新型コロナ対策で見えてきた学びの場としての新しい学校像
新型コロナウイルス感染拡大と、それに伴う一斉休校などにより、各自治体、各学校でさまざまな対応が求められています。こうした非常時に、学校や教育行政はどうあるべきか、子どもの学びをどう保障すればよいのでしょうか。また、その実現に向けて校長にはどのようなマネジメント力が求められるのでしょうか。広島県教育長の平川理恵氏に考えを述べていただきました。
目次
新型コロナウイルス感染症対策で見えてきた学校の姿
新型コロナウイルス感染症によって、学校が臨時休業を余儀なくされ、「学びの機会の確保・子どもたちの心身の健康」の観点から、ICTの活用が注目されています。
ICTについては、今年度、本県では県立高校の81校中35校で保護者が費用負担して生徒のPCを購入するBYOD(Bring Your Own Device)による1人1台環境の整備を決めていましたし、県教委の中に「学校教育情報化推進課」というICT関連の部署を立ち上げ、学校のICT推進に本格的に着手していました。また、昨年度からGSuiteの研修を教育センターで行っていました。
そういった意味では、偶然にも新型コロナウイルス対策の「助走」はできていたと言えます。現在は、新型コロナウイルス対策の中で、4月臨時議会で新たに約8.8億円の補正予算を組み、この取り組みを加速させているところです。
オンライン学習を実現するためには「三種の神器」が必要です。それは、「デバイス(端末)」「通信手段(Wi-Fi環境など)」「アカウント(Google Classroom など)」です。
クラウド上に設けられた仮想の教室に、児童生徒がそれぞれのデバイスから各自のアカウントで入室して学ぶのです。本県では、クラウドサービスを利用できるよう、県内すべての児童生徒に必要なアカウントを無料で確保し、各市町教育委員会と連携して取り組みを進めています。
また、デバイス等の調達を急いでいるところですが、新型コロナウイルス感染症の影響で市場でもPC端末やモバイルルータ等が不足しているのが現状です。ですから、場合によっては、児童生徒や保護者、教職員の私物の使用もお願いして、この非常時を乗り越えるしかありません。児童生徒の学習に遅れを生じさせないためには、スピード感をもって、できることからすぐに始める必要があると思います。
もちろん、リアルな学校の重要性も改めて実感しています。オンライン学習は有効なツールではありますが、人間は社会性のある生き物なので「オンラインだけでは何か満たされない」というのが実情でしょう。また、小学校、中学校、高校、特別支援学校と校種も異なれば、発達段階や成長過程も幅広で、オンラインですべての学びが完結することはありえません。リアルな学校でないと難しいものも少なくないのです。
非常時だからこそクリエイティブに
コロナ禍で学んだのは、「非常時に何ができるのか」です。県教委のスタッフには「今は平常時ではない。さまざまな制約があるのは承知しているが、こういう状況だからこそクリエイティブに、それを乗り越える世界観の共有やできる方法を創出してほしい」と繰り返し発信しています。
学校においても、子どもたちの学びに遅れが生じてはならないと、先生方はそれぞれが独自に工夫をされて、さまざまな取り組みにチャレンジしています。
「ICTを使った授業は不慣れで大変だけれども、どうやったらうまく伝わるか、わかりやすいか。そういったことを考えながら準備していると楽しい」といった声が私のところにも聞こえてきました。子どもたちのためにすべきことを最優先し、何ができるのか懸命に模索する教職員を支えることが、管理職である校長の務めでしょう。
学校の本質が問われている今だからこそ、学校のことを見直してみてほしいと思っています。学校には、授業、学校行事や部活動、校務などたくさんあります。非常時だからこそ、限られたリソースの最適化がいつも以上に求められます。まさに「ピンチをチャンスに!」です。
学びの場としての新しい学校像を思い描き、果敢にチャレンジしていただきたい。教育委員会も、そういったチャレンジを支援したいと思います。
本当に向き合うべき本質的なものは何か
新型コロナウイルス感染症への対応の中で、教育委員会も今年度の事業計画の見直しが必要になりました。計画していたものを「できること」「できないこと」「形を変えてやるべきこと」「新たな対応」と4つに事業仕分けし、リソースを再配分することが必要です。単に新型コロナウイルスをしのいでいく手立てを考えるだけではなく、「アフターコロナ時代」の未来像をもたねばならないということです。
学校の場合を具体的に考えてみましょう。例えば、今年度は多くの行事や部活動などができないと想定されます。しかし、できないことばかりに目を向けるよりも、最も大切なこと、学校にとって本質的な部分は何か、と考えてみてはどうでしょうか。学びの機会だけは疎かにできないという結論が自ずと出てくるでしょう。
そのためには、どうすればよいのか。例えば、ICTによる授業が最適だと判断すれば、ICTスキルの向上を図る必要があります。英語のスピーチやダンス・レポートなどのパフォーマンス課題を出す場合は、あらかじめルーブリック評価の基準を示しておくなどの工夫が必要です。児童生徒の学びと向き合い直す過程で、学びを導く「本質的な問い(エッセンシャルクエスチョン)の立て方」や「ファシリテーション」の力が本当に問われてくるのではないでしょうか。
アフターコロナ(3~4年後)の学びのイメージ
学びの本質的なプロセスを問う
児童生徒の「学びたい!」「やりたい!」というモチベーションを発揮させる学びが大切です。それに必要な学習環境を教育委員会や学校は準備しなければなりません。
「物理的に教室に入らないと成立しない学び」から「適材適所で分散された個別最適な学び」へのシフトを加速する必要があります。リアルな学校だけでなく、インターネットを活用することで、学校と児童生徒は「いつでも、どこでも」つながります。また実社会で、 ボランティアに参加したり、職業体験をしたり、地域の文化資源に触れたり、スポーツクラブに参加していくこともあるでしょう。
自分のモチベーションに従って、さまざまなチャンネルで学ぶ中で、「自分とは何者か」と自己を認識し、自己を開示し、自己を表現し、自己を実現していく。それが学びの本質的なプロセスであると思います。
単に知識が多いということには、かつてのような意味がありません。知識だけであれば、スマホで瞬時に検索可能です。計算はソフトが瞬時に解を出します。もちろん、知識や技能の習得に意味がないということではありません。そうではなく、子どもたちは先生の学ぶ姿勢、先生自身の探究する姿から学ぶということではないでしょうか。
「学び」が「主体的・対話的で深い学び」であるとき、それは、受験が済んだら知の剝落が起こる……などということではなく、学べば学ぶほど知的欲求が駆り立てられるものではないでしょうか。
さらに言えば、大人=成熟/子ども=未熟といった上下関係ではなく、一人の人間として、一人の自立したシチズン(社会の一員)として対等であるということ。本当の教育改革はそこからしか始まらないと思います。
取材・文/安部晃司
『総合教育技術』2020年7・8月号より