【木村泰子の「学びは楽しい」#34】対話を通じて学び合う環境をつくっていますか?

子どもたちが自分らしく生き生きと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載の34回目。今回は、読者の方の声をもとに、多くの学校で今起こっている問題の原点と対話の大切さについて考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
最優先すべきこととは
「子どもにとって一番いいことは何かを真っ先に考えなくてはならない」
これは子どもの権利条約の第3条です。
みなさん方の学校はどうでしょうか。「子どもにとって最善の手段は何か」を常に最上位に置いて、教職員で対話をツールに「子どもにもっともよいこと」を生み出して行動しているでしょうか。
ともすると、「責任はだれがとるのか」「周りの子どもが文句を言うのではないか」「保護者の理解が得られないのではないか」「うまくいかなくなったら裁判をされて学校が負けるのではないか」などの考えが先行して、結果的に困っている子どもだけではなく、周りの子どもたちも学校に不信感を抱き、学校に行く意味がわからなくなるといった状況に現在の学校は陥っている気がします。これらの結果が「自死」「不登校」「いじめ」過去最多の子どもの事実につながっているのではないでしょうか。
自分が校長だったら……
読者の方からメッセージをいただきました。すべてを伝えることはできませんが、みなさんが(この学校の校長だったら……)と自分事に置き換えて考えをもってください。
私の子どもは小学校2年生で発症し、退院後の学校生活からは病気のことを子どもたちや教職員に開示して、現在6年生になります。
食事のための医療行為が必要で、自分の病気を受け入れた子どもは、これまでは保健室や職員室で行っていた医療行為を、教室で行いたいと希望しました。
この子どもの声に対して、学校や教育委員会は、安全上の理由や市の慣例を理由に拒否しました。中でも、周りの子どもたちに聞いてみてほしいとのお願いには、周りの子どもがどう受け止めるか、口には出さなくてもいろんな思いを抱えてしまう子どももいるので話合いはさせられないとの回答だったそうです。
結果的にこの子は学校が安心できる場所ではなくなり、主治医からも自死をする可能性が高いと告げられたとのことです。
もちろん、学校の対応を批判するために今回のテーマがあるのではありません。現在の学校現場には同様のことが山積みの状態ではないでしょうか。学校としてできるかできないかの判断で事を進めると、学校と保護者が分断され、その間にいる子どもが困ってしまいます。
みなさんがこの学校の校長ならどんな行動をとりますか。