子供を見る目を鍛える|定点観測+集団分析!2面作戦
「子供たちを『見る』ために、毎日していること」「場面場面で気になる子の見取りとアプローチ」「子供を見る目の鍛え方 若手へのアドバイス」といったテーマで、百戦錬磨の実践者、高橋尚幸先生が実践する定点観測と学級分析についてご紹介します。
執筆/宮城県公立小学校・高橋尚幸
たかはしなおゆき●1977年生まれ。教育実践グループ「みゆき会」所属。2010年から『学び合い』の実践に取り組んでいる。第29回東書教育賞優秀賞受賞。共著に『子どもの書く力が飛躍的に伸びる! 学びのカリキュラム・マネジメント』(学事出版)。
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目次
「定点観測」で子供たちを見る
私が学級担任をしている時には、毎日必ず「宿題ノート」の丸付けを丁寧に行っていました。それが私にとっての「定点観測」だからです。定点観測というのは、もともとは気象観測の用語です。毎日決まったポイントから子供を見て、その変化を感じ取る、という意味で使っています。
私は、毎日、ノート2ページの宿題を出します。漢字練習や計算プリントだけの宿題が嫌いなので、文作りや意味調べ、学習クイズなど様々な問題を出しています。提出されたノートはその日のうちに必ず目を通し、コメントを書いて返却します。これを毎日続けていると、子供たちの変化に気付くことができるのです。
文字がだんだんと丁寧になってくる子もいます。苦手だった学習が得意になってくる子もいます。私が出す問題を真似て、自主学習をやってくる子もいます。半分しかやれなかったのが、全部やれるようになる子もいます。毎日続けることで、こういった成長がよく見えてきます。
時には、好ましくない変化もあります。字が雑になってくる子もいます。急に宿題を出さないことが増える子もいます。その中には、全くやってこない子もいるし、やってあるのに出さない子もいます。これも、毎日続けているからこそ見えてくる変化です。このような好ましくない変化に気付いた場合には、さらに詳しく見ていくのです。
全員を完全に見ることができないからこそ、定点観測
私がこのようなことをするのは、私には子供たちの全てを見取ることはできないと分かっているからです。もしも、誰かから、「教員は常に子供の傍にいて、全員から絶対に目を離さず、その心を完璧に理解しなければならない」と言われたら、私は、「ごめんなさい。私には無理です」と答えます。私は一人ですが、子供たちは数十人います。常に傍にいるのは無理です。子供たちが常に一箇所に集まっているわけではありませんから、目を離さないのも無理です。子供に限らず、人の心を完璧に理解することも、無理です。そういう前提に立って私は働いています。
けれど、完全に見られないからと言って、全く見ようとしていないわけではありません。子供たちを見ずに、指導ができるわけがありませんよね。子供たちを把握することが難しいのだから、工夫が必要でしょう。私にとっての工夫の一つが、「定点観測」というわけです。
私が宿題を見る時に注意しているのが、次の5点です。
① 字の丁寧さ
② 始める時刻、終わりの時刻
③ 誰とやっているか
④ どんな顔で提出するか
⑤ 忘れた時に何と言うか
字の丁寧さには、子供の心理状態が反映している場合が多々あります。いつも丁寧に宿題をやっている子が雑になった時には、友人関係や家庭の状況、もしくは私との関係に「何かがある」のです。また、いつも乱雑な子は意欲の低さが根底にある場合が何度かありました。「どうせできない」と思っているから雑になってしまうのです。そういった子を叱ったら逆効果です。その原因がどこにあるのかを考えると、思い当たる節がいくつもあるものです。
始まりと終わりの時刻を書かせることの大切さ
また、宿題では、「始まりの時刻」と「終わりの時刻」を書くように指示しています。時刻を書く一番の目的は、だらだらとやらないためです。でも、ここから、家庭での様子が垣間見られます。
例えば、終了時刻が午後10時を過ぎているような子がいます。それが続く場合には、「最近、調子はどう?」というふうに声をかけます。すると時々、「実は、お父さんが入院していて」なんて話が出てくることがありました。こういう話を家庭側からしてくれるケースばかりではありませんから、発見するきっかけが必要なのです。
