子供の表現の捉え方、子供への伝え方が見えてくる連携企画 【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第39回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」

前回は、藤原友和先生が教師を志し、中学校で教師として働き始めた頃までのお話を紹介しました。今回は、小学校に異動になった当初に授業づくりで勘違いをしていたことや、やがて教科の専門性を磨いていくことになるきっかけなどを紹介していきます。

北海道公立小学校・藤原友和教諭。

「先生の授業はむずかしいですよね」

中学校で3年間勤務した後、小学校に異動になり、初年度は4年生の担任になったのですが、当初、自分は良い授業ができているという大きな勘違いをしていました。前回、詳しくお話ししませんでしたが、中学校時代に参加していた勉強会は、授業をつくるときに学習指導要領や解説を読み込むことはもちろん、改訂に向けた中央教育審議会の答申や専門部会での議論の資料など、関連資料を読むのは当然で、それを踏まえた上で授業づくりを考える会だったのです。それだけ授業づくりを勉強してきたという自負があったため、中学生向けにやってきた授業を小学生向けにアレンジすれば、レベルの高い授業ができると思い込んでいて、学び手である子供の姿に目が向いていませんでした。

小さな学校で4年生は17人。休み時間も一緒に遊ぶし、スポーツ少年団のサッカーのコーチもするくらい濃密な関係がありましたから、授業が荒れることはありません。しかし、明らかに分かっていない子供たちがいるのに、「国語とはこういうものだ」と思い込んで授業をしていたのです。そのため授業参観の後、一人の保護者から「先生の授業はむずかしいですよね」と言われても言わんとすることが分からず、「この授業は、こういう意図でやっています」と答えていました。

結局、その子たちを5年、6年ともち上がっていったのですが、サッカーで関わる子供たちとはうまく関われたものの、次第に授業に不満をもつ子も出てきてしまいます。それでも授業づくりの根本的な問題に気付かず、一部の子供たちとは信頼関係が崩れたまま卒業をさせてしまったことには大きな後悔があります。

楽しそうにクラスの男の子とポーズをとる若手時代の藤原先生。

教師が評価せず、毎日短い文章を書かせる「日直作文」

私の授業づくり・学級づくりが劇的に変わったのはその翌年です。私が何年を担任するかというときに、校長先生はもちろん職員室が満場一致で、「藤原には1年生をもたせなければダメだ」となったらしいのです。「一度、低学年を担任して、“子供たちの思考とはこういうものだ” というのを感じたほうがいい」と考えたのでしょう。前年度、1年生を担任してそのまま2年生にもち上がった女性のベテラン先生が私と低学年団を組んで、手取り足取り教えてくださいました。それも、「1年生の指導はこうしなさい」と言うのではなく、環境を調整して私が自然に理解し、できるようにしてくださったのです。

例えば、私が低学年の子供の言葉の意味をつかむこと、子供が分かるように話すことに苦労していると見ると、「1年生が生活科でアサガオを植える前に、2年生が昨年度育てたタネをプレゼントするセレモニーを一緒にやらない?」と声をかけてくださいます。そこで、2年生が「アサガオはこんなふうに育てるんだよ」と子供たちなりに表現しながら1年生に伝えるわけで、その連携授業をやっていると、子供の表現をどう捉えればよいのか、どう表現すれば伝わるのかということが、自然と見えてくるのです。そんな連携企画を提案・実施することで教えてくださいました。

その先生と前々年に1年生を担任されていた先生が一緒に、当時の学級通信の束をくださったこともありました。それを読んでいくと、「こんなふうに保護者と信頼関係を築いていくのか」ということが少しずつ見えてきます。しかし、すぐに学級通信を出す自信はなかったので、私はまずお二人からもらった全通信をもとに、「何月に保護者に伝える内容リスト」という項目を1年分整理しました。そして、その時期が来たら、それに沿って子供たちの様子を書き、写真も撮って貼り付けながら、日刊で学級通信を出していきました。先輩の仕事を自分なりにトレースしながら実践していったわけです。

それから、校長先生も「1年生の指導はこうしなさい」とは言わずに、「自分の子供が1年生のときに担任の先生がとにかく作文を書かせてくれて、文章を書くのが好きな子供になった。あれは感謝しているんだよね」と、保護者目線から書くことの良さを伝えてくださいました。ちなみに野口芳宏先生には「日直作文」という、教師が評価せず、毎日、短い文章を書かせていく実践があるので、すぐに私も「日直作文」を始めました。すると、おもしろいもので最初は短文を書いていた子供も、何か嬉しいことがあると、一つの体験を3日、4日連続で書いていくのです。そうした作文を1年、2年と担任する中で継続していくと、原稿用紙10枚、20枚と書ける子供になっていきました。

そんな成長を、どんどん学級通信に載せて伝えると、保護者からも「学級通信、毎日見てますよ」と笑顔で声をかけていただき、次第に良い循環が始まるようになっていったのです。そこで私の小学校時代の体験が結び付き、年4回、親子レクも開催するようになり、保護者には負担をかけてしまったものの、楽しい体験を通し、子供や保護者との信頼関係もより確かなものになっていったと思います。

藤原先生の授業「きつねのおきゃくさま」で会話劇を行う子供たち。

道徳の全道大会会場で、担任していた1年生に授業

最初の小学校でそんなふうに学んでいった後、私は函館に隣接する渡島管内の小学校に異動になりました。その町が平成16年に「平成の大合併」で函館市に編入されたため、私は同じ小学校にいながら函館市内(中核市で別管内)に異動したことになったのです。そこで函館市の教育研究会の先生から「うちの研究会に入らないか」と声をかけていただきました。それは函館市の道徳研究会の幹事長を務めておられる先生で、野口先生を通じて私の名前を知っておられたのです。

その機会に道徳研究会に入ったことがきっかけで、平成19年度に函館市で行われた道徳の全道大会では、担任していた1年生を会場へ連れていって授業者をさせていただきました。それは私にとって本当に大きな体験でした。その後、函館の市街地にある小学校へ異動になり、さらにその学校でも平成26年度の道徳の全道大会函館大会で再び授業者をさせてもらうことになります。そのようにして、大きな会で授業者を任されることによって、少しずつ他地域の先生方にも名前を知られるようになっていきました。

やがて平成29年度には、翌年度の道徳の教科化に向けて全道大会の開催地となる自治体に、道徳教育推進リーダーが配置されたときにはそれを任され、異動して道徳専科になって道徳の授業づくりに取り組むようになりました。それを契機に、仕事の舞台が北海道から出るようになり、例えば文部科学省の東北・北海道のブロック研修に行って勉強させてもらいました。そして、実際に私の授業を撮影したものを資料として提供し、当時の赤堀博行教科調査官(帝京大学教授)とご一緒に、提供した資料をもとに道徳の特質はどういうもので、教科化されたらどうなるという説明会で、広報活動のようなものにも携わりました。そこで藤原=道徳というイメージが付いていくことになったのだと思います。

今回は、若手のときに授業づくりで苦労したものの、校長先生や先輩の先生から学んでいったことや、やがて道徳の研究に取り組んでいった経緯を紹介しました。次回は、その研究の過程で藤原先生が実際に取り組んでおられたことなどを紹介していきます。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、1月12日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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