どんな自分も受け入れてくれる学級とは? 【伸びる教師 伸びない教師 第45回】
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豊富な経験によって培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする人気連載。今回のテーマは、「どんな自分も受け入れてくれる学級とは?」です。言葉では「挑戦しよう」と簡単に言えるけれど、実際は難しく、できない自分も受け入れてくれる環境が必要であるという話です。平塚先生のチャレンジする姿が登場します。
執筆
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)
栃木県公立小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を務める。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。
目次
ソフトボール投げに挑戦!
全学年で新体力テストをしていたときのことです。
校庭では50m走、ソフトボール投げの計測をしていました。私は50m走の計測の手伝いをすることになりました。ある程度計測が進み、次のグループが来るまでの時間が空いたので、ソフトボール投げの様子を見に行きました。ソフトボール投げも時間が空いているようで、担当の教師とお手伝いの6年生が手持ち無沙汰の状態でした。
6年生が担当の教師に
「先生、投げてみてください!」
と、ソフトボール投げのリクエストをしました。
リクエストされた教師は、元野球部で今でもお子さんの野球部の監督をしているスポーツ万能の中堅教師です。その教師が子供たちのリクエストにこたえて投げると、ボールは50mラインを大きく越え、60m近くまで達しました。子供たちの大歓声が響きます。
そんなほほえましい光景をにこやかに見ていたのですが、嫌な予感がしました。次は自分にリクエストが来るのではないか……。その予感は的中しました。
「校長先生は〜」
若い頃だって60m も投げられませんでした。ましてや、50代後半を迎え体力も衰えた今の私には、どうあがいても30mがいいところです。
この状況で私が投げれば前に投げた教師と比べられ、子供たちに笑われてしまうのではないかという思いがよぎりました。
「よし、腰が痛いと言って断ろう」
そう思った瞬間、さっき50m走の計測前に子供たちへ言った、自分の言葉が思い出されました。
「50m走は2人で走るけれど競走ではありません。負けているからってあきらめてスピードを緩めず、最後まで全力で走ってください。あくまで自分との勝負です」
人と比べない子供たちに感激
私は、意を決して子供たちに言いました。
「よーし、いくよー」
ボールを受け取り円の中に入ると、60m付近で子供たちが手を振っているのが見えました。どうやら、私も前に投げた教師と同じくらい投げると思っているようでした。
「そんなに行かないよー。目標30mだからもっと前で大丈夫」
そう子供たちに叫んでの第1投。
投げたボールの角度が低く記録は28mでした。2投目も変わらず目標の30mに届きません。こうなると何としても目標を達成したくなり、ちょっと休んで2回目にチャレンジしました。
しかし、2回目の1投目も30mに届きません。これが最後と決めてチャレンジした2投目。これまで低くしか行かなかったボールがよい角度で飛んで行きました。
これはいけるのでは……。
「32mです!」
思わずガッツポーズをしてしまいました。子供たちが拍手をしながら近寄ってきて「校長先生すごーい」と声をかけてくれました。前に投げた教師と比べないで、私自身の目標が達成したことを受け入れてくれた子供たちの優しさに感激しました。
投げる前、子供たちに笑われるのではないかと心配していた気持ちは吹き飛び、逆に、他にも何かに挑戦してみたいという気持ちが湧き上がってきました。
自分を受け入れてくれる環境が主体性を育む
「子供たちの主体性を育む」という言葉をよく耳にします。
私自身もこれまで子供たちに「自分から進んでチャレンジしていこう」と呼びかけることが多くありました。しかし、いくら呼びかけても積極的になれない子供もいます。
「できなかったら他の人からどう思われるだろう」という気持ちが「チャレンジしよう」という気持ちを邪魔するからです。
しかし、「できない自分」でも受け入れてくれる友達がいると、今回の私のように何事にもチャレンジしようという意欲が湧いてきます。
自分を受け入れてもらった経験がある子供は、他の友達も受け入れられるようになります。こうした子供たちが増えていくと、やがて互いを認め合える学級に成長していきます。
子供たちの主体性を育むには、まずは、どんな自分でも受け入れてくれる学級の雰囲気づくりからかもしれません。
構成/浅原孝子 イラスト/いさやまようこ
※第16回以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。