ちなみに、「宿題をやるのが遅いんじゃないか」「朝にやってはいけないよ」というような指導はしません。そんなことを一度でもやったら、子供たちは本当の時刻を書いてくれなくなります。叱る材料にはしないようにしています。何でも叱る材料にしてしまうのは、教員の悪癖の一つだと考えています。
誰とやっているかは、ノートに書いていませんが、子供たちから積極的に聞くようにしています。私は、「友達と一緒に宿題をやっても構わないよ」と伝えています。家庭学習だって、一人でやるよりみんなでやる方がよく分かるし、楽しいでしょうから。話を聞くと、意外な組み合わせで勉強をしていることがあります。学校では見えない関係性が見えてきます。
宿題を提出するときの表情でわかることとは
宿題を提出する時の表情もよく見取るようにしています。いつも笑顔の子が暗い表情で出してきたら要注意です。宿題をちゃんとやっていなかっただけなら、それほど気にする必要はないでしょう。でも、そういう子は、他に悩みを持っている可能性が高いでしょう。
宿題を忘れた時の言葉からも、その子の状態が見えます。「忘れました、ごめんなさい」と素直に言えず言い訳を重ねているような時には、私への不信感のサインと受け取っています。正直に言っても受け止めてもらえないと感じている子は、大人に嘘をつくものです。
ちなみに、問題の正解、不正解はそれほど気にしません。間違っている問題があっても、休み時間には直させません。隙間の時間を使ってちょっとした助言をすることはあります。でも、間違っているのは、私の授業が悪いからです。直すべきは私の授業です。もし、宿題で間違いが多い場合には、授業や朝の活動などで学び直す時間を確保します。
定点観測で大切なのは、「変化」です。変化に気を付けて継続して見ていくことで、その時だけでは分からないことに気付くことができると感じます。年間を通して継続することを大切にしています。
森を見て、木を知る
定点観測の視点は、他にもたくさんありえるでしょう。多くの先行実践があるのは「休み時間にどこで遊んでいるか」です。毎日、誰がどこで遊んでいるかを見ることで、その変化から子供たちの心理状況や関係性が見えてくるでしょう。
ただ、定点観測で見られるのは、子供たちのほんの一部分だということは忘れないようにしています。「木を見て森を見ず」という諺がありますよね。物事の一部分や細かい点に気を取られて、全体を見失ってしまうことを戒める諺です。
子供たちを見取る場合も、一点だけだと、学級全体の様子を見失ってしまうかもしれません。ですから、定点観測では見られないものを見るために、授業中には、逆の視点からも子供たちを見取るようにしています。
それが「森を見て、木を知る」作戦です。これは、森=学級全体を見ながら、木=個々の子供の頑張りと課題を掴む、というものです。そのために、「集団が機能している」とはどういうことかを考えるようにしています。
得意な子、中間の子、苦手の子が相互にフォローできているか
学級には様々な子供がいます。一様ではありません。そこに、全ての子にとってよく分かる授業というものが、なかなか実現できない原因があるのでしょう。それでも、学級の中の一部の「得意な子」が授業をリードし、「中間の子」がそれについていこうと頑張り、「苦手な子」が諦めずに学んでいて、周囲がみんなでフォローしようとしている時に、授業がうまく回っていくと私は感じます。
得意な子が意欲的に発言し授業をリードするには、「みんなに分かるように説明しよう」というモチベーションが必要です。それを受けて、中間の子が「私もあんな風に頑張ろう」と努力します。さらにその姿を見て、苦手な子も「じゃあ、私もやってみようかな」と影響されるのです。このように子供同士の関係性がプラスに作用している時には、集団が機能していると言えるでしょう。
逆に、得意な子が「自分が分かればいい」とか「発表したら『調子に乗っている』と言われそう」と考えていたり、中間の子が「私には無理」と思っていたりしたら、授業が停滞します。そんなクラスだと、苦手な子は勉強しようともしませんし、場合によっては授業の邪魔をすることで、自分の存在を確かめようとするかもしれません。集団の機能不全状態です。
個をほめず、全体を称賛する
