)」となるはずです。

それ以外は、シェアをすればいいというのが私の考えでした。今は、感染症の問題もあるので簡単にシェアをさせることが難しいかもしれません。しかし、シェアの考え方は感染症の後に大事になるでしょう。

クラスにいくつかあればいいもの
学年にいくつかあればいいもの
学校にいくつかあればいいもの

これで分類して、学校で用意すればいいでしょう。大規模マンションの駐輪場にいくつもの空気入れは必要がないのと同じです。一つか二つ共同で使えるものを置いておけばいい。それと同じです。

また「学校に置いておけばいいものは、置いておく」。いたずらされないように、鍵付きのロッカーを用意して。学校は、子供たちの私物を置いておくことができない設計になっています。カバンを入れる棚も扉はありません。ここは改善したいところです。

現場教師によるキャッチボール解説by 藤原友和

「置いてある」と指導の前提が変わる

「オーストラリアの先生は楽でいいなぁ」

あ、すみません。私、英語できませんでした。

そんな私も外国語科の指導をしているわけですから因果なものです。指導に四苦八苦している私を余所に子供たちは実に楽しそうに授業に取り組んでおります。もちろん忘れ物は「0」です。

なぜか。

学校に全部置いてあるからです。前回も少し触れましたが、文部科学省からの「事務連絡」により、学校で置き勉を認めやすい空気ができました。勤務校では教科書類も置いていってよいことになっています。

その結果、学習用具の忘れ物はほとんどなくなりました。もしも学習用具の忘れ物が発生するとしたら、それは「家庭学習のために持ち帰った」「家でも裁縫作品を作ってみたくなって、裁縫セットを持ち帰った」といった実に殊勝なものです。

こういう忘れ物ならむしろほめてあげたくなってしまいます。「そっかー、もっと勉強したくなったんだねえ。偉いねえ」なんて言うかもしれません。

しかし、授業に必要なものがないのは困ります。

誰が困るのかというと、子供が困ります。私は困りません (若い頃は、自分が対処しなければならない仕事を“増やされた”と感じてしまい、イライラしてしまっていたことを懺悔いたします)。

授業像が変わると指導が変わる

さて、池田先生は忘れ物指導に対して、生徒指導の原則を参照に下記の視点を示しています。

  1. 事前指導(予防指導)
  2. トラブルへの対応と指導
  3. 事後指導(アフターケアとさらなる予防)

私が挙げた事例は2から始まっているわけですが、忘れ物に限らずどのように失敗をリカバーするかということは、GIGAスクール時代に必要な資質・能力を伸ばすことにもなります。実は大きなチャンスです。

というのも、1人1台端末の配付も、「個別最適化」を目指した教育活動も、通底するのは「みんなが同じ」道筋を辿るのでは「ない」ことだからです。

目指すべきゴールが決まっていることには変わりません。これからの時代を生き抜く資質・能力を子供たち全員に育てることは至上命題です。では、何が変わるかというと、この目標達成までのプロセスです。

これまでは、階段を一段ずつ昇るように、「まず、こうしてね」「全員できた? じゃ、次はこうしてね。あれ、B君どうしたの? そうか、ちょっとみんな待っていてね」「はい、B君もできました。それでは次に進みます」……という、極端に言えばこうした授業が行われていました。

それが「1人1台端末」を文具として用い、「個別最適化」した学習活動を展開しようとすると授業のフレームは大きく、自由度の高いものにならざるを得ません。

例えば、以下のような授業が多くなっていくように思われます。

「全員でこのゴールまで来てね」「途中で分からなくなったら、友達と相談してもいいし、端末を使って分かりやすく教えてくれる動画を探してもいいし、教科書や資料集を使ってもいいです」「できたものはどんどんclassroomにアップしてください。先にできた人の作品を参考にしてもいいです」「評価基準は共有ドライブにアップしています。では、どうぞ」

ちょっと回り道をしましたが、授業像がこのように転換してくると、「忘れ物」の緊急度も変わってくるのではないか、ということです。忘れ物をした、使うはずの学習用具がない。しかし、別の方法で目標を達成すればよい。ここに工夫の余地が生まれます。

冒頭に挙げた裁縫セットを忘れたとしましょう。そしてこの日の課題はボタン付けだったとします。「全員が道具を学校に置いてある」状態で、たまたま持ち帰った子供が忘れただけなら、多く見積もっても5~6人分あれば足ります。

これくらいなら教師用セットから準備することができますし、友達が貸してくれるもので十分です。材料となるボタンと布だけは用意しておけばいいですし、仮に準備数が足りなくても、自分の作品を画像で提出することにしておけば、「先に終わった子が、糸をほどいて忘れた子に貸してあげる」ことも考えられるでしょう(もちろん、感染症対策で今は慎重にならなければいけませんが)。

要するに、「選択肢がある」という状態を保障できていること、目標に至るまでのプロセスで「創意工夫・試行錯誤が行われる」ことは、粘り強く学び続けることができる子供を育てるための枠組みとして「あり」ではないかと思うわけです。

「忘れ物指導」の“奥”へのまなざしを忘れずにいたい

前回、授業像や置き勉のシステムが変わる前の経験としてA君の話題を出しました。A君が忘れ物をつくらないために、ご家庭との協力の下で試行錯誤した話です。

そこで私自身が学んだことは、家でのTo doリストを介して、A君の家での生活を知ったこと、つまりは「今まで知らなかったこと」です。当たり前のことですが、私は家でのA君の様子は分かりませんし、保護者はA君の学校での様子が分かりません。

1人1台端末によって、学校での学びの様子が格段に伝わりやすくなりました。提出物もWebで確認、学習状況も逐次、見られるという状況が生まれつつある中で、これまでよりも「伝わっていない」ことから生まれるミスやエラーは減ることと思われます。

しかし、「伝わっているから準備してくれて当然」「期日に間に合って当然」という考え方は危険です。学校は忙しく、私たち自身が仕事に余裕のない時代ですから、「早め早めに動きたい」「〆切で全員分そろえたい」という気持ちが生じるのはある意味で仕方のないことかもしれません。

ですが、保護者もまた忙しいのです。兄弟が2人、3人といる家庭。弟や妹が生まれたばかりで、夜もあまり寝られないという家庭。シングルマザーで、学童から帰ってきてから寝るまでのわずかな時間で子供との触れ合い、学校であったことの共有、食事や入浴を済ませるという家庭。実にさまざまな事情があります。

「忘れ物をつくらない」ことは、学習をスムーズに進めるための手段です。目的ではありません。そして、学習をスムーズに進めることもまた、子供を育てていくための手段です。手段、つまり「やり方」が、子供やその奥にある家庭ごとに「ちょうどよくなる」ための方法は異なります。

その子の育ちのために、どのような「やり方」がいいのだろうか。「個別最適化」というのは本当に難しいのですが、このように模索する教師の「あり方」が問われるのだろうと思います。

池田修先生×藤原友和先生コラボ連載「指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~」ほかの回もチェック⇒
第1回 避難訓練のパラダイムシフト
第2回 忘れ物指導のパラダイムシフト

イラスト/藤原友和

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