ペン回しのような、編教室での子どもたちの何気ない行動、どう捉えていますか?

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授業中、子どもたちはさまざまな行動を見せます。例えば、鉛筆を回したり、椅子を前後に揺らしたり、消しゴムを何度も落としてしまうことがあるでしょう。教員の目には、これらの行動が「授業の妨げ」と映るかもしれません。しかし、教室は、子どもたちにとって単なる「学びの場」ではなく、友だちと交流を深める「生活の場」でもあります。そうした何気ない行動は、実は子どもたちが自分なりに集中力を保つための工夫であったり、自然な学びの一部であることもあるのです。
教員として、こうした行動をどのように解釈し、教育の場にどのような影響があるのかを改めて考えてみる必要があるかもしれません。今回のコラムでは、教室内にあふれる「音」や「振る舞い」に焦点を当て、これらをどう受け止めるかによって、教室の雰囲気や授業の進行がどのように変わるのか、一緒に考えてみませんか。

【連載】学校の「当たり前」を問い直す のびのび教員論 #4

執筆/神戸市立小学校教諭 森脇正博


子どもたちの何気ない「ペン回し」、どう解釈しますか?

授業中、鉛筆や赤ボールペンなどを指先で回す子どもを見かけたことはないでしょうか?
その姿に、多くの教員は「集中していない」「授業の妨げだ」と感じるかもしれません。
しかし、子どもたちにとって、この「ペン回し」は意外にも集中を助けるための一つの工夫かもしれないのです。

これは私の子供時代の実体験です。ある日の国語の時間。私は無意識に鉛筆を回していたようです。授業内容には興味があったのですが、手を動かすことで集中力を保とうとしていたのか、理由を問われても自分でもよく分かりません。手を滑らせて鉛筆を落としたりしましたが、それさえ気にならないほど授業に集中していました。
しかし、当時の担任の先生からは、
「授業に集中しなさい」
と注意されました。
そのとき私は、
「鉛筆を落としてしまったことで授業の邪魔になったのだろうか? でも、そんなに大きな音をさせていないし、そもそもなぜペンを回してはいけないのだろう?」
と疑問に思ったのです。
教室全体を見ている教員の目には、ペンを回す児童の姿が視覚的なノイズのように映り、気になったのかも知れません。しかし、私にとっては、ペンを回すリズムがむしろ集中を助けていたのです。

このように、何気ない「ペン回し」などの行動には、子どもたちそれぞれの理由があるかもしれません。教員として、こうした行動を、すぐさま「授業の妨げ」として判断するのではなく、その背景や意味を探る姿勢が大切なのではないでしょうか?

「振る舞い」に隠れた子どもたちの思い

読者の皆さんにも、授業中についつい気になってしまう児童の「振る舞い」があるのではないでしょうか? 例えば、児童がリラックスした様子で、横を向いて机間の通路に足を投げ出し、授業を聞いている姿を見たことはありませんか?
そんなとき、「前を向いて座りなさい」と注意しがちではないでしょうか。
しかし、子どもの実情をしっかり捉える前に注意するのは早計です。

私もそのような光景に出会ったことがあります。机間指導をしながら、その子の近くに寄ってみたところ、窓から差し込む光の反射で黒板が見えづらく、横を向いているほうが眩しくなかった、ということに気づきました。その子にとっては、視覚より聴覚を働かせるほうが、授業内容を理解しやすかったのでしょう。
このような場面では、教員は一律に「正しい座り方」を求めがちですが、それが必ずしもすべての子どもにとって最適とは限りません。少し体を動かしながら授業を受けた方が集中できる子もいれば、リラックスした姿勢で話を聞いた方が学習効果の上がる子もいるでしょう。教員が「正しい姿勢」や「前を向くこと」を一方的に強制することで、子どもたちが自分なりに工夫して見つけた学び方を妨げてしまうこともあるのです。授業中の一見奇妙に見えるかもしれない「振る舞い」にも、子どもたちなりの理由や背景があることを見逃さずに捉える姿勢が、教員には求められるのではないでしょうか。