ですから、授業中に「集団がうまく機能している」と感じたら、誰がクラスをリードしているのか、誰が頑張って伸びてきたのかを分析しています。「あの子の発言が授業を活性化してくれているんだな」「あの子の関わりが、他の子の意欲を高めているんだな」と見えてくれば、「こういう発言が出てきたのは、このクラスの学ぶ力が高まっているからだね」「このクラスの良いところは、こういう関わりがあるところだね」と称賛し、全体に広めることができます。私が心がけているのは、個人ではなく全体をほめることです。
勉強が得意な子が分かりやすく説明できたことや、中間の子が力を伸ばしたことや、苦手な子が諦めずに努力したことが、クラス全体にどんな良い影響をもたらしているのかを見つけて、それを広めることが、私の役割の一つです。個人の努力や成長をほめるだけにとどまらず、クラス全体の成長として捉えて伝えることで、「このクラスの一員でよかった」という意識を持ってもらえます。
それが「このクラスは私たちのもの」という主体性につながります。私たちのクラスという意識が生まれれば、友達の良さを認め、それを受けて真似をすることにもつながります。友達の良さを受け入れられると、どんどんクラスの集団としての機能が高まっていきます。そういう状態になると、私は「クラスが育ってきたな」と強く感じます。
クラスを牽引する2割が機能していない原因は教師にある
逆に、授業がうまくいっていないと感じた時にも、その原因を分析します。集団の活動の8割は、集団の2割に依存する、という説があります。例えば「お店の売り上げの8割は、お客さん全体の2割がもたらす」とか「会議の発言の8割は、2割の参加者による」というものです。限られたスペースで詳しくは説明できませんので、興味のある方は「2:8の法則」や「パレートの法則」を調べてみてください。
この法則によれば、授業の発言のほとんどは、学級の2割の子供、つまり30人の学級であれば6人程度によってもたらされていることになります。それくらいの人数が「友達に説明しよう」「自分の考えを聞いてもらいたい」と前向きになっていなければ、「学び合いましょう」「話し合いましょう」とどんなにしつこく指示しても、集団は動かないのです。そういった状態の時に焦って発言を無理強いするとマイナスにしかならないことを、今までの失敗から学びました。
集団の2割が動かないのは、私に原因がある場合がほとんどです。忙しくて、授業準備が不十分だったり、イライラしながら授業していたりすると
他のことのせいにしたら、おしまい
私の見取りの基本は、定点観測で個別の状況を掴むことと、集団の分析でクラスの概要を掴むことの二つです。この二つを行えば、絶対バッチリ見取りができる!というわけではありません。私の目が曇っていたら、見えませんからね。私の目を曇らせる最大の要因は「責任逃れ」です。
子供たちが宿題をちゃんとやってこないのも、集中して授業に取り組めないのも、クラスが機能しないのも、私のせいじゃない。大きな行事があるからだ。震災の影響で家庭教育力が落ちているからだ。私には責任はないよ。そんな風に思ってしまった瞬間に、指導の糸口を逃してしまうのです。
もちろん、大きな行事の前後は指導に苦慮します。福島県では今でも東日本大震災の爪痕が色濃く残っています。行政や学校といった組織として、それにどう対応するかというシステムの問題はもちろんありますが、組織的な対応には時間がかかるでしょう。目の前には子供たちがいますから、大きな行事の前後にどんな工夫をするのか、家庭教育力の低下にどう対応するのか。それを私個人も可能な限り考えておかなければいけないでしょう。
問題が起きた時やクラスがうまく機能していない時こそが、自分の「見る目」を鍛えるチャンスとなります。自分の何がそうさせているのかを考えることで、今まで気付けなかったものが見えてきます。クラスは私自身の鏡です。何が起こっても「私のせい」でしょう。それを「〇〇のせいだ」と言ってしまったら、思考停止に陥ります。自分のせいじゃないと思ったなら、対応策を考えなくなりますし、そうなったら子供たちを見取ろうとはしなくなり、目が曇るでしょう。
私程度の人間が偉そうに言うのもおこがましいのですが、若い先生方にお伝えするとしたら、ただ一つです。
何でも自分で背負い込む必要はありません。でも、他のせいにしちゃったら、おしまいです。
イラスト/大橋明子
『小六教育技術』2019年1月号より