【木村泰子の「学びは楽しい」#27】学習参観の目的は何ですか?
子どもたちが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載の第27回目。今回は、学習参観(授業参観)のあり方について考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子
目次
子どもが主語の授業をつくっていますか
先日、久しぶりに地域の学校の学習参観に行きました。これまでの自分の立場ではなく、地域住民の一人として学習参観に行くと、今まで見えなかったいろんなことに気づかされました。
まずは、教室の後ろや廊下で観ている保護者の様子です。教室に入る保護者の方が少ない。廊下で教室の中を見ているが、何を観ているのだろうかと思う。ある保護者は同学年の隣の学級の授業を見に行って、比較して小声で話している。授業の流れに関心を示すのではなく、指名される子どもとされない子どもを比較しているような感じで、あの子はできる子であの子はできない子であるかのようなチェックをしている空気もある。何よりも子どもの周りに立って授業を観ている保護者に誰一人笑顔の人がいない。保護者は学習参観で何を観ているのだろう。
担任は若い男性の教員でしたが、全身で保護者に気を遣っているのを感じる。子どもは誰もがおとなしく、教員の指示通り行動する姿が印象的だ。みんなと違うことを誰もしないし、聞かれたことに答えるだけで、自分の考えを語る時間もなく淡々と時間が過ぎていく。
ところが、授業の終わりのチャイムが鳴ると、俄然(がぜん)教員も子どもも張り切る。それは、当番の子が「起立!」と大きな声を出し、「これで5時間目の学習を終わります」と元気な声で言うのです。すると、教員が「何秒で起立ができるかな」と静止を促す。全員が早く静止できたことを誇るようにほめる教員。当番の子が「礼!」と号令をかけると、全員が声をそろえて大きな声で「ありがとうございました」と言って礼をする。かなり久しぶりにこのような授業を参観したので、あまりにも時代錯誤の空気にショックを感じてしまったのが正直なところです。参観でこのような場面を保護者に誇らしげに見せることを良しとしている教員とそれを何も問題もなく観ている保護者の意識はどこに向かっているのでしょうか。
残念ながらこの1時間に「自律する力」をつける場面は1秒もなく、数十年前の「知識を教え込む授業」と何も変わっていない。ただ、終始1人1台のパソコンを子どもたちが使いこなして授業をしている姿だけは、これまでにはない授業風景でした。教員の質問に対し、子どもが自分のパソコンに答えを打ち込み、教員に送るといったパターンは見事に徹底されていました。ところが、子ども同士の対話や学び合う場はなく、これが毎時間続いているとすれば「自律する力」や「社会で生きて働く力」はどの場面にどのようにして子どもが獲得することができるのだろうかと、とても危機感をもってしまいました。たかが1時間の参観の授業を観ただけで決めつけてはいけないと分かりながらも、マイパソコンと学習する子どもの姿のみが印象に残った授業でした。
学習参観を問い直す視点
- 学習参観の目的は何ですか?
- 学習参観は保護者に見せる授業ですか?
- 学習参観をすることで、子どもの学びがどのように豊かになっていますか?
- 学習参観ありきの発想を問い直したことがありますか?
- 学習参観をなくしたらどんな環境が生まれるか想像しませんか?
平素の授業を問い直す視点
- 授業の主語は子どもですか?
- 子ども同士の対話が成立していますか?
- 授業の始まりと終わりのけじめをつけるための号令は必要ですか?
- 「お願いします」「ありがとうございました」の礼は誰が誰に対して言わせていますか?
- パソコンやタブレットの操作はすべて教員の指示通りに行う一斉指導が当たり前になっていませんか?
- 自分で考え判断し行動する「自律する力」は1時間の中のどんな場面をつくれば子どもが獲得できますか?
- 「静」から「動」の授業に変わっていますか?
- 指示・号令を問いかけに変えていますか?
「主語は子どもの授業」への転換に
これまでの「教えるプロ」から「学びのプロ」への転換に誰もが困惑している今です。長年にわたって染みついたものは容易には変えられないものです。参観をさせていただいた先生もその学校の中の当たり前に浸かっていると、これでいいと思ってしまっておられるのかもしれません。でも、変えなければと気づくことはできます。若ければ若いだけ未来の学校をつくっていくリーダーとなれるみなさん方です。
従前の授業を当たり前として教え込まれた子どもの学力は10年後の社会には通用しないことは明白です。
「授業の主語は子ども?」と問うことから始めませんか。
〇学習参観は、誰のために、何のために行うのか、その意味を改めて考えよう。
〇授業の中で子ども同士の対話や学び合う場面はあるのか、「自律する力」や「社会で生きて働く力」は育っているのかを確認しよう。
〇「授業の主語は子ども」であることを確認し、従前の授業の当たり前を問い直そう。
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きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、全ての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。