「快適さ」と「授業環境」の間で揺れる判断

また、体育の授業後、教室に戻った子どもたちが下敷きをうちわのようにして涼んでいる姿を見かけたことはありませんか? 運動後に体温調整をするために涼しさを求めるのは自然なことです。しかし、ある授業で、筆者は「授業中に扇ぐのはマナー違反」として、すぐに注意される場面に遭遇しました。そのとき、その児童は心の中で「どうしてダメなんだろう? 涼しくなればもっと集中できるのに」と思ったことでしょう。
実は、この場面は公開授業でのことでした。教員は「規律正しい教室環境」を見せたいと考えた結果だったのかもしれませんが、子どもたちにとっては快適さを求める行動が否定された瞬間でもありました。

この事例は、教員が求める授業環境と、子どもたちが必要とする「快適さ」が時に衝突することを示しています。もちろん、規律を守ることや教室を静かに保つことは大切なことですが、それが子どもたちにとって過度な制約となり、学びに対する意欲を削ぐことがあってはならないでしょう。教室内で子どもたちが示す行動や振る舞いの背後には、常に理由があるはずです。教員として、それらを理解し、受け入れる柔軟な姿勢が求められます。

教室の「磁場」と教員の役割

これらのエピソードを通して、教室内で子どもたちが見せる行動には、その時々の理由や背景があります。教員がその行動を一律に「正しい」「悪い」と判断するのではなく、なぜその行動が起きたのか、その背景にある思いを理解しようとする姿勢が大切です。音や振る舞いを無理に抑え込むのではなく、柔軟な対応が求められるのです。

前掲の「ペン回し」や「椅子を揺らしたり横を向いて座ったりする行動」も、単に「集中していない」と判断するのではなく、「どうしてその行動をしているのか?」と考えることで、そこには子どもたちが集中力を保つための工夫やリラックスするための動作が隠されていることに気づくかもしれません。こうした行動を理解し、受け入れることで、教室の雰囲気が柔らかくなり、子どもたちがより安心して学べる環境を作り出せるでしょう。

また、教員自身の感情やストレスも、こうした行動をどう受け止めるかに影響します。たとえば、体調が悪い日や忙しい日には、子どもたちの何気ない行動が普段以上に気になることもあるでしょう。しかし、自分の感情をコントロールし、冷静に子どもたちの行動を理解しようとすることで、より健全な教室の雰囲気を作ることができるのです。

このように、教室の「磁場」、つまり教員と子どもたちの間に生まれる見えない力の作用を再考することで、教育現場の「当たり前」を問い直し、新たな視点で子どもたちの行動を捉えることができるのではないでしょうか。

教育は常に進化し続けるものであり、その進化を牽引する存在であり続けるために、現状に満足せず、常に再考を続ける姿勢を、共に続けていきたいですね。

参考文献 授業中の『ペン回し』がもたらすもの:非言語コミュニケーションに見られる教室の非制度/榊原禎宏・森脇正博他/京都教育大学学教育実践研究紀要 第11号、pp.197-207

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イラスト/難波孝


森脇正博(もりわき まさひろ) 
前京都教育大学附属京都小中学校教諭、 京都教育大学非常勤講師を歴任するなど京都府公立学校教員として25年間勤務。現神戸市立小学校にて総務兼学力充実担当。 教育学修士。 専門は、学級経営、 算数・数学教育、道徳教育等。日本教育経営学会・日本教育行政学会会員。
著書に、「教育経営実践における「笑い」の可能性─「笑い学(教育漫才)」を通じた学級風土の醸成過程に注目して─」(日本教育経営学会、 2023)、『道徳教育のキソ・キホン道徳科の授業をはじめる人へ(分担執筆)』(ナカニシヤ出版、2018)などがある。また、独立行政法人教職員支援機構(NITS) の「Plant 全国教員研修プラットフォーム」内「児童生徒に対する性暴力等を防止するために」研修講師を務める。


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