多様性や違いを大切にした取組をしよう~ー「マイノリティ」と「マジョリティ」ー|インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること #6

連載
インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること

ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長

青山新吾
インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること #1 執筆/青新吾

「インクルーシブ教育」を通常学級で実現するためには、どうすればよいのでしょうか? インクルーシブ教育の研究に取り組む青山新吾先生が、現場の先生方の悩みや喜びに寄り添いながら、インクルーシブ教育を実現するために学級担任ができること、すべきことについて解説します。

本連載では、インクルーシブ教育とは、貧困状況にある子どもや性的マイノリティの子ども、外国にルーツのある子ども、不登校の子ども、障害や病気のある子どもなどのマイノリティ属性を含むすべての子どもが対象だとしています。そして、すべての子どもたちが包摂される教育を目指すプロセスがインクルーシブ教育であり、そのためには通常学級の教育が変わっていくことが求められているという前提に立っています。

今回は、多様性や違いを大切にした取組について考えてみましょう。

執筆/ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長・青山新吾

「マイノリティ」と「マジョリティ」

マイノリティとマジョリティ

インクルーシブ教育を考える際に重要な概念の1つに「マイノリティ」と「マジョリティ」があります。「マイノリティ」に思いを寄せて支援しようなどという文脈で示されることもあるように思います。そもそも、この「マイノリティ」と「マジョリティ」とは、どのように捉えればよいのでしょうか?

一般的には、これらを「少数派」と「多数派」として捉えることがあるように思います。例えば、障害のある人を少数派の「マイノリティ」として捉え、障害のない人たちを多数派の「マジョリティ」として捉える場面が思い浮かびます。

しかし実際には、「マイノリティ」と「マジョリティ」は単に少数派と多数派として捉えられるものだけではありません。ある少数グループが、権力、影響力、優位性などを有して、コミュニティ全体に強い影響力を持っていれば、それが「マジョリティ」として機能することがあるからです。と、このように書いてみたものの、大学の授業の中での学生たちの様子を見ていると、すぐには具体例が思い浮かばない様子でした。

学校の中で

そんなある日、1人の学生が、高校時代のあるエピソードを寄せてくれました。授業時に用意しているオンライン上のパーソナルなメッセージ欄には、時折、大切な話が寄せられるのです。

高校時代、体育の授業時には、授業開始前に必ず着替えて整列しておかないといけなかったというのです。しかし、休憩時間は10分しかなく、運動場は少し離れたところにあったため、自分も含めてみんなは、必死に走って移動していたそうです。ある時、前日に降った雨の影響で道が濡れていたために、友人が転んで怪我をしてしまったといいます。あまりに理不尽だと考えて教師に伝えに行ったところ、「これから気を付けろ」と言われて終わったという話が綴られていました。

読み終えた僕は、なんとも言えない感情に苛まれながらも、あることに気付いておりました。それは、このエピソードが、「マイノリティ」と「マジョリティ」を単に少数派と多数派に捉えない例として分かりやすいということでした。このエピソードにおいては、権力そして優位性をもっているのは明らかに教師サイドです。でも数を考えれば、教師は少数派であり、圧倒的多数は生徒サイドなのです。つまり、少数派の教師が「マジョリティ」であり、多数派の生徒が「マイノリティ」として位置付けられていると言えるのです。

学校の中で成立しているこの関係性を、あちこちの学校教育現場の事実に即して、丁寧に読み解いていきたい気がします。

教室の1場面でー「読めた人から腰掛けましょう」ー

ある研修で、インクルーシブ教育を考えるために、多様性や違いを大切にした取組を少しずつ進めたいという話をしておりました。その際のポイントに「マイノリティ」と「マジョリティ」の関係に敏感になり、「マイノリティ」の状況や思いを考えることが挙がっていました。

そこで話題にしたのが、

「全員起立。読めた人から腰掛けましょう」

という教育技術でした。

この教育技術は、平成初期には用いられていたものですが、現在も一斉授業の中で活用されていると思われます。一斉授業の中で、一人一人の子どもの読む力や学習の様子を把握するために用いられる教育技術であり、子どもを大切にしようとする教師の姿勢が見えるものです。

でも、この教育技術を嫌う子どもたち、嫌だなと感じている子どもたちがいるのではないだろうかというのが研修のトピックでした。例えば、吃音のある子どもたちの中で、音読が得意ではない子どもは、この授業スタイルを好まない場合が多いと考えられます(吃音のある子どもでも、音読ではつっかえない子どももいます。また、音読が苦手でも全員がこのスタイルを嫌うかどうかはわからないので、決めつけられません)。

ちなみにこの場合、すべての子どもが「マイノリティ」であるとは言えないでしょう。音読の得意な吃音のある子どもも「マイノリティ」ではないと思われます。吃音のある子ども以外にも、他の理由で音読が苦手な子どもたちは「マイノリティ」であると言えそうです。つまり、「マジョリティ」と「マイノリティ」とは固定されたカテゴリーではなく、相対的な関係性の中で位置付けられるものなのです。

マイノリティ、マジョリティは相対的な関係性の中で位置付けられる

この研修に参加されていたある先生が、複雑そうな顔をして言われました。

「子どものことを考えて、配慮もしているのですが……。青山先生はこの技術を使ってはダメだと言われていますか?」

このように悩まれるのが素敵な先生である証拠のような気がしました。でも、この話は、僕がジャッジすることではないのです。

先生の目の前にいる子どもたちのことを具体的に思い浮かべて、必要ならば子どもたちの声を聞くことが大切だと思うのです。それが、マイノリティの状況や思いに敏感になることにつながるのではないでしょうか?

その結果、これまでのやり方を変えてみる場合もあるでしょう。また、子どもたちと一緒にどうしていこうかと考えていく場合もあるでしょう。これまでのやり方を続ける場合もあるはずです。

このように、目の前にいる子どもたちのことを具体的に思い浮かべることが、多様性や違いを大切にする取組につながっていく一歩になると思います。

【参考文献】
・野口晃菜・喜多一馬『差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある』(学事出版)


青山新吾先生

青山新吾(あおやま・しんご)ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁特別支援教育課指導主事を経て現職。臨床心理士。著書『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)、編著『特別支援教育すきまスキル』(明治図書出版)など、著書・編著多数。

【青山新吾先生 著書】
『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)
『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』(岩瀬直樹との共著/学事出版)

イラスト/イラストAC 写真/写真AC

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