子供たちのためとは?【伸びる教師 伸びない教師 第52回】
- 連載
- 伸びる教師 伸びない教師


豊富な経験によって培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする人気連載。今回のテーマは、「子供たちのためとは?」です。コロナ禍での臨時要請の中で、子供たちのために卒業式を執り行ったときの話です。担任からの黒板メッセージが子供たちの心に響きました。
執筆
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)
栃木県公立小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を務める。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。
目次
臨時休業要請
令和2年2月27日、安倍首相の「臨時休業要請」の会見は、放課後の職員室の雰囲気を一変させました。
「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週月曜日から春休みに入るまで、臨時休業を行うよう要請いたしました」
テレビの会見を見ていた教師からため息混じりの声が漏れる中、6学年主任の表情が暗くなるのを私は見ました。会見を聞きながら「春休みまで臨時休業が続けば卒業式ができなくなる」そんな思いが頭をよぎったのだと思います。
6学年は、学年主任のほか、20代後半、30代半ばの教師で構成されていました。この6学年は訳あって5学年から6学年へ進級するとき、3学級すべての担任が変わりました。これは例年にないことでした。
6学年という多感な時期の子供たちですから、卒業までの1年間、いろいろなことが起きました。
何か問題があったとき、私が学年主任に「大丈夫かい?」と声をかけると、
「大丈夫です。あの子たちなら〇〇すれば受け入れてくれると思うんですよね」
という返事が返ってきました。「子供たちはどう感じるか」「子供たちのためにどうしたらよいか」など、いつもこの教師の発言のなかには子供がいました。
担任から子供たちへの黒板メッセージ
学年の若い担任2人が子供たちとのコミュニケーションが取れないと悩んでいたときも、「放課後、子供たちに向けて黒板にメッセージを書くのはどう?」と提案していました。それからというもの、6学年の3教室には、学級として頑張ったこと、学級の伸びたところなど、担任から子供たちへのメッセージが毎日黒板に書かれていました。
朝、子供たちは登校すると、真っ先にこの黒板のメッセージを見ていました。
メッセージを見てニヤッとほほ笑む子、見て見ぬ振りをする子など反応は様々でしたが、子供たちの心に響くものがあったのか、問題は少しずつ減っていきました。
この1年間、6学年主任が必死で子供たちと向き合ってきたことは、私だけでなく他の教師も知っていました。きっと、卒業式という晴れの舞台で、子供たちを笑顔で送り出すことをゴールに走り続けてきたのでしょう。それだけに臨時休業のニュースはショックが大きかったのだと思います。

なんとしても卒業式を
臨時休業が決定し、明日が子供たちと過ごせる最後の日となりました。6学年主任が私のもとにやってきました。
「明日、6年だけで卒業式の予行練習をしてもいいでしょうか。卒業式ができるようになったとき、子供たちが慌てないようにしたいんです」
卒業式については、まだ何も決まっていない状態でした。もしかすると、実施できなくなる可能性もありました。しかし、ここでも子供たちのことを考える姿勢は変わっていませんでした。
次の日、予行練習を終え、戻ってきた6学年担任たちの目は全員真っ赤に腫れ上がっていました。証書を渡すほうももらうほうも泣きながらの練習だったと聞きました。常に子供たちのことを考えていた6学年担任の思いが伝わったのだと思いました。
それを聞いた私は、「なんとしても、卒業式をやらせてあげたい」そんな思いを強くしました。それは、私だけでなく他の教師も同じでした。
卒業式だけはやらせてもらえないかと設置者である大学に何度もお願いをしました。数日後、大学も現場の思いをくみ取ってくれ、感染症の対策を講じた上で実施してもよいとの判断をしてくれました。
卒業式前日、教室に残っていた6学年主任に「明日早いからもう帰ったら」と声をかけると、「いや、まだ最後にやることがあるんです」という返事が返ってきました。
卒業式当日の朝、6学年の教室に行ってみると、最後のメッセージが黒板に書かれていました。しかも、3学級すべての黒板にそれぞれの担任の思いが綴られていました。図画工作が専門の6学年主任の黒板には、学級一人一人の絵がメッセージとともにチョークで描かれていました。
6学年主任に「卒業式、またボロボロ泣くんでしょ」と声をかけると、「予行で泣きましたからもう涙なんて残ってないですよ」と、言っていました。でも、やっぱり……。退場するとき、子供たちの先頭を歩きながら大粒の涙をボロボロとこぼしていました。
「子供たちのため」という言葉のせいで教師が働かされすぎている、そんな声を聞くことがあります。私は、「子供たちのため」という言葉が悪いのではなく、そうした教師の純粋な気持ちを使って長時間労働をさせているシステムが悪いのだと考えます。
ですから私は、いつも子供たちのために指導に当たっている教師に敬意を払います。
構成/浅原孝子 イラスト/いさやまようこ
※第16回以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。